代表取締役社長 佐藤 イサク
設立 | 1980年3月 |
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事業内容 |
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会社HP | http://www.sanaru.jp/ |
創業時の想い
かつて学習塾への社会的認知度は低く、塾教師より世間体のいい仕事は、いくらでもありました。
しかし目の前の生徒たちをよく見れば、前向きになれる環境がないために怠惰に流されている子や、
女子だからという理由で受験校を制限される子など、理不尽ともいえる状況に置かれていた子供達がたくさんいました。
自分にできるすべてを注ぎ込んでみよう、『塾』を、誰もが認める仕事にしようと決意しました。
求める人材
人材の発掘・起用は企業トップとしての最重要任務の一つ。
輝いている社員が誰か、何を考えているか、いつも鵜の目鷹の目です。
性別も年齢も特段の意味を持ちません。女性でも熱心な仕事ぶりが光る社員は登用されます。
有能な人材が教室長(校舎の責任者)、本部長(都市単位で校舎を統括管理する、いわば支社長)
・本社管理職に抜擢されるに過ぎないのです。
もちろん、会社が成長を遂げたことは喜ばしい。
社員は豊かになり、会社自体も大きな夢を持てるのですから。
しかし、企業規模の拡大や増収増益を目的として運営してきたわけではないのです。
もともと、佐鳴予備校の教師たちはチョーク一本を持って教壇に立ち、いかに生徒たちをやる気にさせるか、どうやって夢を抱かせ、それを実現する気概を持たせるかを一番に考えて授業をやってきました。その姿勢が地域からの評価を頂き、成長につながっただけなのです。
より質の高い教育、効果を上げられる学習環境を提供したくて、その時々において最善を尽くしてきたに過ぎません。
そういう姿勢がなければ、私塾とはいえ教鞭を執る資格はありません。
“最大であるより最良であれ“ということです。そして”最良であるが故の最大“を目指すのです。
私塾の社会的な役割
学校が余りにも衰弱してしまった昨今、私塾に対する社会的な期待が高まるのは当然だと思います。
そう考えれば、どうあっても中途半端な仕事はできない、したくない。
塾の認知度が低かった一つの要因に、副業感覚で済ますところが多かったこともあります。
そんな姿勢では、教育のプロフェッショナルには到底なり得ません。
佐鳴予備校の根幹は『教師の質の向上』にあり、と断言します。
単純に過ぎるかもしれませんが、教育の質の追求は社是と言って差し支えありません。
『そのくらいのことはどこでもやっているではないか』という反論もあるでしょう。
しかし、それを本当に、徹底して行うのは容易ではありませんでした。
『指導に責任を負えない人間を教室に送り込むなど論外だ』という考えのもと、研修制度を充実させました。
教師のような専門性の高い仕事、いわば『職人』は、技は自ら築くものとし、自分の技を積極的に伝承しようとはしたがりません。だからこそオープンな社風が必要。
誰かが素晴らしい『必殺技』を編み出したら、それを誇らしげに皆に披露し、周囲もまた喝采で迎える。
そうして『さなる流』の教授法が確立されてきました。
こうした『指導技術の共有』に加えて教育理念の共有も積極的に進めてきました。
誤解されると困るのが、先ほどの指導技術の共有という言葉です。
指導技術の向上は必須ですが、単なる技術しか持たない『ティーチング・マシーン』はダメだと思っています。
生徒にとって最も重要なのは『やるぞ』という想い、学習意欲の高揚だというのが持論です。
教師とは、生徒の意欲を引き出すための存在、生徒の心に刺激を与えるための存在であり、教壇からの熱い語りかけが、ある種の触媒の役割を果たすのです。
となれば、教師は単に学力一辺倒の説明装置ではいけない、人の心を鼓舞するプロでなければならない。
だから、採用においても研修においても、表情豊かで、人間味あふれる教師であることを常に求めます。
『誉め方』『叱り方』『声の出し方』『話すときの表情』まで、ひとつ、ひとつを大切にします
今後の教育と大きな夢
現在の教育業界は混迷の時期にあると言っていいでしょう。
明治時代から続く国家主導の教育システムはすでに制度疲労を起こしています。
そこに息吹を吹き込み、日本の教育を蘇らせる力は、もはや国家行政にはないと思うのです。
教育のあり方を根底から覆す『革命』を起こすのは私塾である、私はそう信じています。
そしてその旗手はさなるでありたい。
しかしそれには、企業としても教師集団としても、更に成長する必要があります。
やがてさなるが日本の教育を変え、多くの子どもたちに最高の教育を提供する。
それによって人々をプラスの方向に導き、ひいては日本を、そして世界をプラスの方向に導く・・・
大それた夢と笑われるかもしれませんが、私の、そして、私に続くさなる社員の生涯を賭けた事業だと思っています。