代表取締役 大西 太一郎
設立 | 1972年1月27日 |
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事業内容 |
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会社HP |
レーシングドライバーの夢
元々大手広告代理店にいた父が起業したこの会社を、
私が引き継いだのはちょうど4年前です。
それまで私は、プロのレーシングドライバーとして活動していました。
小さい頃から車が大好きだったので、大学入学後すぐ自動車部へ入りました。
しかし、大学の自動車部は体育会系でしたから
私がイメージしていたものとは全く違った環境でした。
2年間在籍はしましたが「私のやりたいことはこれではない、レースに出たい」と思い
部活を辞め、父に大学を退学して働きながらレースにでると言ったんです。
もちろん馬鹿野郎と怒鳴られ、
大学も卒業できない人間があんなに厳しい世界でやっていけるわけがないと一蹴されました。
それでも、なんとか大学を卒業したらレースに出ることは認めてくれるということは取り付けたんです。
おそらく、どこかであきらめるだろうと思っていたのではないでしょうか。
でも、そうなったからには卒業してレースに出ると決めました。
実は1〜2年の時は部活を一生懸命やり過ぎて、単位がほとんど取れていなかったので
4年間で卒業することは絶望的な状況。
それでも、自動車レースの世界は小さい頃からやっている人間の多いところだったので
これ以上遅れを取るわけにはいかなかった。
レースに出る資金を貯める為に深夜はコンビニで、
昼間は酒屋でアルバイトをして、空いている時間は学校に行ってという生活を
2年間続けて、なんとか4年で卒業しました。
しかし、アルバイトで貯められる金額などではレースに出ることは難しかったんです。
その時に、父が自分のいた会社の子会社への入社を勧めてきました。
休みもいくらでも取れるから行ってみなさいと言われて、面接を受けて入社しました。
ただ、その会社は広告代理店で、折しも当時はバブルの真っ最中でしたから
1ヶ月の残業時間が200時間近くあって、基本給よりも残業手当の方が多いような会社でした。
おかげで貯金はしっかりできましたが、やはり勤めながらレースに出るのは難しいので
1年間働いてから、上司にレースに出たいので辞めますと伝え、退職しました。
ただそこで運が良かったのは、関連会社の役員の方から
当時CM契約をしていたF1ドライバー中嶋悟さんの事務所を紹介すると言っていただいたことでした。
最終的には日本国内のドライバーの中で、
26名しか入ることのできないフォーミュラ・ニッポンというクラスに入ることができました。
そのクラスのレースに出られた時のことは今でもはっきり覚えています。
「ここまできたんだ、本当に。夢が叶ったんだ」と思いました。
大学から始めてできるわけないと、親しい友人ほど反対しました。
それでもどうしてもやりたいんだという気持ちを胸にずっとやってきたら
気がついたら本当に頂上まできていた、そんな感じだったと思います。
あと少しでたどり着くという思いを持ちながらやっていたのではなく
がむしゃらにやってきたら、ふと気がついたらそこに立っていたという気持ちでした。
喜ぶ顔、成長する姿が一番嬉しい
レースの第一線を退いてからは、レーシングスクールの講師を中心に仕事をしました。
とても貴重な経験だったと思います。
目標を持ってやっている彼らが成長していけるよう手伝うのが講師の仕事だと思ってやっていましたし、
何か達成した瞬間に生徒がとても嬉しそうな顔をして喜んでいるのを見た時に
人に指導したり、手伝いをすることはとてもやりがいのあることだと強く感じました。
ここでの経験が今の会社経営に、大きく影響を与えているように思います。
会社の経営者というのは、社会からお預かりした大事な人材である社員の力を
最大限に発揮させることが一番の仕事だと思います。
ですから、今でも社員がどんどん成長していく姿を見ることほど嬉しいことはないんです。
社員には、とにかくお客様に喜んで貰うことだけを徹底してやるということだけを、いつも言っています。
その中で、何かが起きたり失敗したりした時に責任を取るのが代表の私の仕事だと思っていますから
安心して仕事をしていいと伝えています。
これはきれい事では全くなく、会社が大きな利益を上げるか上げないかということは
取るに足らないことだと思っています。
それよりも、社員の成長する姿の方が私にとっては大切ですね。
広告会社としての会社の自立を目指す
これからは、この会社の事業をしっかり確立させることを第一に考えています。
これまで父と私の2代で会社をやってきたので、私たち親子の会社だというイメージが強いのが現状です。
ただ、次の社長は私たち家族以外の方にやってほしいと思っていますから
そのためにも「アイ・ピ・エー」という会社を自立させたいと考えています。
私は今44歳ですが、あと6年後の50歳には引退しようと思っていますので
それまでにきっちりと会社を自立させることがこれから私のやるべきことです。
具体的には、これまでの広告代理店という会社のあり方に固執せずに、
広告を作る広告会社にしていくつもりです。
最近の仕事では、大手製菓メーカーと大手音楽会社が一緒になって行ったプロモーションがありますが
それは私の会社が企画立案から制作まで行っているものです。
去年の11月にはこのプロモーションと一緒に開催している
ミュージシャンのオーディションも第2回が無事終わりました。
このプロモーションのように、社会に貢献していくための
1つの手段としての広告を作っていく会社にしていきたいと思っています。
できることだけをやって、自分だけの成功体験を作る
「できることだけをやる」ということが、私の生き方の基本です。
人間はできないことはできない、そういう生き物だと思いますから
目の前のまずその時の自分ができることをひたすらやっていくことが大切だと思います。
たくさん悩んでいる人は、できないことであれやこれやと悩んでしまっている気がしますね。
私自身何度も窮地に追い込まれてきましたが、何の役にも立たないだろうと思う小さなことでも
今できることをやるということで何回も救われてきました。
今できることをすると、次にできることが必ずできてくるんです。
それを続けていけば、乗り越えられないかもしれないと思っていたものも
必ず乗り越えることができますから。
今の学生さんたちを見て感じることは
成功者のノウハウを真似して成功することに、こだわってしまっているのではないかなということです。
成功した人たちは、自分たちがしてきた苦労をあまりさせずに、若い人たちを成功させてあげたいという気持ちで
たくさんの経験の中からエッセンスとなる部分を取り出して話してくれているのだと思います。
しかし、そのエッセンスには入ってこない無駄な部分にこそ皆さんの栄養になるものが入っていると私は思います。
そして、何より若い皆さんは、成功者のミニチュアになるにはもったいないほどの
無限の可能性を持っていると思いますよ。
ですから、成功者の講演会や本を安易に真似て、こうなんだと決めつけないでください。
自分の足で歩いて、一歩でもいいですから社会に踏み出すことで
様々な辛い思いや社会はこんなにも冷たいのかという現実を味わいながら
自らの生き方を磨いていってほしいですね。
人生は一度きりですし、生きている限りは何でもできますから。
他人の成功体験をなぞる人生ではなく、自分だけの成功体験を作る人生にしてほしいと思います。