代表取締役 釼持 雅幸

株式会社 流通研究所 代表取締役 釼持 雅幸

代表取締役 釼持 雅幸

株式会社 流通研究所
設立 1992年2月
事業内容
  • 第1次産業(農業)の振興
  • 商工観光振興・新産業の創造
  • 各種社会調査・マーケティング調査
  • 各種施設の設計監理
会社HP http://www.ryutsu-kenkyusho.co.jp/


バブル期の上場企業を経験。

私は、自分が社長になるとは夢にも思っていませんでした。
「自分は日本一のコンサルタントになりたい。」
そう思っていました。
さまざまな経緯があって、現在のポジションとなりましたが、
基本姿勢は変わっていません。
最初の就職は、ある上場企業に新卒で入社。
その頃はバブル期で、どう転んでも生きていけた時代。
そのため、私も不真面目な若者でした。
何もできないのに大きな口ばかり叩いていましたね。
けれども、どうせ組織の中に居るからには、いつかのし上がってやろう、
という向上心は持っていました。
ある時、酒場で飲んでいると、横で上司の悪口ばかり言っている年配の方がいる。
よく見てみると、自分の会社の取締役でした。
何十年も勤続して、
ほんの一握りの人間しかなれない上場企業のトップになったとしても
この様かと思うと、会社を辞める決心がつきました。

志は高く、「平成の二宮金次郎」に。

退職後、27〜28歳の時に、
青年海外協力隊として南米ホンジュラス共和国の農村開発の仕事に従事しました。
私はもともと、神奈川県の小田原で400年以上続く農家の一族です。
国際協力に興味があり、また、
「自分にしかできないフィールドって何だろう?」
と模索していた最中に出会ったのが、その活動だったのです。
ホンジュラスは発展途上国で、農業や農村のしくみが全くできていませんでした。
ある者はどんどん富み、ある者はどんどん餓えていく。
そんな構図を目の当たりにし、課題への対策とシステム構築に奔走しました。

そして帰国して気づいたのは、日本の農業システムも同じだという事でした。
このままでは、日本の農家や農村、地域が衰退してしまう。
両国を俯瞰した時に、その課題解決が自分の使命だと認識しました。
私の郷土である小田原は、江戸時代に活躍した人物、
二宮金次郎の出身地でもあります。
彼は、各地の農村開発や復興をおこない、農業を産業として変革した、
今でいうコンサルタントでした。
私はいつしか、
「平成の二宮金次郎でありたい」
という志をもつようになりました。

農業コンサルタントとしてデビュー。

そこで農業コンサルタントとしてのノウハウを蓄積していくため、
(株)富士経済というコンサルティング会社に転職しました。当初から、
「ここで終わらずに、ステップアップしなければ」
と志を高く持ち、約7年間さまざまな経験をさせていただいた後、退職。
コンサルタントとしては唯一の国家資格である「中小企業診断士」の資格を取得しました。
その後、現在の会社である流通研究所の「コンサルタント募集」の広告を見つけ、入社。
自分がプロのコンサルタントとして、小さいながらも一つの企業の運命を握るという事に、
重責を感じつつ、やりがいを覚えました。

最初は、農業界におけるコンサルタントのニーズがどこにあるのか、
農業振興を仕掛けるには、まずどこに働きかけるのかもわかりませんでした。
手探りのなか、市町村長や県の実力者、職員とタッグを組んで
一緒に仕掛けていくという構図ができ上がってきました。
現在は、各種農業振興に関するコンサルティングや戦略策定、
マーケティング調査のほか、農産物直売所の整備や開設も、
弊社の十八番のひとつです。
私たちが手掛けた地方の直売所で、年間5億円の売り上げを出した所もあります。
その他には、商店街の活性化をはじめ、
大手スーパーの出店計画や商品計画などの受注も行います。
目に見える成果が出始め、「流通研究所に頼んだら間違いない」という評価が、
全国的に知れ渡るようになってきました。

会社再建への道。

実は、会社としては経営危機に陥った時期がありました。
私は46歳の時、会社を立て直すために代表になることを決断したのです。
「会社を再生するために、私を中心にして本気でやれるか?」
という決意に、私を含め当時コンサル部門にいた7人全員の社員が付いてきてくれました。
社員全員が必死に働き続けて2〜3年、ようやく経営面が安定し、
企業らしい姿に再生する事ができたのです。

世の中には、コンサルティング会社やコンサルタントは、掃いて捨てるほど存在します。
そんな中でうちが生き残っていくためには、
農業という専門性を武器に戦っていかなければなりません。
そして、「流通研究所が入ったところは、必ず再生する」
という実績を残していかなければなりません。
もちろん、主人公は現場の人たちです。
地域の人達と一緒に考え、悩み、ひとつの目標を達成する。
その後は、地元の人が主役となって、自走していってもらう。
そんな「成果主義」と「現場主義」を徹底していきたいと思っています。

会社、そして個人としての将来の展望。

代表となったとき、私は会社としての3つのステップを考えました。
第1期は会社の再生。
第2期は全国的に信頼を広め、ブランド力を高める。
第3期はコンサル集団「平成の二宮金次郎」としての具現化。
現在の会社のステージは第2期。第3期へステップアップするための準備段階です。

「流通」とは、川上(産地)から川下(消費地)への
「ひと」「もの」「かね」「情報」の流れを意味します。
素材をつくる人から流通をおこなう人、販売する人、それから消費者。
私達の会社は、関わる人たちすべてが豊かになれる
社会構造をつくっていきたいと考えています。
私個人としては、農林水産省や県、市町村の各種委員なども
歴任させていただいていますが、今後もさまざまな役割を担い、
国の農業政策を左右するだけの人材になりたいと思っています。
日本の農業、農村の現状は、かなり厳しいです。
美しい日本の未来のために、農業という産業の再生をおこないたい。
そして政策の成果を国民に還元していけるようにしていきたいですね。

コンサルタントをめざす人へ。

コンサルティングという仕事は、
プライベートと仕事をきっちり分けたいという人には不向きかも知れません。
私は良い意味で「仕事と休みの垣根をつくるな」と言っています。
「休むな」と言っているわけではなく、
休日に本を読んだり、遊びの中からクライアントのためになる戦略につなげたり、
そういった事が自然とできる人であってほしいのです。
また、「頭のよさ」も重要です。
これは、学習する、努力をする、探究心をもつ、本を読む
といった訓練がしっかりできている人は、
仕事のインプット、アウトプットがスムーズにおこなえるからです。
そして何よりも、私は、「日本一のコンサルタントになりたいです」というフレーズに弱いです(笑)。
実現するのは相当難しいのですが、そのためのパワーを生む源泉は、
「情熱」にあると思います。

最近の若い人達は、まじめで器用な人が多く、
ボランティア活動なども活発で、本当に頭が下がる思いです。
ただ、若い人に唯一物足りなく思える点を掲げるとしたら、「情熱」ではないでしょうか。
「この社会で、どのように生きていったらよいか」
という人生設計図をもっている人は多いのですが、
「社会をどのようにしていきたいか」と考えている人が少ないような気がします。
自分が何をしたいかをしっかり見極め、
そこへ行き着くために最低3年間は何も文句をいわずに、
自分の心と体を鍛えてみてください。
そのために、たとえば、「3年後の自分」を描いてみてはいかがでしょうか。
今から3年後、あなたは、どのようなスキルを身に付け、
どのような仕事をしていたいですか?
目標を明らかにして、行動計画を練り、夢を実現してください。
若さと情熱という、強力な武器を携えて。