代表取締役社長 小野田 孝英

株式会社アールスドリーム 代表取締役社長 小野田 孝英

代表取締役社長 小野田 孝英

株式会社アールスドリーム
設立 1993年12月3日
事業内容
  • 海外地上手配業務全般
  • 海外航空券、現地発着航空券
  • TAMブラジル航空日本地区総代理店
会社HP —-

大学時代は欧州を放浪

私は団塊の世代の中では一番下の世代で、この時代の人は小田実や五木寛之の
小説に触発されて、海外に出かけ、ヒッチハイクで放浪する人がたくさんいました。
私もそのはしくれで、大学4年間のうち、1年半近く、ヨーロッパを放浪していました。

その頃は大学へ行っても学生運動が真っ盛りで、機動隊と学生が石を
投げ合っているような状況です。つられててきとうに石を投げてもみたので、
友人にノンセクト・ラジカルならぬナンセンス・ドジカルグループと言われたりして、
学生運動にのめりこむ事もなく授業にも魅力を感じる事もなく、そこで1年生の7月から
横浜からソ連船でナホトカに渡りシベリア鉄道でヘルシンキへ行き、
そこからヒッチハイクでヨーロッパを回りました。

これに味をしめ、3年生の時には10ヶ月間、滞在し、その内約半年、
スウェーデンのストックホルムに居着いてしまいました。
中学生の頃から柔道をやっていたので、スウェーデンでも教えていたのですが、
168cmしかない私が平均185cmを超える大男を投げ飛ばすわけです。
それが面白いといって、毎回、50人ぐらい女の子が見に来る。
今の韓流スターみたいな感じでしたね(笑)。

話せば分かり合える

2回のヨーロッパ滞在は、その後の人生に大きな影響を与えました。
最大の収穫は、いろいろな人と知り合えたことで、たとえ国や人種が違っても、
人は話せば分かり合えるということを学んだことです。

学生時代はあまり勉強しなかったので、英語が苦手でしゃべれなかったのですが、
長くいると必要に迫られ、ある程度はしゃべれるようになったのも収穫のひとつですね。

結局、ずっとヨーロッパにいても展望は開けないと思って、帰国しました。
大学はほとんど行ってませんでしたが、欧州滞在中に友人が科目登録を済ませて
くれていました。
その友人と連絡が取れず、学生課に「私の取っている科目は何ですか」と
たずねるという羽目になりましたが、それでも当時の事で、何とか進級することが出来ました。

就職した外資系航空会社が破綻

就職はあまりする気がなかったのですが、しないわけにもいかず、とある旅行会社に
運良くひっかかりました。

そこで2年ほど働いたころに、ブラジルのヴァリグ・ブラジル航空から声がかかり、
1975年から日本支社に勤務するようになりました。

ヴァリグ社では営業をしていましたが、経営が悪化し、2006年1月には日本への
乗り入れが中止になってしまいます。
日本支社の社員は解雇され、私は当時、営業部長だったのですが、5月に退社しました。
結局、その年に日本支社は閉鎖され、ヴァリグ社は日本では影も形も
なくなってしまいました。

その当時、私は56歳。子どもはまだ学生だったし、食わなきゃいけない。
仕事を探していたら、人づてに、この会社でやりませんかと誘われ、営業部長として
入社しました。

山あり谷ありの人生

この会社の元々の社名はエルムンド(スペイン語で世界という意味)でメキシコを
主に扱うランドオペレーターでした。
入社して2、3年たつと次第に業績が良くなり、大手の旅行会社の仕事も入るように
なってきました。
それと同時に、ブラジルやアルゼンチン、ペルーといった南米の仕事もするようになります。

そんなころ、NOVAの子会社でフィリピンのランドオペレーターの会社が親会社の破綻で
つぶれ、その従業員を受け入れるのに際して、社名をアールスドリームに変更しました。

さらに、TAMブラジル航空の日本総代理店となり、TAMと全日空が共同運航便を
運航することになって、日本乗り入れも2010年から始まっています。

31年間、ブラジルの航空会社で気楽に勤務してきたのですが、
その会社がなくなってしまうという事態には、正直、「もうだめだ」と思いました。
でも、56歳で新たな仕事を始めてみると、運も良かったのですが、業績は伸びています。

人生は、本当に山あり谷ありだと思います。

中南米と日本の架け橋に

航空会社に勤務しているときから、ヴァリグ航空を売り込むことはもちろん大事ですが、
それよりもブラジルを含めた中南米を売り込むことが最大の使命だと思ってやってきました。

新しい仕事でもその使命には、一番情熱を注いでいます。
中南米と日本の架け橋となりたいのです。

ブラジルは前途有望な国です。
GDPはイギリスを抜いて、世界で6位になり、今年は世界環境会議がリオで開催されます。
このほかにも、サッカーのコンフェデレーションカップ、ワールドカップ、2016年には
リオ・オリンピックが開かれます。
まだ確定ではありませんが、万博もリオで行われる予定になっています。

また、資源国で、日本が今後、絆を深めていかなければならない大切な国のひとつです。
きっと、両国間の人の往来はますます増えるでしょう。

そんななかで、私としては、TAM航空の日本への単独での乗り入れをぜひ実現したいですね。

Never Give Up

今の若い人にとっては、年金問題ひとつとっても、日本は展望が持てない国に
なりつつあるのかもしれません。
実際、我々の若い時に比べると、厳しい要素が多いのは事実です。

でも、ヨーロッパでもそういう国はあります。
Never Give Up の精神で自分自身がチャレンジしていけば、必ず道は開けていく
というのが、私が生きてきた中で言えることです。
私自身も人生七転び八起きで、常にこけているけれど、こけても起きあがることが大事なのです。

そして、たとえ日本にいても、内向きにならずに、「国際人たれ」と言いたいですね。
世界はますます狭くなり、我々のような小さな企業でもパートナーは外国人だったりします。
一流企業でも、優秀な外国人を採用しています。
逆に言えば、自分たちが国際人にならなければ日本の中でも落ちこぼれてしまうのです。
言葉だけができればいいのではありません。
伝えるべきことがあれば、言い回しはどうであれ、相手に伝わります。
自分の中に確固たるものがあれば良いのです。