代表取締役 吉元 誠二郎
設立 | 2003年1月 |
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事業内容 |
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会社HP | http://www.cotsaca.com/ |
何事も自分で動いて体験することが大事
私は、いわゆる団塊の世代で、大学時代は学園紛争の真っ只中。
学生運動には加わらなかったものの、
新聞部だったので、取材で動き回っていました。
ちょうどその頃は、沖縄返還問題で国が騒いでいる時期でしたね。
しかし私には、「沖縄返還」と騒いでいるけれど、
沖縄とはどんな場所で、人々がどんな生活をしているのか、
ということを私はまったく知りません。
それならば実際に自分の目で見てみようと、沖縄に行くことを決意しました。
沖縄では琉球大学の学生と議論をしたり、
基地問題を目の当たりにしたり、
深夜、エイサー踊りの練習に加わったりと、様々な体験をしました。
そこで感じたのは「本島(ヤマトンチュー)とは違う沖縄(ウチナンチュー)文化の独自性」。
単純に「沖縄返還」と言うだけでは片付けられない部分があると心で感じる事が出来ました。
実際に触れる素晴らしさを感じた私は、次に韓国やインドを訪問。
特に高校時代よりインドには興味があり、様々な本を読んだり、
ヒンディー語も2~3年ほど習っていた時期があったので。行ってみよう!と決意。
実際にインドに行ってみると、想像を超えた信じられない世界でした。
「貧しい」なんて簡単に表現できるものじゃありません。
ホームレスで道が埋まっているのです。
そのような現状には、カーストの歴史や宗教的な思想、
植民地化などが背景にあるのだと肌で痛感しました。
海外と関わりのある仕事を求めて
大学卒業後の就活では、海外に触れてきた体験を生かすことができる仕事を探しました。
まずはインドに関連する職を希望していましたが見つからず、
最終的には、香港に支社がある商社に内定を頂きました。
この商社で担当したのは繊維部門。
ところがそこで配属されたばかりの研修中に見たものは、
「少しでも糸がほぐれていたら廃品になる」という事。
インドでは着る服がない人が大勢いるにも関わらず、
自分はこんな仕事で良いのかと疑問を感じ、
自分の価値観から離れ過ぎていたので、
1ヶ月も勤めずにその商社を後にしました。
「海外と関わりつつ、人を相手にする仕事が自分には合っている」
そう感じた私は、海外への視察旅行を専門とする旅行会社に入社する事にしました。
そこでは、官庁や大手企業などの視察旅行を扱っていたのですが、
しばらくしてオイルショックが起き、
お付き合いをしていた会社様が、経費面の問題で、
今まであった視察旅行が減少してしまい、会社が傾いてしまったのです。
しぶしぶ次の会社へ転職することを決めましたが、
「海外」「人」という部分が自分に合っているという考えは間違ってはいなかったと感じました。
お客さんの喜びが、自分にとっての喜びであることを実感
その後に勤めたのが京王観光という会社。
ここでは営業職を行い、
一日に何十軒もひたすら飛び込み営業をしました。
企業や学校を回って慰安旅行を売り込んだり、
日帰り旅行の営業もしましたね。
最初の頃は、自分の価値観と違うのではないか?と考えていました。
以前は大手企業などから海外への視察旅行を扱っていたのに、
今や慰安旅行ではヤカンを持って、おじいちゃんとおばあちゃんにお茶をついで回る。
当時はどうにもプライドが許さず、本当に辛かったです。
しかし、そのうちに気持ちが変わってきます。
おじいちゃんとおばあちゃんは、この旅行のために
1年間お金を貯めて楽しみにしている。
幼稚園児は、てるてる坊主を作って遠足を心待ちにしている。
そういったお客さんたちの気持ちが分かってきて、
私自身もこの種の添乗にも喜びを感じるようになりました。
オリジナルの語学研修プランを作り上げる!
その仕事にやりがいを見出して頑張っているうちに、
スポーツ選手の海外遠征などの仕事も入るようになり、
さらに学生ホームステイの語学研修も始めるようになりました。
京王観光で語学研修を始めた30年前は、
ホームステイというと、アメリカ人が、ボランティア活動の一環として
外国人を受け入れているのが主流でした。
しかしある私立女子高の校長先生から、
もう少し文化的要素の強い、例えばマナーなども学ぶような、
ヨーロッパでのホームステイができないだろうかと打診があったのです。
そこでイギリスの語学学校と提携して、
サマースクールという形で語学研修をやろうと。
しかし2、3年やっていくうちに、
内容的に満足できない部分が色々と生じてきます。
まず、向こうの学校のプログラムなので、
こちらの要望が取り入れてもらえないこと。
それと、必ずしも日本人の英語力を考慮したプログラムではないこと。
それらを考えた時、何も向こうの主導でなくとも、
自分たちでできるという思いに至ったんです。
こちらがイギリスの学校を夏休みの間に借りて、
カリキュラムは日本の学校の事情や希望に合わせて、オリジナルのものを作る。
そして、学校が休みで時間が空いている講師を、地元で集める。
このようなオリジナルの語学研修プランを、私が責任者となって始めました。
風のように国境を越えて活躍できる人になってほしい
その後も語学研修をメインとして、
海外関連の仕事に携わって約30年が経ち、
55歳を迎えた頃に京王観光を退職しました。
早期退職をすると補助金が出るからです(笑)。
そして「コッツウォルズ・ウィンド・アカデミー株式会社」を立ち上げました。
この会社の業務内容は、京王観光の下請けとして
「語学留学」の手配を行うことです。
京王観光では語学研修の他に、1年間の語学留学もありましたが、
生徒さんを1年間お世話するには、時間もマンパワーも不足していました。
それでその部分を、私の会社で引き受けましょう、と。
現在は、京王以外にも大手旅行社のこの種のプログラムのお手伝いをしています。
社名の「コッツウォルズ」は、語学研修・留学先である
チェルトナム市がある地方の名前で、
「ウィンド」は風、「アカデミー」は学校という意味があります。
つまり「コッツウォルズの風の学校」です。
風というのは国境をも越えて吹いていきます。
バリアも何も関係なく吹いていくのが風。
これからどんどん社会が国際化していく中で、
風のように国境も壁も越えて、勢いよく飛び立っていく、
そんな感覚を持つ人間を育てていきたい。
「コッツウォルズ・ウィンド・アカデミー」という社名には、
そういった私の思いが詰まっています。
ホームステイは国際的な感覚を身につける近道
「国際化」とは何かというと、問題解決の力まで
身につけること。
英語が上手いだけではなく、何か起きた時に
問題解決のための主張ができて、交渉力もあること。
これが重要なんです。
この力を身につけるには、ホームステイが効果的です。
実際に外国の家庭で、現地の人と生活をしてみると、
日常生活、食べる物、着る物など、様々な部分において、
日本とは価値観が違うと実感します。
それが異文化を学ぶことにもつながり、
時には日本の良さを再認識することもあるでしょう。
このように、多角的に文化やライフスタイルを学ぶことは、
一つの突破口になるはずです。
特に当社は、イギリスに特化しているので、
正統派のきれいな英語を学ぶことができます。
そしてホームステイ先は当社が厳選した家庭で、
当社の研修・留学プランで行く学生しか滞在しません。
このクオリティの高さも当社の強みです。
学生へのメッセージ
最近では海外旅行もイヤ、留学もイヤという学生が増えています。
しかし、そんな内向的ではいけません。
ビジネスの世界に入ったら、他国との競争の中に
否応なく放り込まれるのですから。
その中でやっていくためには、やはり自分で外に出ていって、
様々な経験をするべきなのです。
日本に留まっていようなんて考えないで、
もっと自分自身の視野を広げて世界を見る学生が増えていくと良いですね。