代表取締役 田中 昌男

株式会社メテックス 代表取締役 田中 昌男

代表取締役 田中 昌男

株式会社メテックス
設立 1993年
事業内容
  • 主として下記製品の輸入・国内販売
    ●健康・医療関連用品
    ●スポーツ・アウトドア用品
    ●ギフト・ノベルティ商品
    ●各種ユニーク商品
    ●健康補助食品
会社HP http://www.metex.co.jp/

海外旅行にはまっていた学生時代

高校時代、ゴルフ部のキャプテンだった私は、
当時ゴルフ部が非常に強かった慶応大学に進学しました。

当然、大学でもゴルフを続けていたのですが、
ちょうど1年たった頃に、自動車事故で手を怪我してしまい、

当分ゴルフクラブを振れないので、ゴルフ部にいる
意味がなくなってしまう、それで、もう一つ熱中
していた海外旅行に休みの大半を振り向けました。

終戦後日本が貧しかったころを肌で感じていましたから、
商社マンになって貿易で稼ぎ、日本を豊かにしたい、が
夢でした。それには、英語をマスターし、外国の事情も
知りたい、海外旅行はとても貴重な経験でした。

この会社は、

実は、もともとは弟の会社でした。

十年余り前、私は米国ウィスコンシン州政府駐日代表、
州の貿易関連の大使のような役割で、
日本企業の誘致や貿易促進などに携わっており、
公私共に充実した生活を送っていました。

それが弟からの一本の電話で200万円を貸したのが運命の分かれ目、
バブル時代の馬鹿げた投機で
年商わずか6千万円なのに2億円の赤字を抱え、
倒産寸前だった弟の会社の再建に係わることになりました。

弟の会社が潰れると、
「繊維業界で名を知られていた両親の顔に泥を塗る事になる」
と心配した為、資金援助と会社経営のアドバイスを始めました。

しかし、肝心の弟が余り働かず、事態はますます悪化する一方で、
止む無く自分自身で乗り出したというのが実情で、
私自身は起業意識やベンチャー精神があったのではなく、
むしろ安定した勤め人の世界に安住していたい、が本音でした。

会社再建は2度目

しかし、会社の再建を手がけたのはこれが初めてではありませんでした。

大学を卒業し初めて入社した会社は三井物産、
外貨を稼いで日本を、日本人を豊かにしたい、
それには貿易だと考え、就職は商社に決めていました。

担当は当時の輸出品目No.1の船舶、入社後わずか3年、
同期入社300人余りの2番目に船のビジネスの中心、
憧れのロンドン駐在となり、1年で売上げを3倍にするなど、
仕事が面白くて仕方がありませんでした。

赴任前から付き合っていた彼女とまもなく結婚、可愛い子供、
それも女の子の双子が生まれ、ばら色の毎日でした。
そんな幸せの絶頂の頃、
両親の会社の百数十人いた社員の代表から手紙が届きました。

両親の会社の経営が危機に瀕している。
申し訳ないが、両親を助ける為、帰国してもらえないだろうか
との内容が切々と記されていました。

当時の三井物産の海外駐在員は憧れの的、
それよりも仕事大好き、家庭も大事に、
という考えの私にとっては、最高の状況でした。

しかし、小さい頃、わずか数人の小さな会社時代から、
年商100億円を越える業界ではトップクラスの会社になるまで、
自分と一緒に育ってきた両親の会社を助けられるのは、
自分しかいない、社員を路頭に迷わせない、プライドの高い両親を
辛い目に合わる訳にはいかない、
そう考えた時、決心はすぐに固まりました。

天職とも思えた商社マンの仕事であり、後ろ髪を惹かれる思いでしたが、
三井物産を辞職、両親の会社再建に飛び込みました。

三井物産では自分の職務に専念していれば良く、社内稟議で許可さえ取れれば、
財務部が資金手当てを、他の関連部門もサポートしてくれますが、
両親の会社では多くのことを自分でやり、決断しなければなりませんでした。

それも一歩間違えばすぐ倒産、という厳しい状況下ですから、
1年で頭が真っ白になる程苦しみましたが、
5年間連続赤字だった会社を
1年後には経常損益ベースで黒字転換させることが出来ました。

会社再建のキーワード

「入るを図って出ずるを制す」

収入を増やして支出を減らす、極々当たり前のことの様に思えますが、
色々なアイデアを出し、実行するのは、言葉で言うほど簡単ではありません。

人件費が一番大きい経費だからといって社員を辞めさせると、
当面の経費は劇的に減りますが人材が命の問屋にとっては
将来の収入が減る結果になるどころか、社員の士気が低下します。

私は入社後、まず最初に社員に人員整理は行わないと宣言しました。

但し、知恵を出し、汗を流して今までより以上に働き、売上げを増やす、
経費を削減する方法を一生懸命考え、実行して欲しいとお願いしました。

売上げを上げる為に熱心に営業するのは勿論ですが、
他社が扱っていない商品や付加価値のある商品を提案する事により、
売上げも利益率もより上がるのです。

又本社ビルは全部自社で使っていましたが、
社員食堂を外部のレストランに貸し、家賃収入を新たに得ました。

これにより、会社で負担していた社員食堂の人件費や光熱費を削減出来、
さらに社員の負担が増えないよう、特別割引を設定してもらいました。

社員は同じ費用で美味しい食事が出来ると喜び、
会社は年間500万円以上の家賃収入を得たばかりか、
経費も数百万円節約できたのです。

両親が乗っていた2台の外車も売却し国産車1台に変え、
これだけで年間1000万円近い経費節減になりましたが、
専用の運転手付きの車に乗っていた両親の抵抗は大変なものでした。

頭の中では、そうしなければならないと判っていても、自分に痛みが及ぶとなると
理屈どおりには、受け入れられないものです。

もう一つの大きな節減は銀行金利でした。

資金繰りが厳しいと、少々金利が高くても、資金手当てが優先します。
もちろん赤字会社ですから、運転資金が通常以上に必要でした。

銀行もリスクと引き換えですから、おいそれと金利を引き下げてはくれません。
会社の方向性を誠意を持って説明すると共に、実践している事を示す必要もあります。

銀行は心配しつつも、取引先が潰れないようであれば、やはり取引は続けたいのです。

その辺の機微を見極めながら、貸付枠をキープしながら、
十数行あった取引銀行を条件の悪い順に整理し半分にまで減らしました。

金利が6%以上の時代に数十億円の借り入れがありましたから、
金利の節約でも年間数千万円になりました。

この「入るを計り、出るを制す」をさまざまなアイデアをだし、実行してきたから
二つの会社の再建に成功したのだと思います。

今後のビジョン

販路を拡大し、売上を今の2倍の20億円にし、株式市場に上場することです。

私は起業したくて独立した起業家志向のある人間ではありません。

しかし、経営者となったからには社会的責任があります。
会社は絶対につぶさない、社員や取引先に絶対に迷惑を掛けない、との

固い決意を持って会社経営に当たっていますが、
利益だけを追い求めているのではありません。

数年前破綻した大ベンチャーの経営者が、
「お金があれば何でも出来る」と言ったのを知って本当に驚きました。
彼が間違っていた事は、後に逮捕され、裁判でも有罪となった事が証明しました。

消費者が良い商品と満足されれば、取り扱っているお店や取引先も潤う、

勿論当社も発展する、いわばWIN-WINの関係、それが「共存共栄」、
その為には信頼の置ける商品をまっとうな価格で販売する、これが「信用第一」、
勿論チャレンジ精神を忘れてはいけない、だから「進取改革」、

これが会社経営の基本方針で、将来も堅持して行きたいと考えています。

こんな方と働きたい

私は社員に常に、勉強しなさい、読書しなさい、と言っています。

採用試験の筆記試験の成績と、
入社後の社員としての成績とは強い相関関係があります。

例外もありますが、確率的には、良い成績の社員を取るほうが、
会社としてはプラスになる確率が高いのです。

仕事も同じで、成功の確率を考えながら仕事をしないと、努力が空回りします。
ビジネスの世界は可能性(Possibility)ではなく確率(Probability)だと、
私は考えています。

成功する確率を上げるべく、日々努力を怠らない人や、
そして人間性の豊かな人達と一緒に会社を成長させて行きたいと考えています。

就職活動生へメッセージ

なぜその会社に入りたいのか、
その志望動機を明確にすることが大切だと思います。

給料さえもらえれば良い、会社が安定していれば。

だけでなく、自分の特性や性格を考え、自分がその会社に入社すれば
どのようにその会社に貢献できるか、
志望動機が明確であることが最も大切だと思います。

会社に何かを求める前に自分がその会社に何が出来るか、
と一生懸命考えてから、入社試験に臨まれることをお勧めします。