代表取締役 大前 創希
設立 | 2002年3月1日 |
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事業内容 |
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会社HP | http://www.creativehope.co.jp/ |
ネットの知識がビジネスになる確信
私が大学生だった頃は、インターネットが始まったばかりの時代でした。
パソコン自体もまだもの珍しく、コンテンツの種類はもとより
「どうやってネットワークに繋げるの?」という部分もわからない人が大勢いました。
私は大学で化学を専攻しており、当時は学科的にパソコンとそこまで関わりがありませんでした。
しかし幼少の頃より父の書斎にあったパソコンに触れていたので、
当時既に情報工学科の友人たちよりも詳しい知識を持っていました。
その為、付き合いのあった社会人からもネット関係の知識を頼りにされており、
質問に答えた報酬としてお金をいただけることもありました。
「これはビジネスになる」と確信しました。
一般的に大学に進学する目的としては2点あり、
1.大学生という自由な時間を使って将来について考える為
2.大学で得た知識をもって就業する為
このどちらかに分けられると思います。
私の場合は前者でした。
在学中にして、既に自分が持っているネット関連の知識が
ビジネスになる確信がありましたし、現に対価をいただく仕事のように
なっている状態でしたので、もはや在学している意味はありません。
卒業まで1年と少しの時間がもったいなく思えた為、大学を中退することにしました。
一時の勘当と対話による和解
大学の中退は親に相談もせず決めたことだったので、
家に届いた大学からの中退通知書を見た父が大激怒。
勘当も同然に家から追い出されてしまいました。
途方に暮れて様々な人に相談したところ、大阪でデザイン事務所を
されている人がいるという情報を掴みました。
その頃、Webサイト制作の腕を上げる上で、デザインの知識を学ぶ必要を感じていたこともあり、
さっそく訪問して勉強させていただくことが決まりました。
そして1年もたたないうちに、そこでお世話になった方からデジタルハリウッドを紹介されました。
当時はこの学校はまだ知名度が今ほど高くなかったのですが、
CGの最新技術が学べる点に興味がわいた為、
杉山知之学長に会わせていただき、見学もさせていただくことができました。
デザインに関しては、独学だけでなく、どこかでより深く体系的に学び、
修業をしなければ難しいと思い始めていた時期でもあり、入学を決意。
親とも話をして自分の将来への方向性を説明し、学校に通う為に家に置いてくれるよう説得。
勘当を解除してもらえたので、試験を経て無事に入学することができました。
当時は珍しいホームページ制作技術がウリに
学校では主に3Dグラフィックスについて学びました。
ここで学んだことを生かすには、ゲーム会社かグラフィックス専門の会社になります。
それはそれで面白そうなのですが、学校に通いながら継続していたWeb関連の仕事が
それなりに評価されるようになってきていました。卒業直後に学長から仕事を依頼された
ことも手伝い、フリーランスで働く意志を確立。どこかの会社に勤めるのではなく
仕事をいただける方々に誠心誠意向き合っていこうと決意しました。
そして、フリーランスになった時に父からプロジェクトを持ちかけられたのです。
父が物書きをしており、インターネットに関する取材もしていたのですが、
やりたい仕事やインターネットの可能性の話をしているうちに、父のホームページを作るよう依頼されました。
著作の表紙をトップページに使おうと思って撮影を試みたものの、本は表紙が光を反射する為
いまひとつ上手く撮れません。いっそのこと3DCGで表紙を作ることにしました。
出来上がったのは当時としては画期的なホームページで、それを見たいろいろな方から
ホームページ制作の依頼をいただくようになりました。
まだホームページを作る技術を持った人が多くない時代だったということもあり、仕事がどんどん増えていき、
気づけば全依頼の中でもホームページ制作が突出するようになりました。
「納得がいかない」出来事から起業へ
そうして仕事をしているうちに、発注形態が個人ではなくBtoBでなくては駄目な事に。
その為、他の企業を介してくれと言われました。
言われたとおりに他企業を介して仕事をしてみたのですが、そこまで仕事をしていない人が、
自分が出した見積もりの倍額を出して仕事を通している、という現実を目の当たりにしました。
「これは納得がいかない」と思ったことが、起業を意識し出したきっかけでした。
さらに、発注側企業が満足のいく仕事をした時も、仲介企業から「君の仕事の報酬は提示した
金額の半分くらいだ」と突然言い出されたことがありました。
タイトなスケジュールを頑張ってこなし、結果も出せた仕事だったにも関わらず、
問答無用で金額を変えられてしまう。
それは個人で仕事をしている以上どうしても降りかかってくるリスクでした。
自分が組織を作って、企業として契約を交わさないと今後もこういうことが起こる、そう痛感しました。
当時、マルチメディアの学校出身の人たちでグループを作っており、
その制作集団をそのまま企業化しようとも思ったのですが、
全員が同じフリーランスの立場の為、リーダーは不在で上手くいきませんでした。
チームは一旦解散し、また別の会社に所属していろいろと指導を受けることにしました。
そしてウェブ業界では有名な企業の社長と一緒に仕事をする機会に恵まれ、
かなり密度の高い仕事をすることができ、お近づきになることができたので、
自分の起業への意志や近い業態の仕事をしたいと思っていること等をお話し、
いろいろ教えてほしいとお願いしました。
その社長からは、
自社で採用はできないけれど起業する意思があるなら出資しよう、と言っていただけたので、
一部出資を受けて会社を設立し、グループ会社としてスタートすることになりました。
社名は自分の創希という名前から取り、英語に直してクリエイティブホープと命名しました。
失敗しない人生が良い人生ではない
「それはお前が責任の取れる行動なのか」
これは私が父から常に言われて育った言葉です。
みなさんには、自分がどういう人生に進みたいのか、
どういう行動なら責任を取れるのかを自分の頭で考えて欲しいです。
親に反対されたからといって諦める必要はないですし、
子どもの失敗を恐れて人生に介入してくる親ほど無責任なものはないと思っています。
親の言うことをきかないからといって関係が悪くなるわけではありません。
子どもの方が親にきちんと自分の意思を伝えることで、
親にも子どもの成長を実感してもらえるよう、きちんと対話することが肝心です。
そもそも、失敗をしない人生が良い人生だとはまったく思いませんからね。
今はまだ、みなさんは何者でもありません。
学生時代に一生懸命勉強してきた、優れた方々なのは間違いない。
しかしそれが、人生で勝負できる土台ができているということには繋がりません。
自分はここで勝負ができるんだ、という自信が得られる何かを持つ必要があります。
現代は適当に過ごしても生きていける時代です。
しかし適当に生きている人には適当な人生しかありません。
自分の人生をどう熱くしようかと考えられる人には、面白い人生が待っています。
誰にも代えられない人材になるべく、自分が優れている・勝負できるポイントを作る、
その為にどう頑張っていくかを考えて人生を楽しんでほしいですね。