代表取締役社長 渡邉 敏行

株式会社ベビーピュア 代表取締役社長 渡邉 敏行

代表取締役社長 渡邉 敏行

株式会社ベビーピュア
設立 2003年5月2日
事業内容
  • 中華レストラン経営・フランチャイズ事業等
会社HP http://www.seiren.cc/

涙が出るほど皿洗いをした経験こそが、起業の原点

20歳まで中国で育ち、薬学部に在籍していた時に家族総出で来日をしました。
1990年代、中国の人々は、日本で働き稼ぐことを夢見ていました。
何せ1ヶ月働けば、中国での年収1年分に相当するからです。
とは言え、日本行の航空チケット代は家族全員分ともなれば、
自宅を売らなくてはいけませんでたし、
日本で暮らすためには、すぐにでも働かなくてはいけない・・・その厳しさも分かっていました。
もし、学生の皆さんを同じ状態に例えるとしたら、
アメリカにお金がない・言葉も通じない状態でポンと放り込まれるのと同じことです。

私もすぐに中華街の飲食店で、アルバイト始めましたが、出来ることと言えば裏方の皿洗いだけです。
そんな時、一緒にアルバイトをしていた日本人の学生から、「君は変だよ」
と言われたんです。
まだ日本語が分からない私には、相手の真意が理解できなかったのですが、
後から「君はおかしいよ」と言われたと気づいたんです。
涙が出るほど、毎日毎日皿洗いをする日々の中で、この一言は私のプライドをとても傷つけ、
どん底に落ちましたが、そうなってみて初めて自分が「このままでいいのか?」と気づき、
この状態を跳ね返したいと強く思いました。

ですから、私は人一倍ハングリー精神が強いですし、起業の原点はこの時の経験が大きいと感じています。
ハングリー精神とは、単にモノだけではなく、精神面での強さも大事です。
お金持ちになりたい!自由に世界を旅したい!皆さんにも夢はあると思います。
しかし、現状に満足し、ぬるま湯に慣れてしまったら、
色んなことに対して「到底難しいだろう」と諦め癖が付き、真ん中路線を選んでしまいます。
まだ、<本物の満足>を知りもせず中途半端に現状に満足をしてしまう。これではダメです。
今の日本の大学生を見ていると、我慢をしないし、好きな友達としか付き合わない。
無職でも生きていけてしまう環境があり、闘志が減っている気がします。
しかし、あの頃の私はそれでは生きていけません。日本で夢を掴もう!と中国から出てきたのです。

「悔しい」経験こそが、人間性を深めてくれる

その後、日本語学校、予備校に入学し、慶応義塾大学に進学しました。
勉強に関しては、成績優秀とまでは行かなくても、
ここぞという時に発揮した集中力のおかげで、無難にこなしてはいました。
そこにかける意欲が大事なんです。

おそらく、元来やるならやるという性格もありますが、来日してからの多くの苦労が影響もしたと思います。
涙が出るほど辛かった洗い場ではもう絶対に働かない!と決めてましたから。
しかし、塾講師のアルバイトに応募しても断られてしまうということもありました。
本当に悔しかったですが、この悔しさを味わうと、味が出るというか、
人間性が深まるきっかけとなりましたね。

大学時代、やり残したことがあるとすれば、海外に目を向けていなかったことです。
実は、金銭的に少しでも楽になりたかったので、アルバイトをし過ぎてしまったんです。
大学で留学生のコミュニティサークルにも入ってはいましたが、気の合う友人たちと過ごしていたので、
無理して何かをする必要もない代わりに、色んなことが中途半端になってしまいました。
今にして思えば、学生時代に視野を広げることは、お金以上の価値がありましたし、
ビジネスの現場を知るいい機会になったのに・・・と悔やんでいます。

大手製薬会社でエリートを目指すもハードルは高い

起業については「いつかは」と頭の片隅にはありましたが、
日本語も完璧ではなく、日本人の真意や考えを本当に理解するまでにはいかない。
自分には、まだまだ知らないことが多すぎると感じていました。

就職したのは、大手製薬会社の国際本部。
巨額の売上をわずか50人で管理をする責任の大きな部署でした。
ただ、そこでは、デスクワークが多く、現場で何か起きているかわからない、という思いを抱くようになりました。
そんな時、上司から、「仙台でMRを経験してこい」と上司から勧められました。
でも、日本語も完璧でない私が、またゼロから地方で苦労しなくてはいけない・・・もうため息しか出ません。
しかし、社会人としての仕事の面白さを学んだのは、このMRの経験があったからです。

MR(メディカル・リプレゼンタティブ)は、製薬会社の営業ですから、
当然の如く無理やり数字を押し付けれて、売ってこいと言われる仕事です。
それこそ、数字・売上こそが全ての勝負の世界です。
一見、厳しい仕事ですが、こんな時こそ人間の本来の力を発揮するんです。
相手にするのは、病院の先生です。
対人間の営業ですから、相手を知り、どうアプローチをすればいいのか見極めなくてはいけません。

例えば、先生が学術肌ならば私も勉強を怠らない、お酒が好きな方なら飲みに行く、
廊下にずっと立っているだけではダメ、常に自分から行動することが求められます。
ですから、数字・売上へのプレッシャーが凄くてお茶を飲む時間すらありませんでした。

2年半の仙台勤務を終えて、再び国際本部に戻り、
今度こそエリートになれる!と思ったのですが、やはり甘かったですね。
当時、台湾、香港、韓国を担当していたのですが、
会議の書類は全て英語が基本で、英語が得意ではない私には、本当に大変な仕事でした。
「できません」なんて弱音は吐けませんし、上司が飲みに行くぞ!と言えば途中で仕事の手を止めて参加する。
終わってから会社に戻り、仕事を続ける。
そんな日々は、まさに大手企業サラリーマンの王道でしたね。

「厨房には立たない」という選択

ある時期からこの会社を退職、卒業することを考え始めました。
きっかけは色々あったのですが、「自分はこのままレールに乗り続けてしまうのではないか?」
企業は新陳代謝が絶対に必要な組織です。
世代交代が必須な中では、私自身がどのポジションに入れるのか?人脈やら派閥など、
先を見据えるには不確定要素が多すぎましたし、自分の価値は年収850万円では収まるものではない!と。

飲食業界で起業を決めたのは、皿洗い経験から、現場をイメージしやすかったことや、
何より日本には『普段着で食べられる中華料理がない』現状があったからです。
そして、同じ厨房でも和食はしっかりしているのに、
中華料理の店の中には、誤魔化したものを出す店もあり、それが気に入らなかったです。
もちろん、高級料理店は裏方もしっかりして当然ですが、その分値段に跳ね返っています。
この現状をどうにかしたい!
『普段着で食べられる美味しくて、体にもいい中華料理」の実現を、難しいと考えるよりも、
常にどうしたらそれが実現できるのか?
難しい・・・面倒だ・・・と口にはできなかった製薬会社での経験は、ここで生きてきました。

厨房に立つことを選ばなかったのは、私自身手先が不器用であることや、
経営に集中する方が向いていると実感していたからです。
まず、信頼できるパートナーを見つけるために、私の仕事に対する意識や姿勢を見せ、
そこにいるから任せるのではなく、自ら行動してくれる人を選びました。
今後は、オフィス向け、ファミリー層向けに分けて、500店舗に拡大することを、目標にしています。
しかし、共通しているのは体に良いとされる「オリーブ油やキャノーラ油」や、化学調味料を使用しないなど、
本当の美味しさを提供していくことです。

苦労は必要、でも働く環境はもっと重要

当社は、いずれは中華料理No1になりたいと考えています。
多くの料理人は、ホテルやレストランを目指しますが、味覚やセンスだけでなく、
体力が資本の業界ですが、キャリアだけでは続けていけない厳しい一面もあります。
だからと言って、自分で店舗を持つにしても経営戦略ができていなくては、続けることは不可能です。
プロとしての腕を持つ人材を、当社に迎えて店長を任せる。
当社では、店長=社長ですから、結果が出せないと厳しいですが、そうした意識を持っている社員には、
アドバイスだけで後は店舗ごとに特色を出せるようにしています。
ある意味、チェーン店らしくないチェーン店なんです。

今まで、色々な経験をお話してきましたが、就職の際に大事にして欲しいのは、
自分が働く会社の環境がどうであるのか?それを大事にして欲しいのです。
私は起業に際して「自分は卒業と言える時期が来た」からこそ、製薬会社を退職しまいた。
もちろん、仕事がダメだからでは絶対に辞めません。
しかし、一方で精神的に無茶をし鬱になってまで働く必要はないと思っています。
だからこそ、働く環境は大事になんです。企業の規模は関係ありません。
会社選びを間違えたら、自分が影響されてしまいます。
もちろん、飲食業で有名なワタミの渡邉社長をはじめとして、
今一線で活躍している社長は多くの苦労を経験しています。
この苦労がベースにあるからこそ、今の成功があるのです。
一番怖いのは、高学歴であるがゆえに、物理的・精神的な苦労や悔しさを知らずに、起業を目指し、
乗り越えられないことが出た途端に心が折れてしまうことです。
ハングリー精神を持って、どんな苦労も厭わない!強い想いを持っている若者であって欲しいと思います。