代表取締役社長 三輪芳弘

代表取締役社長 三輪芳弘

代表取締役社長 三輪芳弘

興和株式会社
創業 1894年12月25日
事業内容

【商社部門】

    • 繊維、機械、建材、船舶、鉱物資源、化成品原料、生活関連物資などの輸出入、三国間貿易および国内販売

【メーカー部門】

    • OTC・医療用医薬品・医療用機器の研究開発・製造販売
    • LED照明機器・再生可能エネルギー発電システム・光学機器の研究開発・製造販売・輸出入
会社HP https://www.kowa.co.jp/

三輪芳弘とは

三輪芳弘さんは、グループの総売上が4,000億円を超える、日本でも有数の複合企業・興和株式会社の5代目となる社長です。

興和と書くとピンとこない人もいるかも知れませんが、コルゲンコーワやキャベジンコーワ、バンテリン、ウナコーワ、ホッカイロ、三次元マスク、そして薬局の前に立っているカエルキャラクターの「コーワ」と言えば、日本人ならほとんどの人が「あのコーワか!」と納得するでしょう。

三輪芳弘さんは興和を立ち上げた三輪一族の御曹司として生まれ、他社や他業界に出ることはなく1980年の興和株式会社入社から興和一筋を貫き、1995年に40歳の若さで代表取締役社長に就任しています。

三輪芳弘さんは社長に就任すると強力なリーダーシップを発揮し、大規模な海外進出を果たしたり、他業種に参入したり、新技術を開発したりと興和は目覚ましい発展を遂げます。

年収は数千万円以上、住まいは田園調布という成功者として知られ、また、日本セルフケア推進協議会の代表理事や在名古屋タイ王国名誉総領事も務め、各界からの信用が厚い人物としても知られます。

三輪一族とは

三輪一族とは、興和のグループ各社の社長や取締役などを務める一族です。

興和の歴史においては、1929年(昭和4年)に綿布問屋「服部兼三郎商店」の社長兼専務取締役に三輪常次郎さんが就任したことが始まりです。

三輪常次郎さんの三男・三輪隆康さんは興和元社長、四男・三輪緑四郎さんは興和地所元社長、五男・三輪文男さんは興和新薬元取締役を務めました。

さらに三輪隆康さんの長男・三輪芳弘さんは興和現社長、二男・三輪晃裕さん興和現取締役というように一族で主要ポストを固め、血縁関係による強力な信頼関係で巨大企業グループをまとめあげています。

また、三輪文男さんの娘・真澄さんは、ヘルスケア製品や電子機器を手掛けるオムロン(旧立石電機)の立石郁雄さん(オムロン三代目社長・会長の立石義雄さんの息子)の元へと嫁いでいて、立石一族との血縁関係もあります。

家族について

三輪芳弘さんは既婚者です。

奥様と長男、長女がいることは判明していますが、その氏名などはネット上でも見つけることはできません。

代々、三輪一族が興和のトップを務めていることを考えると、三輪芳弘さんの長男が興和の6代目社長となる日はそう遠くない日のことだと思われます。

現在は田園調布の豪邸に居住

自宅は、石原慎太郎さん(作家・政治家)や鳩山由紀さん(政治家)、松浦勝人さん(エイベックス会長)、浜崎あゆみさん(歌手)、桜井和寿さん(Mr.Children)、長嶋茂雄さん(元巨人)といった日本を代表する有名人が住む、東京都大田区の高級住宅街・田園調布に建ちます。

登記簿で公開されている住所を元にその豪邸を外から眺めると、レンガ調の洋風で瀟洒な豪邸となっています。

三輪芳弘のプロフィールと生い立ち

三輪芳弘さんのプロフィールと生い立ちについて、公開されている情報やネット上にある情報をまとめていきます。

プロフィール

【名前(読み)】:三輪芳弘(みわ よしひろ)
【生年月日】:1955年(昭和30年)10月30日
【性別】:男性
【出身地】:愛知県名古屋市
【現居住地】:東京都大田区田園調布
【血液型・身長】:不明
【趣味】:不明
【最終学歴】:慶応義塾大学大学院商学研究科
【現所属】:興和株式会社

生い立ち

三輪芳弘さんは、興和株式会社元社長の三輪隆康さんと広瀬純子さん(菊乃世広瀬酒造社長 広瀬大祐さんの長女)の長男として1955年10月30日に愛知県名古屋市で生まれます。(兄妹は弟と妹あり)

小学校・中学校・高校の学歴情報は不明ですが、興和の三輪一族の御曹司としてレベルの高い教育を受けたと見られ、大学は日本でもトップクラスの慶応義塾大学に進学、その後、慶応義塾大学大学院商学研究科に進み、卒業しています。

子供の頃の情報が明らかになっていないので、高校までは名古屋で通い、大学から東京に居を移したのか、子供の頃に東京に引っ越して東京で教育を受けたのかは不明です。

ただ、三輪芳弘さんの父親の三輪隆康さんが慶應義塾大学のOBであることを考えると、高等教育を受けられ、周囲に著名人の子女がいるという環境を求め、慶應義塾幼稚舎から慶應に通っている可能性も考えられます。

三輪芳弘の経歴

三輪芳弘さんの社会人になってからの経歴を年表形式でご紹介します。

・1955年 誕生
・1980年 興和株式会社に入社
・1988年 興和紡績株式会社の取締役に就任
・1989年 興和株式会社の常務に就任
・1989年 興和新薬株式会社(2019年興和に吸収合併)の副社長に就任
・1991年 興和株式会社の専務に就任
・1991年 興和紡績株式会社の専務に就任
・1993年 興和紡績株式会社の副社長に就任
・1993年 興和株式会社の副社長に就任
・1995年 興和紡績株式会社の社長に就任
・1995年 興和株式会社の社長に就任
・1995年 興和新薬株式会社の社長に就任
・2016年 日本一般用医薬品連合会の会長に就任
・2016年 在名古屋タイ王国名誉総領事に就任
・2019年 日本セルフケア推進協議会(JSPA)の代表理事(会長)に就任

25歳で興和に入社して以来、わずか33歳で興和の常務に就任して役員となります。

そして34歳の時にはグループ会社の旧興和新薬の副社長になり、38歳で興和の副社長になり、40歳で興和の社長まで上り詰めます。

興和が一族経営の実質オーナー企業で、株式も非上場なので株主の意向を気にすることなく、トップダウンで物事を進められる会社だと言っても、この出世の速さは異例で、三輪芳弘さんに企業トップとしての類まれな資質があることが伺えます。

また、逆に言えば、会社が成長するも傾くも全て三輪芳弘さんの舵取り次第となっており、社長就任以来、興和を成長させ続けてきた三輪芳弘さんが、優秀な経営者であることは間違いないです。

現在は興和株式会社の代表取締役社長

1995年に興和株式会社の社長に就任して以来、約26年間、社長として辣腕を振るっています。

詳しくは後述しますが、三輪芳弘さんが社長に就任してから、会社を世界で通用するグローバル企業とすべく、アメリカやヨーロッパに現地法人を設立したことや、ホテル業・FMラジオ放送事業・メガソーラー事業などの他業種参入、そして新しく会社の中核となる「リバロ錠」の開発など、興和は目覚ましい発展を遂げています。

また、複合企業として事業ごとの付加価値や強み・弱みを明確にするバリューチェーン構築を成し遂げ、社長就任当時は繊維部門の売上が全体の約50%、医薬品は約15%と時代やニーズを鑑みてアンバランスだった経営状態を再構築し、現在は繊維10%台、産業・化学約30%、医薬品が約50%というバランスの良い経営状態にしています。

年収や総資産は?

三輪一族の現トップであり、やり手の社長である三輪芳弘さんの年収や総資産はいくらぐらいなのでしょうか?

三輪芳弘さんの年収や総資産は公開されていませんが、2018年3月期の興和取締役22名に対する報酬総額は5億8100万円であることが明らかになっています。

単純計算で役員報酬だけでも年収で約3,000万円の収入があると考えられます。

そのほかにも、業界団体の理事などの報酬もあり、最大で億単位の年収を得ている可能性があります。

また、総資産は、田園調布の自宅や興和株式会社の株式の1.83%保有などが明らかになっていて、数億から数十億円の資産は確実といえます。

複数の役職を兼任

三輪芳弘さんは、興和の社長のほかにも、複数の役職を兼任しているので、各役職について解説していきます。

日本セルフケア推進協議会の代表理事

日本セルフケア推進協議会は「日本型セルフケア」の推進や生活者への適切な情報提供、日本型セルフケアのアジア太平洋地域への普及、セルフケア産業界が抱える共通課題の抽出を行うことを目的とする業界団体です。

三輪芳弘さんは代表理事として、アジア太平洋地域において「日本型セルフケア」を普及させることで、日本人の健康寿命延伸に寄与するだけではなく、アジア圏で生活する人々の健康寿命延伸および疾病等の予防対策へ貢献できるとしています。

在名古屋タイ王国名誉総領事

興和は、1956年にタイ王国名古屋名誉総領事館を社内に開設し、タイと日本の友好関係発展に寄与してきました。

これまで、タイ国籍者の保護や支援活動、タイ王国への投資、観光促進、ビザ発行などを行い、その長年の功績が認められ、2016年にプミポン前国王より在名古屋タイ王国名誉総領事に任命されています。

※ビザ発行、認証業務については、世界各国のタイ王国名誉総領事館・名誉領事館での業務終了に伴い、2021年5月27日に終了済み。

日本織物中央卸商業組合連合会(織商連)副理事長

日本織物中央卸商業組合連合会(織商連)は、繊維品を取り扱う中小卸売業者(集散地卸売企業)を組合員とする地区組合で構成する連合会です。

三輪芳弘さんは、名古屋織物卸商業組合の副理事長として織商連に参加しています。

慶應義塾評議員会の評議員

学校法人・慶應義塾には、他の学校には見られないシステムとして、慶應OBなどで構成される評議員による最高意思決定機関「慶應義塾評議員会」が存在します。

現在(2021年5月28日付)の評議員は96名で、株式会社オリエンタルランドの代表取締役会長・加賀見俊夫さんやサントリーホールディングスの代表取締役会長・佐治信忠さん、丸紅の会長・朝田照男さん、三菱地所相談役(元代表取締役社長)・髙木茂さんなどが名を連ねています。

以前の役職

上記の現役役職以外にも、日本一般用医薬品連合会会長、日本OTC医薬品協会会長、ナゴヤファッション協会副会長などを歴任しています。

興和株式会社とは

興和株式会社とは、1894年(明治27年)に名古屋市で創業された綿布問屋「服部兼三郎商店」を前身とし、創業から120年以上の歴史を持つ企業です。

初期は綿布問屋や織布業、紡績業の会社として発展します。

そして紡績をメインにする興亜紡績株式会社を設立し、後に「平和を興す」という意味の「興和」に商号を変更しました。

そして、興和化学が医薬品の生産を開始し、バードウオッチングなどに使うスポッティングスコープの製品化、海外販売拠点設立、トランジスタラジオ生産、カメラ製品生産などを手掛け、事業を多角化させていきます。

主な事業

現在の興和株式会社は、繊維や機械、建材などの輸出入や三国間貿易を行う「商社機能」と、売上の多くを占める医薬品、医療用機器、環境、省エネ関連製品などの「メーカー機能」の2つの機能を持つ、ハイブリッドな総合複合企業として運営されています。

興和の主要事業としては「医薬事業」「食品事業」「産業関連事業」「生活関連事業」「ホスピタリティ事業」があります。

そのほかにも、興和オプトロニクス株式会社が光学技術を活用してレンズや再生可能エネルギー発電システムを開発し、興和地所株式会社がマンションや戸建てなどの不動産事業を担い、株式会社名古屋観光ホテル・株式会社ナゴヤキャッスルはホテル業といった様に、国内に18社、海外に26社の関係会社を抱えています。

また、興和グループ全体でみてみると、興和紡株式会社は印刷事業や商社としての物資事業・冷蔵倉庫事業を手掛ける一方、興和の株式の24.12%を保有し、興和グループの持ち株会社として機能しています。

グループ全てでは、子会社87社と関連会社9社で構成されています。

有名な商品

興和の商品で最も有名なのは医薬品として「コーワ」の名を冠した商品群でしょう。

薬局やドラッグストアなどで、自分で自由に買うことができる「OTC医薬品」「ライフサポート品」としては以下の商品が有名です。

・アイフリーコーワ(アレルギー専用点眼薬)
・アノンコーワ(薬用保湿クリーム)
・ウナコーワ(虫さされ、かゆみ治療薬)
・液キャベコーワ(胃腸薬)
・エバステル(アレルギー専用鼻炎薬)
・キャベジンコーワ(胃腸薬)
・キューピーコーワゴールド(滋養強壮・栄養補給)
・コルゲンコーワ(総合かぜ薬)
・三次元マスク(高機能マスク)
・ザ・ガードコーワ(整腸錠)
・トメダインコーワ(下痢止め)
・バンテリンコーワ(鎮痛薬)
・ホッカイロ(防寒・保温グッズ)
・リザレックコーワ(発毛剤)

医師や歯科医師の診断・処方に基づいた使用が義務付けられている「医療用医薬品」では以下の商品が有名です。
・パルモディア(高脂血症治療剤)
・デベルザ(2型糖尿病治療剤)
・セレニカ(血清カリウム抑制剤)
・カリメート(抗てんかん剤、躁病躁状態治療剤、片頭痛治療剤)
・リバロ錠、リバロOD錠(高コレステロール血症治療剤)

「光学機器」では以下の商品が有名です。
・スポッティングスコープ(射撃競技の標的観察、バードウオッチング用)
・双眼鏡
・観光用望遠鏡

「照明器具」では以下の商品が有名です。
・LED照明スタンド(ルピナス)
・LED照明器具(ルクセラ)

「ファッションブランド」では以下のブランドが有名です。
・TENERITA(タオル・ルームウェア等)

三輪芳弘は興和を海外進出などでさらに発展させる

三輪芳弘さんの就任以前にも、興和は紡績業だけではなく多角的に営業していました。

しかし、三輪芳弘さんは日本国内だけではなく海外にも目を向け、創業事業の紡績業を終了させるなど、新世代の経営者として、興和をさらに多角的でグローバルな企業へと成長させています。

アメリカやヨーロッパ、中国、アジアなどへのグローバル展開

1997年にアメリカの研究開発拠点「Kowa Research Institute, Inc.」設立、1999年に欧州展開の第一歩として英国現地法人「Kowa Research Europe, Ltd.」設立、2007年に中国展開を見据えた「興和(上海)医薬諮詢有限公司」設立など、世界へとコーワの商品を届けるためのグローバル展開を行っています。

ホテル事業やアパレル小売事業などの新規事業参入

1999年に名古屋観光ホテルを子会社化してホテル事業に参入しました。

また、2001年には愛知国際放送株式会社の第三者割当増資を引き受け、株式を取得してFMラジオ放送事業に本格参入し、2012年にはレディースアパレルブランド「Franche lippée」(フランシュリッペ)の取り扱いを開始しています。※フランシュリッペは2020年9月に事業終了済み

高コレステロール血症治療剤「リバロ錠」の製造承認を取得

日本ではじめての全合成のHMG-CoA還元酵素阻害剤として開発され、現在では興和株式会社の主力製品になり、日本・海外で販売が拡大されています。

業務用LED照明参入

2011年に施設に備え付けるタイプのLED照明機器に参入しました。

設備用LED照明はルクセラというブランドで展開され、ベースライトやダウンライト、デスクライトなどを販売しています。

高脂血症治療薬の新薬を発売

2017年には、世界に先駆けて製造販売承認申請を行っていた高脂血症治療剤「パルモディア錠 0.1mg(一般名:ペマフィブラート)」について、厚生労働省から国内での製造販売承認を取得しています。

発売は2018年から開始されています。

「パルモディア錠」は血液中にコレステロールや中性脂肪が増えすぎてしまう高脂血症の治療薬として血中の中性脂肪を下げ、善玉コレステロールを増やす作用があります。

市場規模は、日本で3,300万人、欧米で3億人以上と試算されており、欧米でも発売が開始されれば「リバロ錠」と並ぶ興和の柱になると期待されています。

ミノムシの糸の技術開発

2018年には、興和と国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構の共同研究により、ミノムシの糸の有用性を産業化に活用できる技術開発に成功しています。

これまではクモの糸が弾性率や破断強度で優れているとされていましたが、研究ではミノムシの糸のほうが上回ることが実証されています。

また、ミノムシの人工繁殖方法や大量飼育方法を確立し、ミノムシから1本の長い糸(長繊維)を採糸する基本技術を考案することで、強く高タフネスで熱にも強いミノムシの糸を使い、樹脂と複合させて高強度の樹脂を作ることや、繊維強化プラスチックの新素材として実用化することが可能になります。

生み出される商品としては、防弾チョッキ、自動車部品、航空機のボディー、医療用機器など様々な分野の製品が想定されています。

このミノムシの糸の技術開発については、化学繊維の代わりとすることで石油の使用を減らすことができ、それは環境保全にも繋がり、地球の環境を壊さず、資源も使いすぎないことから、持続可能な社会である「サステナブル(Sustainable)」に多大な貢献ができると期待されています。

名古屋市栄の再開発

興和は名古屋の丸栄百貨店を子会社にして、その跡地に新たな商業施設を建てる「栄三丁目(丸栄跡地)再開発計画」(仮称)を立ち上げています。

新施設は食やエンターテインメントを重要視して、訪日外国人(インバウンド)や全国の人が集って楽しめる場所にしたい」と意気込んでいます。

名古屋は興和の創業の地であり、現社長の三輪芳弘さんが生まれた地でもあります。

中日ドラゴンズの本拠地であるナゴヤドームもネーミングライツ権(命名権)を取得して「バンテリンドーム ナゴヤ」と名付けていて、三輪芳弘さんは名古屋という土地に愛着があり、盛り上げようとする意思を感じます。

ガーゼマスクや使い捨て不織布マスク、アベノマスク生産でマスク不足解消に貢献

興和はコロナ以前からマスク製造業を担っていて、コロナ禍に見舞われている現在も「三次元マスク」「ガーゼマスク」「コットンマスク」といったマスク生産を手掛けています。

2020年4月には設備投資を行い、国内・海外の工場で月に5,000万枚を生産し、マスク不足の解消に貢献しています。

また、2020年5月以降に1世帯当たり2枚を目処に配布が開始された、安倍内閣時代に行われた通称アベノマスクについては、興和は約54.8億円の受注を受け、伊藤忠商事の28.5億円、マツオカコーポレーションの約7.6億円を大幅に上回り、最大の生産を受け持っています。

これについて三輪芳弘さんは新聞社のインタビューにおいて、政権からの「質よりも量を優先してとにかく早く生産を」という要請に応え、出来得る限りの体制を整えて生産を行ったことを明らかにしています。

また、週刊誌の取材に対しても「絶対に利益は出ません。(中国へ)飛行機を何十往復も飛ばしていますし、持ち出しです。これで批判まで受けたら正直たまらんですよ」と答え、アベノマスク生産は赤字覚悟で社会貢献のために請け負ったことを明確にしています。

その他の社会貢献

興和では、LPGA女子ゴルフツアーや全日本スキー連盟、全日本大学駅伝、プロバスケットボールBリーグ 横浜ビー・コルセアーズ、女子バレーボールV2リーグのブレス浜松などに協賛、支援していて、スポーツを通して地域活性化に取り組んでいます。

また、スポーツ以外でも地震などの災害時の支援活動、平常時の防災訓練への協力なども行っています。

興和株式会社の業績

興和株式会社の業績は三輪芳弘さんの社長就任以来、右肩あがりで好調です。

それは事業構造を改革したり、中核になる薬を開発したり、多角化に成功した結果です。

コロナ禍の現在でも、2021年5月26日に発表した2021年3月期連結決算で最終損益52億円の黒字を達成し、前期の10億円の赤字から復活を果たしました。

黒字達成の要因としては、医療事業の高脂血症治療薬や糖尿病治療薬の販売が好調であり、不調だったホテル事業などの売上不振をカバーできたからです。

近年の売上高の推移

2016年3月期連結決算からの売上高の推移を見てみます。

・2016年3月期 3,744億円
・2017年3月期 3,535億円
・2018年3月期 4,343億円
・2019年3月期 4,365億円
・2020年3月期 4,226億円
・2021年3月期 4,116億円

2018年から4,000億円以上の売上をキープし続けていて、特に営業利益は2020年3月期の53億円から2021年3月期には約2.6倍となる136億円に伸びています。

これは高脂血症や糖尿病などの生活習慣病に効く治療薬の売上が貢献しています。

また、コロナ対策で対面での営業が難しい中、オンラインを使った営業活動への切り替えがスムーズにいき、コスト削減と売上げアップにつながっています。

三輪芳弘は今後、アフターコロナの世界でどう立ち回るのか

現在、コロナによって世界中の行動様式が一変し、社会・経済面やビジネス環境などは劇的な変化を遂げている真っ最中です。

その中でも、三輪芳弘さんの認識としては、「5年後・10年後を見据えた産業構造の変革が少し早まっただけ」というもので、すでに以前から三輪芳弘さんが想定していた変化が、コロナによって早く訪れただけと考えているようです。

社長就任後、常に時代の変化をとらえチャレンジする精神と、堅実なモノづくりの精神を両輪としてきただけあり、コロナ対策として慌てるのではなく、オンラインでの営業活動がうまく行ったのも、先見の明があったからでしょう。

また、今後は「健康と環境」をテーマとした様々な事業活動を展開、仮想空間と現実空間を融合させたシステムにより経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会「Society5.0」実現に向けた取り組み、持続可能な社会の実現と伸びやかで豊かな社会の創造に貢献といった目標も掲げており、さらなる会社の発展、そして社会への貢献が期待されます。

《 三輪芳弘 興和株式会社 代表取締役社長 》