代表取締役 立石 誠司

代表取締役 立石 誠司

設立 2004年3月
事業内容
    • インターネットを利用した、各種情報提供サービス
    • インターネットを利用する、情報システム及び通信ネットワークの企画/設計/運用に関する受託
    • インターネットホームページの企画/運用/作成/管理
    • データベース構築/保守/管理
    • 通所介護事業
会社HP http://www.cyberbrain.co.jp/

インストラクターからの転身

もともと、私はスポーツインストラクターとして働いていた過去を持ちます。

ヨットやスキューバダイビングなどのマリンスポーツを指導していましたが、
正直な話、インストラクターはかなりモテる職業で、
楽しくやりがいもあり、充実した20代前半の生活を送らせて頂きました。

その反面、スポーツビジネスは景気に大きく左右される業種で、
特にマリンスポーツは季節要因も関係するため、
賃金水準は極めて低いという辛い現実もありました。
また、上司も部下も全員がバリバリの体育会系で、
過酷な指導現場、マネジメントや店舗経営は全て根性論という組織でした。

そしてある時、お客様を工場のライン作業の様に捌く仕事に疑問を抱くのです。
「一人ひとりのお客様と向き合う事もせずにいて、本当に良いのだろうか」と。

その疑問は膨れ上がり、ある時私は転職を決意します。

志望したのは消防官への道で、体力だけは自信があったものの、
どうしても一般教養試験を通過できず、ここから私の迷走が始まります。
勉強嫌いで低学歴だった事もあり、スーツを着て仕事する職種は避け、
体育会系スピリッツを活かした仕事を探しました。

パラダイスを目指して

しかし今になって思えば、当時の私は本当にアホで、
勘違い野郎で、世間知らずの甘ったれ小僧でした。

そんな私は、仕事が楽で、勤務時間が短く、
給料が高いというパラダイスを探し求め、
数か月間隔で転職を繰り返す事となります。
さおだけ屋、ボディーガード、葬儀屋、居酒屋etc・・・
どの仕事も私が求めるパラダイスには程遠い。

そんなときです。

今からおおよそ15年程前、回線速度も遅く、使った分だけ課金され、
一部企業とパソコン好きの間でのみ使われていたインターネットは、
回線速度も速く使い放題というブロードバンド時代を迎えた事で、
利用ユーザー数が爆発的に増加し、一気にインフラへと成長を遂げます。

そこで私は考えました。
「インターネットという新しい世界では、如何に高学歴な人も全員初心者であり、
この世界でビジネスを展開すれば、
私の様な小僧でも同じスタートラインから始められる」と
この世界に飛び込むことを決めました。

しかし私はパソコンに触れた事もありません。
そんな私がインターネット業界に足を踏み入れる際の助けとなったのは、
インストラクターとしての経験でした。

分からない人の強み

勤めたのはインターネットプロバイダーのコールセンター。

「インターネットの接続方法が分からない・・・」
「メール設定方法が分からない・・・」
ここは毎日、『分からない人』から沢山の問い合わせが集まります。

『分からない人』の気持ちは、『分からない人』にしか分りません。
職場にはパソコンに詳しい同僚も数多く在籍してましたが、
お客様が本当にご満足される為には、『課題解決』以前に、
まず『相手の気持ちを理解する』ことが最も重要であり、
パソコンに詳しい人は比較的『分からない人』の気持ちが分からない傾向にあります。

幸いにも私は『分からない人』であり、
『分からない人』の気持ちは痛いほど分りますし、
『分からない人』に分り易く指導するインストラクター経験が大いに役立ちました。

そうして、自身も学びながら3年が経過し、
かねてから考えていた起業を果たすことになります。

起業時は前職の仲間を含めた3人で、
探し求めていたパラダイスを作ってやろう意気込んでいましたね。

しかし、すぐに気付きました。
私が探し求めていたパラダイスはあくまで雇用される側のパラダイスであり、
とんでもない世界を探し求めてたと今でも思いますね(笑)

とはいえ、長く経験したサラリーマン時の思想も取り入れながら、
バランスを意識した社内整備を常に目指しています。

仕事を通して生まれた強み

こうして起業を果たしましたが、弊社の強みは初めからあった訳ではありません。

「毎日を必死に駆け抜け、気が付いたら強みになっていた。」
こんな感じです。

中古車検索サイトの広告販売でスタートして、
クライアントは全国の中古車販売店。
私はスーパーカーにあこがれた世代なので、
私の世代らしいビジネスだと思います。

今では当たり前となっているインターネット広告も、
当時はまだ雑誌広告がメインだった事もあり、
きっちり市場が確立されていない状況下での営業活動は、
私の人生において過去最高に辛く過酷な日々でした。

それでも、取引先が徐々に増えるにつれ、
こんな話が出てくることになるのです。
「ホームページは作ってないの?」
当時はホームページを持つ販売店も少なく、
そこに大きな需要が隠れていました。

外部の制作会社もフルに駆使し、
ホームページ制作需要をとにかく片っ端から引き受け続け早十年。
振り返ると、中古車販売店のホームページを専門に制作している弊社がありました。

新しい柱と柱の条件

この様な強みを確立させながらも、新たな柱として介護業界に参入。

2055年がピークと言われる超高齢化社会を前に、今後確実に需要が伸びるのは、
介護業界と葬儀業界であり、起業家として手をこまねいている訳にはいきません。

また、高齢者となった私の両親はもちろん、かく言う私も2055年には85歳の高齢者であり、
決して他人ごとではありませんし、予習を兼ねてという気持ちもあります。

また、もう一つの参入理由は、介護事業者向けITサービスの開発で、
「リアルな介護現場を知らなければ、優れたサービスを提供することは出来ない」という、
アナログ的かつ非常に要領の悪い進め方かもしれませんが、
じっくり考える時間があるくらいなら、まずはチャレンジしてみるのが私のモットーです。

課題と答えは必ず現場にあります。

そしてこれからも、『面白くて』『新しくて』『他にない』
サービスを日々悶々と模索しながら、
仲間達と共に人生を歩み続けたいと思っています。

『自分が何をやりたいか』より『誰とやるか』

仕事をする上で、実はそれが一番大切なのだということを、
聞いたことがあるかもしれません。
ですが、この言葉はまだ社会に出ていない学生の皆さんには
理解し難い事でもあるかと思います。

そこで、まずは自分がやりたいと思った道を全力で目指してください。

どうも学生さんを見ていると、
そこから間違ってしまっている人が多いような気がします。

洋服、靴、バッグ、アクセサリー、時計etc、
とにかく日本人はブランド品が大好きな人種です。
そして多くの学生さん達は、
会社選びもブランド品の様に会社を選ぶ傾向にあります。

有名で大きな企業に入社したいと。

一見とても格好良く感じます。

「私は●●商事の本社勤務です!」
まるで自分自身が●●商事の如く錯覚する事で、自尊心は満たされ、
きっと周りにも鼻高々で気持ち良い事でしょう。

しかし、あなたが一番やりたいことは一体何ですか?

社会人になれば、楽しいことより辛いことの方が、
5倍くらいは多いと思いますよ。

そんな辛い壁に直面したとき、あなたがやりたいことをやっていなければ、
恐らく乗り越えることは出来ないでしょう。

単純に辛い思いまでして、やりたくないことやりますか?
しかも何十年もずーーーーーーーーーっと続くんですよ?

だから会社をブランドで選ぶのではなく、
やりたい仕事が出来る会社を選んで欲しいんです。

そしてある時、フッと気付くのです。
自分がやりたいこと以上に、誰とやるかが一番重要であることに。

これは、今理解する必要は全くありません。

しかし『誰とやるか』の重要性に気付くために、
まずは自分の一番やりたい仕事を目指して、
就職という社会人の第一関門を突破して下さい!