代表取締役社長 遠藤 哲也

株式会社ウィークス 代表取締役社長 遠藤 哲也

代表取締役社長 遠藤 哲也

株式会社ウィークス
設立 昭和60年12月12日
事業内容
  • TVCM 企画・制作
  • ビデオソフト 企画・制作
  • キャラクターの商品化権利取得及び管理
会社HP http://www.week-s.co.jp/

幼い頃から抱いていた、映像制作への憧れ

私が小学校に入った頃は、マンガやアニメ、特撮などが
ちょうど出始めた時期でした。
だから私たちの世代は、それらと一緒に成長したと
言えるかもしれません。
今のように娯楽が多い時代ではなかったので、
テレビ番組や年に何回か連れていってもらう映画を
本当に楽しみにしていました。

私は特に、ゴジラなどの怪獣映画が好きだったんです。
小学校3年生の時の文集には、将来の夢として
「怪獣映画の監督になる」と書いていたくらいですから。
その頃はマンガも好きで、絵もたくさん描いていました。
映画監督に憧れる前は、マンガ家になりたいと
思っていたほどです。

それもあって中学では美術部。
映画が好きとはいえ、中学生では映像を扱う機材などは
手に入れることはできませんでしたから。
高校生になってやっと、バイトをして8ミリカメラを手に入れ、
映像を撮って編集して1本に仕上げる、といったことを
友だちと一緒にやり始めました。
制作したものを文化祭で発表をしたりもしましたね。

大学のサークル活動で強めた映画への思い

大学に関しては、やはりそういった方面、日大芸術学部や
各大学のマスコミ系の学部などを受験するも、全て落ちてしまい、
1年間の浪人生活を送りました。
その中で様々な大学について調べてみたところ、
そういった分野の学部の卒業生でも、一般企業への就職が
意外に多いということが分かったのです。
それで、「学部と就職はあまり関係がないんだな」と考えるようになり、
浪人生活を経て、明治大学の経営学部に入りました。

大学では、映画と演劇をやっているサークルに入部。
このサークルは、映画か演劇のどちらかでの活動でしたが、
映画を作る際には、演劇部の人が出てくれたりと、
皆で協力し合っていました。
「高校の頃から8ミリ撮ってました」みたいな人が集まっていて、
先輩たちも面白くて熱心でしたね。
当時は自主製作映画がブームで、他大学との交流もあり、
さらにプロの現場を見るチャンスもあったりと、
それまで脈々とあった映像、映画への思いが大きくなりました。

CM制作の会社にて、多くのことを学んだ日々

就職は、やはり映像の分野を希望していましたが、
今と違って、映像関係の仕事というと映画かCMという感じでした。
私は映画の仕事をしたかったのですが、
当時は不況ということもあって、新卒の募集はなかったのです。

そうなるとCMの制作会社ということになります。
CM制作の会社で、監督のような仕事をしたいのであれば、
「演出部」の試験を受けて入らなければいけません。
しかし演出部は、どうしても狭き門。
演出部の試験で受けた会社は落ちてしまいました。

そこで、「まずはとにかく業界に入ることが大事だ」と考え、
演出部よりは裏方的な仕事にはなりますが、
「制作部」をいくつかの会社で受けることにしたのです。
そして、当時はかなり大手だったCM制作プロダクションに
入社することができました。

その会社は、社内にたくさんのパートがありました。
制作や演出だけではなく、撮影部、照明部、美術部、編集部、
さらにアニメーション部門、ロケバス専門の部署もあるのです。
監督もいて、社内にスタジオもあったので、
まるで小さな撮影所のようでした。
そういった環境で、楽しく厳しく仕事を教えてもらったのが、
今の私のベースになっています。

小さな会社に転職したことで、さらに「現場」を学ぶ

そのCM制作プロダクションでは、上司にも先輩にも恵まれて
楽しく働いていたのですが、徐々に「長くいる会社ではない」と
思うようになってきました。
というのも、社員に対してかなりきつい会社だったので、
毎月1回は送別会があるような状態だったからです。
私よりも10年上の先輩の給料を聞いて、
長く勤めてもあまりいいことがない、一生いる場ではない、と。

そうこうしているうちに、直属の上司が他社に引き抜かれて、
急に辞めてしまったのです。
とてもよくしてくれた上司でしたし、辞めそうもない人だったので、
その時には頭が真っ白になりましたね。
だから、しばらくしてその人から、「うちの会社に来ないか」と
誘われた時には、二つ返事で会社を移りました。

転職先の会社は20人ほどの会社で、前の会社とは全く違いました。
人数が少ないから、何でも自分一人でやらなければいけません。
まさに「実地」「現場」という雰囲気でしたね。

3年ほど経った頃、私を引っ張ってくれた元上司が独立することになり、
それについていくかたちで、この会社は辞めました。
その元上司が、私や他の人間を集めて創業したのが、
株式会社ウィークスです。

これからすべきことは、人材を育てていくこと

当社は、今年で創業27年目。
私は6年ほど前に、創業者からバトンタッチをされて
社長に就任しました。

そういった経緯なので、私はもとから起業意識があったという
人間ではありません。
ずっと全力で走り続けてきたというわけでもないので、
ベーシックな部分でも、まだまだやるべきことが、
たくさんあると思っています。

今はそれほど現場には出ておらず、現場は若い人たちが
やってくれているので、そこを大事にしていきたいですね。
そのためには、若い人たちを育てていかなければいけません。
特に新しく入ってくる人たちは、いくら大学や専門学校で
映像をやっていましたといっても、プロの現場という意味では「ゼロ」。
だから我々が一人前にしてあげたい。

理想としては、当社で全うしてもらえたらいいのですが、
なかなかそうもいきません。
育ったところで辞められてしまうという悔しさも味わってはきましたが、
最近は、「うちに残らなくても、業界に人材を残せればいいかな」と
考えるようになってきました。
「ウィークスの人間は使えるよ」と評価されたら嬉しいかな、と。

学生へのメッセージ

どのような仕事でも、つらいこと苦しいことは、たくさんあります。
それをどう乗り越えるか、どうモチベーションを保つかと考えると、
やはりその仕事が好きだと、何とかやっていくことができますし、
頑張ることもできるのではないでしょうか。

だから仕事は、気概をもってできることを選ぶのが一番。
つらさや苦しさをカバーできるのは、「なりたい」という気持ちですから。

ただ、望んで始めた仕事でも、初めのうちは雑用ばかりということも
あるかもしれません。
我々の業界でいえば、新人はとにかく先輩の指示で働きます。
複数の先輩から様々な指示がくるので、自分の時間はなくなりますし、
最初はゴールも見えない状態で働かなければいけません。
それは本当に、体力的にも精神的にもつらいと思います。

しかしそれも初めの半年、1年がヤマなのです。
そこを乗り越えると、徐々に裁量で動くことができるようになり、
ゴールも見えるようになってきます。

要は、「この仕事で頑張る」という気概を持つことが
大切なのではないかと、私は思います。