代表取締役社長 三上智親

代表取締役社長 三上智親

設立 2002年5月15日
事業内容
  • ソフトウェアの受託開発
  • 常駐開発
  • ソフトウェアパッケージの製造。販売
  • ホスティングサービスの運営
会社HP http://www.hps.co.jp/index.htm

中学時代にレーザーを一作る。

コンピューターに興味を持ち始めたのは小学5年生頃からです。
その頃は高額だったので、今の様に簡単にコンピューターに触れることもできるわけもなく、
実際にはさわらずに、ただ知識として勉強するだけでした。
そのかわり、中学時代は、理科研究会の会長を2年やっていました。
理科室の薬品を使って、レーザーを作るにはどうしたらいいかと挑戦しました。
まずはルビーを作るところからはじめよう、それにはどうしたらいいか?など
先生も巻き込んでチャレンジしていました。ときにはブレーカーを落としたりしながら
理科の知識でできる範囲のことを夢中でチャレンジしていました。
高校に入ってはじめてコンピューターにふれて、プログラムを作っては、
友達とプログラムを何行まで縮められるかで競ったりして、
気づくとコンピューター以外のことはやっていない、というほど熱中していました。
それが、そのまま仕事にもつながり、システム作りの会社に入社しました。

休みなく働いて鍛えられた新人時代。起業までの道のり

社会人になったのが1992年、その2年後に、同じ会社から独立した人たちが
創立した会社(今は上場企業の子会社)に転職しました。
その頃は月曜日から日曜日まで休みなく働き、必死でした。
無茶な課題を出す先輩たちに鍛えられつつ、様々な経験を積みました。
ちょうどWINDOWSが出始めた頃でもあり、求められることも多様化し、
ときには2日間徹夜でプログラムを作り上げたことも。
もともと起業するという考えはなく、新しいものを自由に作れるような
体制作りが可能な部長くらいのポストがちょうどいい、くらいの考えでいたのですが、
主任であった7年目になんと転機が。
先に会社をやめていた先輩から、一緒に会社の立ち上げを誘われ、
悩んだすえに、そちらを選ぶことに。
会社を作り上げるまでは準備期間として、フリーのエンジニアとして活動していました。
しかし、その途中で先輩が降りてしまったので、結局自分で立ち上げることになりました。
準備期間に一年かかり、そして、2002年に7名でスタートさせました。

3年目の転機。有限から株式会社へ

起業して一番困ったことは、仕事をとること=営業です。
それまでエンジニアだったので営業部隊の動き、
流れはわかっているつもりでしたが、ちょうど不況だったのもあり
新規で受注するのは想像以上に大変で、
このまま受注がないかも…。という危機感は相当なものでした。
常駐開発の仕事をする合間に、駆け回り、他のメンバーの仕事を獲得する日々でした。
肉体的にも、精神的にギリギリなところでやっていたので、
肌荒れが酷くなり、医者に行き、一番良く効くという注射を打ってもらったのですが、
「こんなのは気休めにしかならない。まずは、その仕事をやめなさい」と言われるほどでした。
それでもモチベーションの高いメンバーで頑張っていたので、少しずつ稼働しはじめ、
設立3年目にして有限から株式会社にすることができました。
3年目から新入社員の採用をはじめたのですが、この業界には珍しく新卒採用を選びました。
若く新しい人たちに扉を開けなければ、風が通らないこの業界に
新人が来なくなってしまうと考えたからです。
お金をかけて社員教育をしていこうと決めました。
とはいえ、実績のない会社に、学校側も生徒を送り込むことは難しく
学校との関係を長く築き上げていくことも意識しました。

人を育てること、新入社員に求めること

以前は3年で一人前に育てることができたのが、今は5年はかかるようになりました。
それはニーズが多様化していき、
覚えていかなければいけない要素がどんどん増えているからです。
要領のいいタイプの子は3年くらいでこなすのですが、
それでも一人前といえるレベルには到達しないんです。
逆にいうと、5年でものにならなければ、それは別な道を探したほうが良いですね。
そのためには、言われたことだけをやっておしまいでは駄目なんです。
例えば、定時に帰らせるのは、決して遊ばせるためではなく、そのあとに勉強したり、
新たなことに挑戦していくためなのに、ただただできることしかやらないタイプが多いんです。
情報社会の今、以前より知識は豊富なのですが、分かっている部分と分からない部分、
そこに連続性がなく足りない部分を補うために穴を埋めていく教育をしようにも、
穴が網になっているんです。
どの部分を埋めていけばいいのかが分からない…そもそも何をしに来た?となってしまうんです。
自分が何をしなくてはならないかの想像ができないんですよね。

エンジニアの想像力を発揮できるところでありたい

プログラム作りというのは、作るのにも時間がかかるし、
結果が見えるのにも時間がかかります。
そういう意味で、モチベーションを持続させることが難しい世界です。
大手の会社にいて、クライアントが見えないところにいると尚更、
自分のやっている仕事の成果や意味が見えにくくなり、
簡単に病気にもなりやすい世界です。
だからこそ、社内で自社のサービスを責任を持って開発して、
エンジニアとしての想像力を発揮できる会社でありたいと思っています。

経営理念としても新しく「生きたシステムを提供する」というものにしました。
社員が仕事を行いやすい環境を提供できる会社であることはもちろん、
エンジニアとして想像力を駆使してクライアントに
継続的にお役にたてるシステムを提供したいですね。

また、クライアントのところに常駐といわれているようなサービスから
自社開発したサービス(パッケージソフトウェア)をリリースしていますので、
今後は、その展開を活発にしていきます。
今現在は、スマートフォンやタブレットなど、手持ちの画面サイズに
合わせた情報量の提示ができるシステムを展開中です。
提案からサポート、コンサルタントまでできるWEBサービスを提供できるのが強みです。
まだまだ見落としているであろうサービスはいくらでもあります。
今までにはなかったような様々なシステムを作り上げ、どんどん展開していく予定です。

学生さんには、仕事の本質を勉強してきてもらいたいです。

将来何になりたいか?では、それには何が必要で、何を勉強するべきなのか?
それが見えてない学生さんが多いと思います。
自分たちが学生だった頃に比べて、親が仕事をする背中を見ていない、
それでいて、専門的な勉強をしてきているわけでもない。
ですから、昔は全くの素人を採用しても
何とか教育すれば良いと思っていたのが非常に難しくなりました。

IT業界に入りたい、じゃ、ITって何?というところが分からなかったりするんです。
設計はできないけど、家を作る…のような。技術者として挑戦するとなると
その根拠が必要となります。そこを勉強してきてほしいですね。
それは、仕事の手順などを覚える…以前の問題なんです。
そもそも、その仕事は何なのか?からですね。
何をするべきなのかがしっかり見えている学生さんを、
企業は早い者勝ちで採用するのだと思います。
アルバイトでもインターンでもして、まずは周りを良くみる、
そういう意味でとにかく勉強するべきだと思います。