代表 龍前篤司
設立 | 2018年10月1日 |
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事業内容 |
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会社HP | https://www.ryumae-tax.com/ |
龍前税理士事務所 龍前篤司代表が育った環境を教えてください。また、どのように税理士への道を選択されたのかもお伺いできればと思います。
私は1955年に埼玉県の熊谷市旧家の次男として出生しました。
祖父母、両親、叔父3人、兄、妹の合計10人という大家族で、父は税理士だったためいつも家おらず、祖父母と母が農業をやっていましたので、母親も子どもたちの相手をしている暇がないという状態でした。
しかも10人家族中7人が男で、私はその一番下なので私の要求なんて尊重されるはずがないという環境で育ちました。
生家の家は広大な敷地に建つ大きな家でしたが、建物が江戸時代に建てられた草屋根の家でしたので、友達に見られるのが嫌だったのことを覚えています。
ところが小学校の写生大会になると、多くの生徒が私の家を描きました。
私は「農家ではなくサラリーマンの家庭に生まれたかった」と思ったものでした。
そんな封建的な家に育ったので、父親の税理士という職業には全く興味を覚えずに、法曹界に進んで世の中の不公平や差別を少なくする仕事ができたら良いなと思うようになりました。
そのため、その当時は最も法曹界に人材を輩出している大学といわれていた中央大学法学部法律学科に入学します。
しかしせっかく入った大学での法律の講義では、「法律とは法律を解釈する学問だ」と教えられたため、私は「文言を解釈する学問」に興味がなくなってしまい、「哲学や文学の方が深い」と思い全く授業には出なくなってしまいました。
大学を卒業後は、アルバイトをしながら司法試験にチャレンジしますが、一次試験に合格しても勉強量が足りず論文試験は通らず、司法試験はあきらめます。
そして、26歳で国税専門官試験という国税庁に入る試験を受験し、関東信越国税局に就職します。
最初は浦和税務署、川越、秩父、大宮、国税庁、上尾と転勤を繰り返し、様々な企業や個人の調査ができ楽しかったのですが、いくら頑張っても実力主義ではない役人生活に嫌気がさしてしまったことと、父が70歳になったことを機に10年間の役人生活に区切りをつけ税理士になりました。
幼少期などはどのようなお子さんでしたか?また、その当時行ったことで現在の仕事に生かされてる経験などがあれば教えてください。
小学校の時の私は、全く先生の言うことを聞かず通信簿にはいつも「生活態度が悪い」と書かれていました。
算数のテストではいつもクラスで一番だったのですが、国語は全く漢字を覚える気がなく、漢字のテストはいつも0点か5点でした。
漢字のテストは、事前に勉強しておけば100点取れるのが当たり前で、何も勉強せずにテストを受けることに意味があるのだと思っていたからです。
とにかく頭から暗記するといいことについては反発していて、九九も暗記しませんでしたので、7×7なんていう計算を九九で暗記するのではなく、5×7+2×7=49なんていうふうに計算していました。
丸暗記をしないというポリシーは中学以降も続き、英語も単語を丸暗記しなくても読むことや話すことができればいいだろうと思い、暗記しないで英単語の意味は分からなくても、想像しながら問題を解いていました。
英語はあまり好きではありませんでしたが点数は悪くなかったと思います。
この「丸暗記が嫌いだ」という性分は、税理士試験でかなりのハンデとなりましたが、社会に出てからは暗記した知識が役に立つなんてことはないので、細かいことについて暗記していなくても回答を出すという点では役に立っています。
幼少期から成人するまでの間で、一番興味のあったことや当時描いていた将来の夢を教えてください。
子供のころ興味があったのは、漫画ですね。
鉄腕アトムや鉄人28号なんて夢中になりました。
音楽はそもそも5線のうえに記号があってドレミなんて読むのなら、最初からドレミと書けばいいなんて思う方でした。
フォークダンスや盆踊りなんていうのもからっきしダメでした。
そもそも結婚もしない男女が手を握ったり抱き合ったりしてはいけないと思いました。
体が小さかったので、スポーツも苦手でした。
親に何も買ってもらえなかったため、野球のグローブやバットなども持てなかったこともあり、趣味もありませんでした。
中学では、バスケット部に入ったものの、先輩が威張っているのに反発してずっと帰宅部を通しました。
高校では、新聞部に入部ました。入部の動機は綺麗な女性の先輩に誘われたからだと記憶しています。
また、高校の頃から、私は弁護士になりたいと思っていました。
それというのも不条理な差別などない社会を実現したいと思ったからです。
家では長男とは差別され、学校でもテストの成績ではなく教師が気に入っているかどうかで評価されます。
そうではなく、本当に実力がある者がきちんと評価されるべきだと思っていたのです。
弁護士がそんなことに役立つのかどうかも分かりませんでしたが、少なくともそろばんをはじいている税理士よりもやりがいのある仕事だと当時思えたからです。
龍前篤司代表のこれまでのご経歴と税理士の道に進むきっかけになった出来事などを教えてください。
1974年 中央大学法学部法律学科卒業
1982年-1992年 関東信越国税局勤務(国税専門官第13期生)
1993年 税理士登録 龍前篤司税理士事務所開業
2003年 税理士法人武蔵経営設立
2015年 税理士法人武蔵経営解散
2018年 龍前税理士事務所設立 現在に至る
税理士になるきっかけをくれたのは、10年間の税務署及び国税局における仕事です。
公務員が大っ嫌いだった私が、司法試験に挫折したため就職先が公務員しかないときに選択したのが国税専門官でありました。「税金の計算なんて」と思っていた税務の世界でしたが、世の中の経済活動における意思決定に関して、これほどまで税務が重要であるなんて思ってもいませんでした。
実務の世界では、税務を考えずに意思決定することはないと言っていいのです。
そして私が今まで司法試験のために学んできた法律の知識がとても役立ちました。
経済活動の表が民法で裏が税務であり、両方に通ずることによって経済活動を立体的に見ることができるというのは大きな発見でした。
そして「会計」ということの重要性を知ったのも税務に足を踏み入れたからこそであります。
最初は「簿記なんて」と思っていたのですが、すべて経済活動は数値化しない限り評価することができません。
龍前篤司代表が税理士業の醍醐味ややりがいに感じることを教えてください。
私が税務署で配属されたのは資産税部門といって、相続税や譲渡所得について調査する部門でした。
税務が最も効果を発揮するのが相続税の分野です。
多くの資産家が、「多額の固定資産税を支払いながら相続税の課税対象となるのを待っている」状態です。
そうではなく生前にきちんとしたシミレーションを行い、資産が「その所有者とその承継者の幸福に役立」たせることができていない人も多いのです。
同じような価値ある財産を持ちながら、一方では税金を払うためだけに名義を持たされているような人もいれば、もう一方ではその財産が自分と子孫の幸福に役立てている人もいます。
相続対策イコール節税対策ではありませんので、価値あるコトを承継できるかどうかが重要です。
自分がそのような「幸福の提案」ができて、幸福な設計図が描けた時にはとてもやりがいを感じます。
そして企業経営も、どんなに企業の業績を伸ばしても、「事業承継」に失敗してしまえば承継者に苦労を残すことになります。
事業承継も財産承継も経済的観点だけでは成功しませんので、その分野でお役に立てるということがこの職業の醍醐味ですね。
龍前税理士事務所のサービス内容や特徴、強みなどを教えてください。
龍前税理士事務所は私を入れて総勢7名の小さな事務所です。
私の代では、この業容を拡大するつもりはありません。
どうしてかというと、サービスのレベルを下げたくないからです。
税務や経営についての問題はとても個別性が高く、大量生産やパターン化にはなじまない仕事です。
後継者は後継者の得意とするサービスを提供すればいいのです。
そしてもう一つの理由は、自分自身がもっと勉強に時間を割きたいからです。
私の日常の半分は読書に割いています。
現代のように先の見えない時代においては、走ることばかりではなく、立ち止まることも必要なのです。
そして飛び込んでくる情報に振り回されるのではなく、自分の頭でしっかり考えた時代感覚や経営感覚に基づくアドバイスを差し上げることが重要だと思っています。
龍前税理士事務所の今後のビジョンを教えてください。
龍前税理士事務所は個人事務所なので、次の経営者は自らの新しい考え方で経営すればいいと思っています。
ただ、私が2年前にもう一度税理士をやろうと思ったのは、地域の中小企業経営者や資産家にとって、地域に密着した本当に信頼のおけるパートナーがいるかどうかはその経営を継続させるうえで決定的に重要だと思ったからです。
そして多くの税理士が「税務中心に経営を考えてしまう」傾向にあるからです。
ひたすら頑張れば成功することができた時代が過ぎて30年、もはや税金問題よりも「経営そのものについてアドバイスできるかどうか」が地域を拠点として活動する税理士の試金石なのです。
少子高齢化が進展し、市場が縮小する地域の中小企業経営者にとって、本当に必要な情報は税金の問題だけでなく、どうしたら存続できるのか、どうしたら不幸でない経営ができるという問題についての有用な情報なのです。
私はかつて「税理士法人武蔵経営」という組織を設立して、埼玉県で一番の税理士事務所にしよう、そしてその事務所は税務を幸福のために役立てる事務所にしようと思っていました。
でも、組織を大きくするとビジョンや理念は希薄化するのです。
特に税務は全く個別ですから、実際に実行する担当者の考え方や理念が違えば同じサービスはできないのです。
したがってこれからの地方の税理士業界は、
- 大型な事務所が専門的な業務をパターン化して大量提供する
- 中型事務所が担当者のスキルに任せて税務を提供する
- 個人事務所等の小事務所が経営助言と税務・会計を提供する
- 個人事務所等の小事務所が税務・会計をパターン化して提供する
という4つの方向に分かれていきます。
龍前税理士事務所は 3. の道を歩むということです。
大きな税理士事務所が地域の中小企業にとって「適切なサービス」を提供できているかというと決してそうではなく、結局は「利益追求ビジネス」になってしまうのです。
当事務所はそうではなく、適切な経営診断と経営助言をしてくれる事務所を追求しています。
《 龍前篤司 龍前税理士事務所 代表 》