代表取締役 山田 浩
設立 | 昭和60年3月 |
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事業内容 |
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会社HP | http://www.rinproject.com/ |
起業のキッカケは海外発注
私が最初に就職したのはアパレル業界でした。
業界に入ったのは友人に誘われた先が縫製工場だったからで、一種の偶然ですね。
しかし紆余曲折ありつつも今もアパレルに関わっている今の状態を考えると、
適性のようなものはあったのかもしれません。
アパレル業界では縫製工場から始まり、一通りの経験を積みました。
その後、新しいチャレンジをしたくなり、いったん仕事を辞めてヨーロッパで学んだのです。
実は、起業のキッカケとなったのは海外からの発注でした。
ヨーロッパで学んだことを生かしインテリアコレクションのプレゼンをしていたところ、
アメリカの会社から注文をいただいたのです。
ここで問題が生じました。
商品を輸出をするためには特別な許可が必要なのですが、
この許可が法人に対してしか下りなかったのです。
そこで必要に迫られるという形で昭和60年に法人化をしました。
法人化が必須だったという状況もあり、
起業そのものを強く意識することはありませんでした。
時代の荒波に乗って揉まれて
起業して一年目はアメリカの会社からの発注もあり、順調でした。
ところが二年目になって『プラザ合意』が行われ、
当時1ドル220円だったのが突然100円前後に、
超円高になってしまったんです。
当然、輸出は大打撃で、注文がゼロになってしまいました。
そこで、インテリアから方向転換し、
アパレル業界で培ったスキルを生かしたOEMを始めました。
ここで改めてファッションの面白さにのめりこみましたね。
DCブランドを中心に、雑貨系なども作りながら事業を展開していきました。
この形態の業務は2000年ごろまでは順調だったのですが、
バブル崩壊後の社会情勢の変化もあり、
次第にOEMの問題点が目に付くようになりました。
そこで「また別のことをやってみよう」と思い立ち、
自転車用のグッズを作るようになったのです。
「好き」からたどり着いた新しいスタンス
なぜ自転車用品なのかというと、もともと私が自転車に乗るのが好きだったからです。
通勤も自転車通勤ですし、月に何百キロと走ります。
すると、自転車好きの目線から「こんなものがあったらいいな」と考えるようになるんです。
しかし、自分が欲しいと思うような自転車用品はなかなか見つからない。
そこで「ないなら自分で作ろう!」という発想に至ったというわけです。
弊社が作る自転車用品には、他の会社とは違う点が二点あります。
ひとつは「マイナーチェンジをしながら同じ形のものを作る」ということ。
もうひとつは「デザインはトレンドを追いかけるなどはせず、こちらに任せてもらう」ということ。
自転車用品を作り始めたころはOEM時代に集めた生地などが山のようにありましたから、
その生地から商品を作っていったのです。
当初はデザインや色は選べずこちらにお任せという形式でした。
『型は一緒』『柄は二つとして同じものはない』という特徴は
今のワンシーズンで流行が移り変わるファッションとはまったく違うスタンスですね。
そして、生地がなくなったタイミングで、海外の工場に外注するようになりました。
しかし、東日本大震災を体験し、
外注ではなく自分たちの工場を持ちたいという気持ちが強くなったのです。
ものづくりが高齢化に立ち向かうために
今、日本の工場は高齢化という大問題を抱えています。
私たちが仕事をお願いする職人さんも軒並み60代や70代です。
このままでは、いずれ日本でものが作れなくなってしまう。
日本のものづくりの技術継承のためにも、
日本の若者が働けるファクトリーを作ることが急務と考え、
水面下で準備を進めているところです。
また、これにはもうひとつ大きな役目があります。
それは若者の雇用の創出です。
今、デザイン系の専門学校を卒業してもそのスキルを行かせる職場がない若者がたくさんいます。
今までの『工場』といえばブラウスの縫製ならブラウス縫製だけというように、
ひとつのことだけをやっていく工場がほとんどでした。
そういうところではせっかく学んだスキルを生かせなくなってしまう。
そうではなく、企画からデザイン、パターン作成から縫製までトータルにできる、
本当の意味での『ものづくりをする』ための工場を作りたい。
また、工場では商品の種類を統一せず、
ブラウスもパンツもバッグも作れるような環境を整えたいと思っています。
日本の職人さんが減ってきた背景には高齢化ともうひとつ、
『ひとつのことに特化しすぎた』ことがあげられます。
もちろん特化することで深みも生まれるのですが、
これからはその深みだけを追い求めるのではなく、
企画から販売までを一手に引き受けられる、
一通りのものをきちんと作れるようなトータルの実力が問われます。
そして、その力が身についた人こそが自分でものづくりができる。
言い換えれば、どこでもやっていける、自立ができる。
そのスキルこそ日本のものづくりの活路を拓く方法だと思います。
学生よ、『自立したもの』を作れ
学生さんに訴えたいのは『机上論にとどまるな』ということです。
『ものづくり』とは『作品づくり』ではありません。
『ものづくり』の原点にあるのは、お母さんが子供のためによだれかけを作ったり、
孫がおじいちゃんのためにちゃんちゃんこを作る、そういうところにあります。
例えるなら、お母さんが握ってくれたおにぎりとコンビニで買うおにぎりの違いです。
この違いを大事にしてほしい。
自分の手でおにぎりを握る、それが『自分で作る』ということです。
そして、何よりも「これがやりたい!」という気持ちをしっかり持ってほしい。
今は安定志向、大手志向と言われますが、
本当に「受かればいい」のか、自分はそこで何がしたいのかを問い続ける。
『安定』なんて、実際はどこにもありません。大手企業だって倒産します。
そこで誰かのせいにするのではなく
「自分でやっていくんだ」という強い意志、自立心を持ってください。
私の会社には『ボス』と『アシスタント』しかいません。
『ボス』とは企画立案から販売まで自分で考えて生み出す人、
『アシスタント』とはボスの状況をしっかり把握し、
的確なフォロー、サポートをする人のことです。
ぶら下がりの指示待ちサラリーマンはいませんし、いりません。
こう言うと大変に思うかもしれませんが、
『ボス』となった人はたとえ会社がなくなったとしても、
自分の力でやっていける実力を身につけています。
共同作業ではあるけれど、もたれあうのではなく『自立しあう』。
それを目指して頑張ってほしいですね。