代表取締役 藤本崇


代表取締役 藤本崇

設立 2012年7月14日
事業内容 Webサービスの企画、制作、運営
会社HP http://www.street-academy.com/

社会人生活のスタートはアメリカ。キャリアを重ねた後、MBAスクールに入学。

私は父親の仕事の関係で、中学から大学までアメリカの学校に通いました。
大学の専攻は機械航空工学。
他の学生の就職先は、軍事産業や自動車産業が一般的でしたが、
私はアメリカで遊園地を運営するユニバーサル・スタジオに入社しました。
働くならワクワクすることがしたいという気持ちが強かったので、
子供に夢を与えられる楽しそうな仕事を選んだのです。
当時は建設中だった、大阪のUSJに設置される乗り物アトラクションの
企画、開発、施行などを手がけました。

ユニバーサル・スタジオで1年ほど働いた後、
大学に戻ってオペレーションズ・リサーチの修士号を取りました。
取得後に入社したのがフェデックス。
特に運輸業界に関心があったわけではなかったのですが、
効率化という概念をとことんまで追求出来る仕事に憧れて、入社しました。
当時、自社で飛行機とトラックを保有してグローバルに輸送を行っていたのはフェデックスのみ。
私は北大西洋地区における輸送オペレーションの立ち上げと効率化を担当しました。
しかし仕事は充実していたものの、4年目くらいに「もっと見聞を広めたい」と考えるようになり、
フェデックスを退職して、スタンフォードのMBAプログラムに応募しました。

MBAスクールで2年間学び、金融業界へと就職

会社を辞めてMBAへ留学することは、それまでの安定した生活やキャリアを
中断し、更に学費を払う借金まで抱えることになるため、周りでは止める人もいました。
しかし私は、自分が本当にやりたいことは何なのかを追求したい気持ちが強かったのです。

スタンフォードで叩き込まれたのが、「自らが持っているスキルと実行力を使って、
世界を変えなければ意味がない」という考え。
卒業生の約半数が、グローバルトップのコンサルティング会社や
投資銀行などに就職するのですが、それらは一般的な就職先としてあまり話題にならず、
代わりに注目を浴びるのが事業を興す連中でした。
教授にさえ、「君達が優秀であることはもう証明されている。それを更に証明するように
エリート企業に就職する必要はない。それより自分の好きなことを早くやれ」と言われました。
そのような価値観の中で2年間を過ごしたので、当然ながら私も起業を考えましたが、
家族がいて学費のローンがあるなど、すぐに実現するのは難しい状況でした。

MBA修了後は、投資ファンドに就職。
当時は日本にもM&Aの波が押し寄せていて、急にその業界で人員不足が起きていました。
通常であれば、金融業界での経験や知識が必要ですが、そのタイミングに限って
金融の知識もM&Aの知識も無く更には日本語もろくに出来ない私でも、入ることができたのです。

「自分で何かをやりとげたい」という思いから起業を決意

投資ファンドでは、同僚も上司も有名大学のMBA取得者であったり、
仕事をする相手も大企業の経営陣であったりと、いわゆる「一流の人たち」のみと、
毎日顔を合わせていました。
仕事が進むのは早いし、皆が切磋琢磨していて、刺激があり、人間としても磨かれました。
ただやはり4年もすると新しもの好きの私の頭の中では疑問が湧き上がってきました。
それだけ優秀な人間が集まっていても、裏方で業界をプロデュースしたり
アレンジしたりと所謂黒子の仕事が多く、
何か新しいもの、新しい価値を生み出すということは出来ませんでした。
私は何かを創り出すということを死ぬ前に一度で良いからやりとげたいと
思える人生にしたくて働いていましたが、
投資ファンドの仕事では、それは実現できないと考えたのです。

それで、やはり起業して自分で何かをやろうと決めました。
しかしその時点で私は34歳、妻も子供もいたので、突っ走るわけにはいきません。
絶対にやり通したいと思えるものでなければいけないので、
起業を決意してから2年ほどの間は、投資ファンドの会社に勤めながらも、
自分にできることはないかと探し続けていました。

新しいビジネスモデルに活路を見い出す

模索を続ける中で見つけたのが、アメリカで始まったばかりのビジネスでした。
教えられるスキルを持つ個人が気軽に講座を開き、何かを学びたい人が自由に学ぶ。
誰もが教室やレッスン、ワークショップなどを開催できることで、
世の中に学びの選択肢を増やして行こうというビジネスモデルです。
もともと日本では、お稽古事や習い事の慣習が根付いているので、
市場はとても大きいですし、資格にこだわらずスキルを身につけようという風潮も
強くなってくるはずだと考え、「これだ!」とピンときたのです。
また当時ケーキ教室を初めて集客に苦戦していた自分の妻を見ていて、
教えたい人のニーズはあるし、数が集まれば学ぶ人にも絶対メリットがある筈だと確信しました。
そう思ったら、昼も夜も、その事を考えて頭がいっぱいになってしまいました。

最終的に私の背中を押したのは、2011年に起こったスティーブ・ジョブスの死です。
私はスタンフォードMBAの1年生の時に、2年生の卒業式であの有名なスピーチ、
「ハングリーであれ。愚か者であれ。」を生で聴きました。その後自分に迷ったときも、
繰り返し聴いて自分の指針としてきました。

彼が亡くなった時に、彼の死を悼むよりも先に彼の生前の活躍を振り返る文面が沢山出て、
あらためて彼が言っていた、『好きなことがまだ見つからないなら、探し続けろ」という
スピーチの内容が心に響き、死ぬ時に後悔するのは他人ではなく自分だなと思いました。

チーム作りが進まず、単独でサービスを立ち上げてスタート

自分が心惹かれたビジネスモデルで起業することを決め、準備を始めました。
そのサービスを作るには、まずエンジニアが必要ですし、
一緒にビジネスをやっていくチームメイトも欲しい。
そこで色々と動き回ったのですが、チームを作ることはできませんでした。
やはり30半ばの金融関係の人脈では限界があったのです。

「アイデアに関しては、理想郷として共感するが、なぜ今あなたがやるのか?」
「リスクも高いし、リソースも集められないから無理だろう」
多くの人にそう言われましたが、私はどうしても諦められず、
会社も辞めてチーム作りに専念することにしました。

しかし結局サービスや理念に共鳴しても、本格的に一緒にやろうという人は現れず、
まずは1人で「ストリートアカデミー」のサービスを立ち上げました。
ソースコードなどを自分で学び、サイトを作ってサービスを形にしたことで、
今のCTOが参画してくれて、そこからチーム作りが進み始めました。
現在は8ヶ月目に入り、サービスの認知拡大に努めています。
そして今後は、東京だけではなく地方も視野に入れて、事業展開をしていく予定です。

学生へのメッセージ

学生の皆さんに言いたいのは、「アクションに移すことが重要」ということです。
与えられた環境の是非や、今やるべきなのかなどを考えるよりも、
今の環境下で今の自分ができることを、精一杯やり、チャレンジをしてください。

よく成功した人を見ると「ラッキーだなあ、でも自分は境遇も違うし・・・
などと思うことがあります。自分も成功体験者のストーリーを読む度にそう思っていました。
でも境遇もラッキーも湧いて降ってくるものではありません。
ラッキーという現象は、「努力」と「機会」が、たまたま巡り合った時、
つまり努力をし続けて、そこに偶然が重なった時に、普通の人には起こり得ないことが起こります。
ラッキーは探しているだけではダメなんです。
行動を起こし続ける、その積み重ねがラッキーにつながるのだと思ってください。

ただし、何か目標に向けてやっていて、どうしても上手くいかない時に、
環境を変えるという意味ですっぱりやめるというのも、ひとつのアクションだと思います。
断ち切ることで、新しい出会いもあるでしょうし、何かが起きるかもしれないからです。
いずれにしても、考えるまえにやる、そしてやり続ける。それだけです。