代表取締役社長 野儀 健太郎
設立 | 2003年 4月1日 |
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事業内容 |
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会社HP | www.fellow-s.co.jp |
子供の頃から皆を引っ張っていくリーダー的存在
大学時代には準体育会のテニス部のキャプテンをやっていました。
小中高でも学級委員や生徒会長を務めたりと、
いつも皆を引っ張っていく、まとめていくといった存在だったと思います。
場の空気を読んで盛り上げたり、人を喜ばせたり、
時には励ましたりするのが、我ながら得意でしたし、好きでした。
キャプテン時代には、リーダーとは何か、周りに影響を与える人とは、
ということも考えるようになっていました。
ただ、バリバリの体育会系だったものの、映画や美術画を見るのも好きでした。
また、叔母がメーキャップの仕事をしていた縁で、
ドラマのエキストラで呼ばれ、現場の制作スタッフの方々がエネルギッシュに
撮影している姿に興味を持ったりもしていました。
それで就職や将来を考え始めた時に、漠然とではありましたが、
エンターテイメント系やメディア関連をイメージすることもありました。
しかし具体的に何か行動をすることもなく、4年生の始め頃までは、
就職よりもテニスの大会の方が大事という感じでした(笑)。
当時はまだバブル時代だったので、焦らなくても就職できる状況だったからです。
世の中に何かを発信し、影響を与える仕事と感じてリクルートに入社
就職活動を始めた頃に、リクルートに勤めている先輩と話す機会がありました。
当時はまだ「リクルートって何をやっている会社?」という感じだったのですが、
話を聞いてみると、求人情報誌の他、習い事や結婚の情報誌も発行しているとのこと。
世の中の人々に必要とされて読まれている情報誌って、面白いんじゃないかと思いました。
また、リクルートの社員は独立独歩の気概に溢れている人が多いことも印象的でした。
私自身も、何かを世の中に出したい、問いかけていきたい、
世の中に影響を与えるような仕事がしてみたいと思っていたので、
リクルートで働くことに魅力を感じたのです。
それでリクルートに入社し、配属された部署は
求人情報誌「B-ing」や「とらばーゆ」を売る部署でした。
負けず嫌いの性格なので、ものすごく頑張って営業しましたよ。
ただ営業成績を上げたいだけではなく、お客さんの役に立ちたい、
仕事を探している人の役に立ちたいという気持ちも非常に強かったと思います。
リクルートの求人誌は商品力があり、営業はしやすかったのですが、
入社した年の夏にはバブルが崩壊したので、それなりに苦労もしました。
7000人の大企業から、わずか7人のベンチャー企業へ
リクルートには2年3ヶ月勤めて、次の会社に転職しました。
求人情報誌の営業を、ひたすら突っ走ってやっていましたが、
「情報誌とは、何かを主張するのでなく広告の集まりという機能なんだな」ということや
「広告効果には自分の力が及ばない部分がある」と分かってきたのです。
また、映像業界に関わる仕事への夢も、学生の頃から変わらずに持ち続けていて、
求人広告の影響力に限界を感じ始めてからは、自分の中で色々と模索をしました。
そして転職したのが映像業界のベンチャー企業。
その会社の立ち上げメンバー7人の中の1人として入社しました。
当時7000人の従業員がいたリクルートから、わずか7人の会社に転職したのですが、
これはやはり、会社を立ち上げて成長させていくのが楽しいだろうと思ったからです。
実際にベンチャーで働くのは楽しいですよ。
スピード感があって時間が短縮されていますし、
様々な業務をこなすことになるので、
欲張りな人は絶対にベンチャーがおすすめです。
特に今は、どんな大きな会社でも何があるか分からない波乱の時代なので、
その中でやっていくのは本当に大変です。
そう考えると、あれもこれもやらなければいけないベンチャーは、
「生きる力」が身につく場だと思いますね。
「クリエイティブ」と「人」に関わる仕事が天職と悟る
立ち上げメンバーで入った会社には10年間いました。
その会社で映像業界に特化した登録制の派遣業務に携わり、
面白さが分かりましたし、自分の天職に出会うことができたと感じたので、
独立して自分で会社を始めました。
天職だと思ったのは、昔から興味があった「クリエイティブ」と、
ずっと関わってきた「人材」への思い入れを生かすことができるからです。
ただ、若い頃は「クリエイティブ」に対する思いの方が強かったかもしれません。
「かっこいいCMや面白い番組を作ってみたい」という夢をみて、
ディレクターに憧れた瞬間もありました。
しかし人材の仕事をしながら時が経つにつれて、
自分には素晴らしいCM(クリエイティブ)を作っている裏側にある、
様々なクリエイターの方たちとの直接の関係が面白くなっていったんですね。
喜ばれることも、そうでないこともありますが、社会経験をすればするほど、
世の中は「人」、「企業は人なり」だと、「人材の価値」を強く感じるようになりました。
だから私は、自分が好きな「クリエイティブ」を担うクリエイターの役に立つことを
仕事としてやっていこうと決めたのです。
今の仕事は「クリエイティブ」と「人」が全てリンクしている、私の天職と言えます。
一人一人のクリエイターを大切にする心を持ち続ける
これからフェローズがどんどん大きくなっていっても、絶対に変わってはいけない部分があります。
それは「一人一人のクリエイターを大事にすること」。
どんなに会社の規模が大きくなったとしても、一人のクリエイターが登録してくれることを、
常に最大限に喜べるようでなければいけません。
だから会社を大きくしていくのも、欲張らずに少しずつ、地に足のついた状態を保ちながら
やっていこうと思っています。
「一人一人を大事にする」という確固たる思いの先に、事業をどう展開していくかがあります。
事業としては、日本中のクリエイターのために拠点を増やすのが目標です。
これからイメージしているのは、地方の活性化をクリエイティブを結び付けること。
地方や地方経済の活性化の中で、クリエイティブという要素は、とても大きいと思っています。
テレビやWEB、スマホや携帯、ゲームなどのデジタル分野だけではなく、
空間デザインや内装、芸術、アートなど、アナログと言われる分野にも需要があるからです。
その分野も含めたクリエイターをマネージメントする、エージェント企業として成長することが目標です。
学生へのメッセージ
学生の皆さんには、どんどん行動してほしいですね。
もちろん勉強も大事ですが、話を聞いている、
記事や本を読んでいるだけでは何も変わりません。
何事もおそれずに、勇気を持って行動しましょう。
行動するためには自信も必要。
自信があれば、人から何を言われても突き進むことができます。
ただ、学生のうちに「これ」というものを見つけて、
自信をつけるのは容易ではありません。
しかし何かを継続して打ち込んで、結果を出すことを目標にする、
これでいいのです。
スポーツでも何でも、とにかく継続してやること。
これだけ一生懸命に取り組んだ、
そしてこんなことを学んだと言えるだけで違ってきます。
物事は、1日2日で分かることなんて、ほとんどありません。
継続することで奥深さが分かりますし、
その「分かった」という成功体験を積むことで、
さらに次のステップに進むことができます。
不景気だから、こんな世の中だから、などと言い訳をせず、
自分で行動して闘って掴みとらないと、
何も得ることはできないということを
学生の皆さんには分かってほしいと思っています。