代表取締役 久保田 正明

造研工房株式会社 代表取締役 久保田 正明

代表取締役 久保田 正明

造研工房株式会社
設立 1973年10月22日
事業内容
  • 一級建築士事務所
会社HP http://www.zo-ken.co.jp/index.html

父の想いを受け継いで設計士に

学生時代、特に熱を入れてやっていた事はなかったんです。
ただ、音楽が好きだったので遊び半分で音楽サークルに入り
バンドを組んでフォークソングなどをやっていましたね。

ただ、既に当時から設計士になるんだ、という想いはありました。
理由は建築業界で働いていた父の影響。
残念ながら他界しましたが、子供の頃から常々

『現場の人間は設計士の書いた図面通りに作るしかない。
どうせやるなら設計士を目指せ』

と言われていたんです。
そこで高校時代から漠然と建築科に進み
大学でも建築科で設計を専攻していたんですよ。

いざ就職活動を始めたんですが、当時、丁度オイルショックがあったんです。
今の就活生よりもっと厳しい状況だったと記憶しています。
当時は建築科と言えば花形で就職に困らないと言われていたんですが
現実は仕事が全く見つからなかったんです。
そこで結局、大学の先生のつてをたどって
何とか渋谷のある程度有名な設計事務所に就職することが出来きました。

夢の前に立ちはだかる現実の壁、生きるための転職

今では考えられない事ですが
当時の設計事務所は給料どころか月謝を取る、ということが
まかり通っていた時代でした。
幸い、自分の入った事務所はきちんと給料を払ってくれましたが
最初から給料は遅配、入ったとしても到底生活できる金額ではなく
親から仕送りをしてもらって暮らしていました。
当時は仕事もなかったですし、仕事がなければ覚える事もありませんでした。
何より生活していかなければならないという現実問題がありました。
そこで24歳の時に建売住宅を設計する事務所に転職したんです。

友人たちにはもったいないと言われましたよ。
建売住宅の設計はあまり格が高い仕事ではないためです。
ですが親元に住み生活に困らないので
大きな仕事が出来きる事務所にいた彼らに対し
自分は資金力も人脈もありませんでした。

芸術的な大きな仕事をやりたい、雑誌に載りたいと言う夢は当然あったんです。
ですが、そんなことは100人に一人の恵まれた人しか出来ない
という現実をこの時、突き付けられたんですよね。
ならば大きな仕事が出来なくてもこの事務所で社長を目指し
この会社に骨をを埋めるんだと割り切って腹を括り、方向転換をしました。
この時既に、周囲に『自分がこの会社の社長になるんだ』と話していましたね。

攻めの姿勢でやりたい事を実現、ついに社長に

30代になると腕も付いていたので周囲の甘い誘惑がありました。
自分のところに来ないか、とか仕事をあげるよ、とか。
でも独立したとして2~3人雇うのが精一杯の世界です。
ならば35人もいる大人数のこの事務所でトップに立ったほうが
楽しいと考え、社長になる事に狙いを定めたんですよ。

そこである日社長に詰め寄ったんです。
自分はここの社長になれるのか。なれないなら出ていく。
自分の人生だし他のところに行くなり独立するなりして好きな事をやる、と。
もう半分脅しです(笑)。社長は驚いて、も、もちろん考えているよ…と
答えを返してきました。してやったり、という気分でしたね。

ただ、当時事務所は都内で通勤が大変でしたし
折角結婚して子供も生まれたのに帰りは12時過ぎ
休日も仕事、という状態でほとんど家族との時間が取れなかったんです。
家庭を犠牲にしてまでこの仕事をやる価値はあるのか、と考え
今度は自分の通勤が楽で、仕事もある横浜にも事務所を作ってほしいと
とんでもないことを直訴したんです。

すると社長は、それもありだな、とあっさり。
提案を受け入れてくれ横浜に分室を設立してくれました。
自分は7人の設計士を連れて分室のトップに立つことになったんです。
今考えると、どこまでも生意気な社員だったと思います。
ですが横浜の分室では自分の天下(笑)
好きにやれたので本当に楽しかったですし、有意義に過ごせました。
この分室でトップとしての経験を積み
最終的に35歳で社長に就任することが出来ました。

社員に独立を推奨する理由、独立しても生活に困らない秘密

弊社の社員には実力がついてきたら分室を作り
独立採算でやれと常々話をしています。
最終的には独立してもらうつもりです。

設計士はみな、自分の事務所を構え一国一城の主となり、
思いのたけをぶつけて仕事をしたいと誰もが思っている世界です。
一方私は、独立は会社にとっても辞めると言うことではなく
場所を移して全国に広がっていくという考え方を持っています。
現に全国に自社を卒業した人間がおり、活躍しています。

それが出来るのはハウスメーカーが一番のお客様だから。
ハウスメーカーは全国に展開しているので
一緒に仕事をさせてもらえば一通りの技術が身につきます。
メーカー側からしても自社の仕事内容を分かってくれる人材が望ましいので
今度自分のところの人間が独立するので使ってやってもらえませんか
というと喜んで使ってくれるんです。
お互いにとって良い結果を生むんですよね。

全国にネットワークが出来れば、サポートも出来ますし
逆にヘルプもしてもらえます。独立した人間に仕事がなければ
こちらの仕事を回してあげる事が出来ますし
逆にこちらが忙しければ手伝って貰うことも出来るんです。
こうすれば独立しても生活に困ることは無くなるので
独立の敷居が低くなりますよね。

弊社に勤める人間は地方出身者が多いんです。
いずれは親のいる地元に帰るでしょうから
帰りやすい環境を作ってあげたいと思っています。

軸がぶれていませんか?夢を忘れていませんか?

今の就活生を見ると、ポリシーやビジョンを持っていないように感じます。
軸がぶれているんですよ。せっかく建築を学んでいても
全く別の会社も受け、別の仕事に就いていたりします。
どうせやるなら自分のポリシーとビジョンを持って
是非建築関係の仕事に就いてほしいと願っています。

実際、全く違う仕事をしていたけれど
やはり建築の仕事がしたいという中途入社希望者も多いんです。
しかしそれは現実問題、難しい話。
そんな回り道をしていたら時間も勿体ないです。
ならば最初から設計事務所を目指してほしいと思います。

昨今、就職が厳しく何とかして仕事をしたいという気持ちは
痛いほど分かるつもりです。私自身、生活の為に転職をしましたから。
でも夢を捨てず、しっかりビジョンを持って就職活動をしてほしいですね。

座右の銘

『ビジョンを持たないと人の上には立てない』

ビジョンをもって人生生きろということです。
若いころから生き様ストーリーを作って生きてきたから今があります。
目先の事だけを考えているようではダメ。
先を見据えてそこを目指していくことが成功への近道です。