代表取締役 宮本 豊彰
設立 | 1997年 |
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事業内容 |
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会社HP | http://www.miyamoto-kagu.net/ |
「家具」の道を選んだわけ
祖父がもともと桐ダンスの工場および店舗を経営しており、
おじいちゃん子だった僕は幼いころからすでにかんなを握り
祖父の見よう見真似で遊んでいました。
小学三年の頃からですね。
何か自分の作品を世に提供したいなという思いはその時からもっていました。
中学、高校と進んでもその想いは変わらず、ぶれることはありませんでした。
ゼロからの起業を決意
自分で会社を立ち上げることに関しての周囲の反応というと、
母親は祖父の職人姿から商売もままならない姿を見てきたので、
良くは思われませんでした。
母親からはふつうに会社勤めをしろといつも言われていました。
そんな中で、賛成し応援してくれる方もおり、大きな支えになりました。
実は学生を終えてそのあとすぐに家具屋を継ぐ予定でした。
そのために、学生時代にアルバイトをし開業資金を貯めました。
しかし高校の時に祖父が他界。
ちょうど就活をされているみなさんぐらいの時には、
祖父の残していった債務を抱えてしまいました。
もう、毎日過酷でしたね。
だからほとんど寝ないぐらいの勢いで夜もずっとアルバイトしてお金をつくりました。
祖父の残していった債務はありましたが、私の起業はそこからのスタートでしたね。
最短の営業活動
祖父の他界から、私の生活は一変しました。
遺された債務と、待っていても誰も来店しない店舗。
今ではあまり見かけなくなりましたが、
商店街によくあった「ザ家具屋」そのままでしたからね。
商店街の衰退により当然来店もあるはずがありません。
「なんとかしなくては」
そう気づいた時には祖父が残していった「顧客台帳」手にしていました。
待っててもお客様が来ないのであれば、こちらから出向けばいい。
そう考えた私は、顧客台帳を洗いざらい見て、
自分からお客様のところへ出向き、家具の修理を打って出ました。
毎日、お客様のお宅に自分から出向き、テーブルの磨き直しや、塗装の直しなど。
もちろん修理代金は無料。また何かあった時に注文してもらえるように。
ただその思いだけが私を動かしていました。
顧客台帳の個人客以外では、住宅メーカーへもアプローチをしました。
備え付けのテレビボードなどがターゲットでした。
もしかしたら自分で作れるかもしれないと考えての行動です。
その時は一通り断られましたね。心を何度も折られました(笑)
やはり「行ける!」という確信を持って行った時に断られる。
その心の折れ具合は半端ないですね。
一人も見向きもしてくれませんでした。
しかし、当時やれることと言えば、外の営業活動しかありませんでした。
僕には当然お客様というのはいないので、こちらからお客様のお宅を一軒一軒まわって
何か必要なものがないかと訪ね歩いていました。
それくらいの頃ですかね。
何かこういうのほしいから・・・というお客様からの反応が出始めました。
効果は少しずつありました。徐々に徐々にですが少しずつ現れ始めました。
電話でこういうのほしいんだけどというお客様はかなりの確率でいました。
やはり、外に出て一軒一軒訪ね歩くということは最短の営業活動だったかもしれないですね。
祖父が残した債務は厳しいものでしたが、「顧客名簿」というのは本当に財産でしたね。
人生を変えた出会い
実は三年間ほどサラリーマンの経験もあります。
理由は、開業資金を貯めるため。
当時は、誰よりも多く働いたという自負はあります。
平均睡眠時間は2時間ほどでしたから。
そこで過ごした三年間が、転換点の一つでした。
その職場での経験と出会いが、後に自分の商売を軌道に乗せることに
つながっていったのです。
サラリーマン時代に得ることができた信頼とご縁が、
僕の人生に大きく影響を与え始めました。
退職後に再開した営業活動において、僕を信頼して仕事を頼んでくださる
お客様が増えたのです。
サラリーマン時代の同僚の方から人の紹介があったりなど、自分を信用して下さる
新たなお客様が増えていきました。
当時のお客様というのは自分にとっては本当にかけがえのないお客様です。
いつか必ず恩返しがしたいなと思っていました。
それが今カタチになる予定です。
祖父の残した借金を返済。新たな転換点へ
誰も来なかった店舗にも来店が増え始め、軌道に乗り始めました。
そうこうしているうちに、当初アプローチしていた住宅メーカーからも
依頼が増え始めました。
モデルハウスのコーディネートです。
こだわりをもって商売をしていると自ずと伝わったのかもしれません。
見向きもされなかった家具屋が県内はまだしも県外からも依頼が
飛び込んでくるようになったのです。
インテリアをトータルで提案できる家具屋。
当時は珍しかったのかもしれません。
早く脱却したいと思っていた債務も軌道に乗ったことで先回りで全て完済。
祖父が他界し、ずっとあった呪縛から解き放たれたとき、
幼少の想いが蘇ってきました。
「自分の作品を世にだしていきたい」
それが今の「AF」というオリジナルブランドの誕生に繋がっていきました。
今では、弊社「AF」を取り扱っていただいている店舗様は全国に約40店舗。
相互の良い循環により、店舗にも多くの来店があるようになりました。
オリジナルブランド「AF」は、弊社の「こだわり」の象徴です。
このこだわりに共感していただいている店舗様が全国に40店舗もあるということは、
私の大きなモチベーションにも繋がっています。
自分に自身とこだわりと家具への愛情がある方は
ぜひ弊社にもチャレンジしてみてください。
どんな人材がこれから必要か?
毎年2名の新卒者採用しているのですが、
実は今まで一度も求人を出したことはありません。
弊社のホームページの隅のほうに小さく、
新卒採用情報、という欄があるのですが、それだけです。
本当に弊社に興味を持ってくれる人でなければ求人情報にたどり着かない。
そんな情熱のある人材がほしいんです。
やはり、自分のやりたいことが明確で、自分でそれを見つけ出してきた。
そんな情熱のある子がほしいですね。
毎年50名ほどの新卒者の応募がありますが、
面接の中であの手この手で試していることがあります。
それでも「やりたい」と言ってくれる人材がほしい。
弊社では、入社一年目であっても、お客様への提案、プランニングなど、
重要な仕事をしていただいています。
失敗すれば顧客や受注を失うことにもなりますが、成功した分だけ
成長も早くなると考えています。
スタッフの成長が会社の成長・収益をもたらす。
そう考えています。
中には「起業したい」という目的をもった学生もおられますが、
何かを得ようとする志が高くて、むしろプラスに評価しています。