代表取締役 飯田 勝洋

飯田電子設計株式会社 代表取締役 飯田 勝洋

代表取締役 飯田 勝洋

飯田電子設計株式会社
設立 昭和48年4月
事業内容
  • 通信機器・画像・医療機器等のシステム開発
  • ソフトウェア・ハードウェア開発設計
  • IT・マルチメディア機器開発
  • マイコン応用機器開発設計
会社HP http://www.i-da.co.jp/

紹介文

市役所に広告が?!」
常にアドベンチャーし続ける飯田電子設計の飯田社長にインタビュー!

ベンチャー企業ではなく、アドベンチャー企業です。

大学時代に電子工学を学んでいました。
また「差別」や「区別」についても勉強していたこともあり、
ものづくりを通してノーマライゼーション(健常者と身障者が共に生きる社会)な社会を
創っていきたいと考えていました。

大学卒業後は研究所で学び、その後自分で事業を始めました。
「人、物、金」がきちんと揃ったら法人化しようと考え、
メンバーも10人に増え体制が整ったところで起業しました。
もう23年前のことになります。

23年の歴史の中で全てが順調だったわけではありません。
聴覚障害者向けの「見栄多」というシステムでは、1億円近い失敗となりました。
これは当社独自の音の技術を利用したもので、映画などをビデオ再生すると
セリフと同じタイミングで字幕が出るという新しいものでしたが、
マーケットが小さかったため失敗しました。プロダクトアウトというものですね。

しかし私たちは諦めず、今度は視覚障害者のための「聞声多」を開発。
これも映画などでナレーションのないシーンにナレーションをタイミング良く
吹き込むというもの。これも研究を重ねて開発したものです。
最近では脳トレと言われるような、「脳に刺激を与える落語」のシステムを販売しています。
諦めずに新しい技術にどんどんチャレンジしていく=アドベンチャーな企業でありたいと思っています。

会社を維持し安定させることが重要です。

私たちはいつまでもアドベンチャー企業でありたいと思っていますが、
挑戦を続けられるように会社の安定をとても大切にしています。
私がものづくりで大切だと思うのは「生産手段を誰が持っているか。」ということ。

たとえば、ソフト開発会社でいう生産手段というのは「1人の技術者」。
技術者1人に生産手段を依存している会社は、その人が辞めてしまうと
生産手段を失うことになり会社が安定しません。
会社を維持し安定させていくために、生産手段を自社で抱えることが大切です。
なので、当社は自社工場を持ち、大手の下請けの仕事は一切引き受けずにやってきました。

AEDで社会に貢献。市役所に広告が?!

町中で良く見かけるようになったAEDですが、まだまだ公共の場に普及していません。
それは、1台何十万と費用が高めであったり、AEDの保障期間が5年間で切れるため
買換えが必要になったりとコストがかかるという面があるためです。

そこで私が考え付いたのがAEDの箱の面を広告スペースにして無料で提供するという仕組みです。
各自治体の条例は厳しく、これまで公共の場に広告を出すことはできませんでした。
しかし、AEDをより広めて多くの命を救いたいという想いで、
まずは本社のある板橋区に何度も掛け合いました。
そして熱意の結果、条例が改正され「広告付きAED」を無料で板橋区に
設置することができました。
これは日本で初めてのことです。現在地方の自治体から問い合わせがあり、
今後日本全国にこのサービスを提供していきたいと考えています。

自分への投資

私は会社への投資はもちろん、自分への投資もしていきたいと思っています。
私にとって60歳というのは、人生の折り返し地点。
60歳の時に勉強をして駒沢大学に入学しました。

学生時代に学んだ電子工学とは全くの別世界である仏教の世界について学びました。
もともと探究心が強い人間だったので、般若心経などから新しい考え方など、
今までにない視点から学べました。
価値判断を高めるためには、自分を高めること、自分への投資しかありません。
限られた時間の中で、みなさん、やりたいことは沢山あると思います。
自分の価値判断の力を高め、限られた時間の中で、
どんなことからやっていくべきか、を考えられる人になりたいですね。

ビジネスにドMな学生の皆さんへ

若い時は無理をして下さい。
120%の力を出さないと得られないものは沢山ありますし、成長していくことはできません。
「苦労は買ってでもしろ」と良く言いますがまさしくその通りで、
年を取ったらできない苦労は若いうちにしてほしいと思います。
皆さん若いうちに頑張って下さい。