株式会社SMG東京 代表取締役 沖野 正樹
設立 | 平成20年9月16日 |
---|---|
事業内容 |
|
会社HP | http://okino-smg.com/ |
学生時代はトライアスロン一筋
私は広島生まれで、大学進学と同時に上京してきました。
学生時代はトライアスロン同好会に所属していて、
社会人になってからも、30歳手前までは大会に出ていました。
最初の就職は、卒業と同時に大手ハウスメーカーに勤めました。
僕は昭和47年生まれで、ベビーブームなので、競争相手も多い。
それで、今ならエントリーシート、当時はリクルートブックの時代でしたから、
ハガキを330枚書きました。
だいたい戻りは1割程度でしたね。
もともと父が広島で広告代理店をやっていたのもあって、
最初は広告系に絞っていたんですけど、なかなか難しくて。
活動も中盤戦を迎えたあたりで、そのハウスメーカーからDMが来たんです。
たまたまそこが実家を建てた会社だったので、
これも共通項だなと思って受けたんです。
当時は、将来に対する目的もそこまで大きく持っていなかった……
というか上京してきたことと、トライアスロン一色という感じで、
ただ大学生活に一生懸命でしたから。
就職、そして転職
入社して、配属になったのは多摩地区の支店。
同期は全部で5人いました。
でも秋くらいから、毎月一人ずつ、どんどん辞めていったんです。
ハウスメーカーですから、お客様個人が相手ですが、
私はどちらかといえば気に入られていた方だったと思うんです。
でも、簡単に言いますと、同期が辞めて人がいないので、
やれ「この展示場に行ってくれ」とか「この支店に行ってくれ」っていうのが、
何か月も続いて。
それでちょっと切れてしまったんですよ(笑)。
当時は、 成績もそこそこあげていて、結果を出しているのに、
なぜこういう待遇なのかがわからなかったんですね。
結局そこは、1年で辞めました。
それから改めて印刷・広告を目指して、中途で求人広告の会社に入社しました。
そこで約15年勤務しました。
人間関係の大切さ
父の仕事を見ていても、この業界は人付き合いが大切な世界だな、
というのは感じていました。
ですから、夜遅くまでの接待とかも百も承知でしたが、
その会社にはなかったんです。
というか、連れて行ってもらえなかった。
それで、入社2年目くらいだったと思いますが、部長に直談判して、
「雑用でも何でもいいから、接待の場に連れていって欲しい」と言ったんです。
外部とのお客様との接待を、経験してみたいと。
その発言したのが上司に伝わったのかわかりませんが、
上司のお客様の個人的な接待にも連れて行ってもらうようになりました。
そこから、人との付き合いを勉強させてもらいましたね。
起業のきっかけ
2008年のリーマンショック以降、業界的にも厳しくなってきたんです。
当時私はアルバイト系広告の部長をやっていたんですが、
メンバーがリストラの対象になってしまいして。
判断は経営陣がしますが、伝えるのは私というアンバランスな状態になり、
何だかモヤモヤとしてきたんです。
でもおこがましい話、私にはお客様もついていましたから、
すぐに辞めるわけにはいかなかった。
それでさらにモヤモヤがつのっていきました。
そんな時、レンタルオフィスビジネスのお話をいただいたんです。
結果から言いますと、即決しました。
それでSMG東京株式会社を立ち上げたのが、
ちょうど1年前、2010年の4月です。
業務内容のレンタルオフィス、バーチャルオフィスという部分では、
最初からパッケージはありました。
でも私がなぜやり始めたかというと、それらをやりながら交流会を運営して、
不特定多数の人が集まるステージを作ろうと思ったからです。
求人業界にいた頃、人事の方同士を会わせるとか、
飲食チェーンの人事部長クラスを束ねた会を作ったりしていました。
そういう自分の癖といいますか、人の集まる場を作ること、
交流会兼事務所の管理人、というような位置に興味が湧いたというのが決め手でしたね。
あと、37歳で独立しようという気持ちがあったことも要因です。
なぜかというと、父が37歳で会社を作ったからという、それだけなのですが。
前社にいた頃、30歳くらいからメンバーを持たせてもらえるようになって、
後輩たちには「37になったら独立するから」みたいに豪語していたので(笑)、
自分の中の固定概念のようになってもいたのかもしれませんね。
会社の価値とは
よく「おまえは何がやりたいのか」と聞かれるのですが、
自分でもまだ正解はわからない。
と言うか、逆行した言い方かもしれませんが、
自分の会社の価値が何かというのは、
常に自問自答してかなければいけないと思っているんです。
レンタルオフィスは、不動産と言えばそうだし、
サービスとも言えなくはない、なかなかわかりにくい業界だと思います。
でも右も左もわからないけど、私は手を挙げて、会社を始めた。
それはある程度、今までのステージで得たことを
土台にしていけると感じたからだと思うんです。
具体的に言うと、お客様との関係ですね。
そこに、やはり私のやりたいことがあることは、変わりないと思っています。
でも実際は、看板がかわったらお客様は
多少は離れてしまわれるかと思ったんですけど、
それがほとんどありませんでした。
本当に、ありがたいことでした。
前の会社の創業者からの教えでもあるのですが、どんな内容の営業でも、
「最初に声をかけてもらえる営業マンになりなさい」という言葉が、
自分の中でもキーワードになっています。
これは、悪く言えば御用聞きかもしれません、便利屋かもしれません。
でも、自分の中ではピンときたし、前社でも会社の枠を越えて
お客様との付き合いを始めていたのも事実としてあったので、
やはり自分の大切にする場所、財産はここにあるのだろうと考えていますね。
雇用機会を作りたい
今後については、小さな夢ができ始めたんです。
それは雇用機会を自分の会社で作ること。
具体的には、自分で営業会社を作りたいという目標があります。
さらには今のSMG東京の商品である、バーチャルオフィスと
ドッキングできる商財の構築ができればと考えています。
あとは、障害者雇用に携わりたいと考えています。
私の親戚にも、軽度ではありますが障害者がいることもあり、
またSMG東京をやり始めて、流通サービス業界に携わる
障害者の方が多いことに気づいたんです。
それは飲食の人事を束ねる会をやっていた関係から
知ったことでもありますが、特に数年前から、障害者雇用に
精通されている方が周囲に多くなり、興味を持ったんです。
それで今、いろいろなシンポジウムなどにも行き始めているところです。
でもいきなりできるわけではありませんから、
まずきちんとした営業会社という母体を作っていきたいですね。
学生への情熱メッセージ
「自分で考える人に」
求人の業務を離れて1年間、SMG東京で
管理人的な仕事をしている訳ですが、
ここにも飛び込の就活でやってくる子が実際にいました。
インナーでインターンをやったこともあるのですが、
その子たちを見ていて思ったことがあります。
それは、若い人に自分で考えさせる場、発言させる場、
そういう風土が少なくなっているのではないかということ。
実際、若い人の情熱が減っているといわれたり、私も感じることもありますが、
それは果たして彼らだけのせいだろうかと思うんです。
我々の世代、さらにはもっと上の世代が作った土壌も、きっと影響している。
発言の機会、失敗の機会……いろいろありますが、経験することで、
その先の目標が生まれてくることもあるはずです。
これは私の考えですが、就活中の方は、今の段階で
強い夢や目標を持っていなくてもいいと思います。
間違えないで欲しいのですが、決してそれは、
目的がなくて良いというわけではありません。
例えば社会に出た1社目の影響は、思っているよりも大きい。
でも就活中にすべてがわかるかというと、わからないですよね。
これは極論ですが、内定をもらって入社したとしても、
すぐ上の先輩によって人生って変わっちゃうんですよ。
でもそれを選んだのは自分。そこから方向修正をするのも自分。
そういった臨機応変さも、これからは必要になってきますし、
そこから学ぶことも多い。
その前段階として、無理に目標を作らなくてもいいということです。
それは、今から見つけていけばいいのですから。
ただ、自分で考えて悩むことだけは忘れないで欲しい。
それがあれば、自信や目標がしっかりと持てる社会人になっていけると思います。