代表取締役 藤原信二

代表取締役 藤原信二

設立 1997年(平成9年) 1月 21日
事業内容
  • ソフトウェアの開発、販売、導入支援作業
  • コンサルティング
  • トレーニング
会社HP http://www.linkcom.co.jp/

商社マンに憧れるも、夢は叶わず

就職活動を始めた頃は、三井物産に入社した先輩の話に憧れを抱き、
商社で営業職に就きたいと考えていました。
ただ、実際には営業の仕事そのものよりも、海外への漠然とした憧れがあり、
商社マンとして活躍したいという気持ちが強かったかもしれません。

理系の大学だったため、同級生が日立や東芝などを目指している中、
私はいくつかの商社を受けましたが、理系の枠がなく、すべて不採用。
担当教授から紹介されて入社したのが、アメリカに本社がある大手化学会社の日本法人でした。

最初に配属された部署で、10年ほど技術営業に携わり、
1991年には別の事業部から、品質管理担当としてヨーロッパのルクセンブルクに派遣されました。
ルクセンブルクでの2年間は、日本という国を客観的に見る良い機会になり、
私の転機にもつながりました。
それまで私は、一生懸命に働いて出世し、いずれは社長になりたいと思っていたのです。
しかし社長になるためには、仕事の能力だけではなく、
会社の中での政治的なことにも長けていなければいけません。
本当にそれでいいのかと、自分自身に問う気持ちが芽生えてきたのです。

情報共有のIT化が遅れている状況に、ビジネスチャンスを見い出す

ルクセンブルクから帰国して2年で退職し、起業に至るのですが、
きっかけとなったのは、帰国後に配属された部署のIT事情でした。
当時は電子メールが普及し始めていましたが、部署内の情報共有はかなり遅れていました。
そこで私は、何とか改善したいと考え、リサーチを始めたのです。
30名ほどの組織において、ファイル共有や掲示板で情報を共有するためには、
どのくらいのコストがかかるのか、いくつかのベンダーに見積もりを依頼しました。
すると出てきた金額は最高で2,000万円、さらにあれもこれもと様々なアプローチ。
それを見て、なぜこちらのニーズを理解しようともせずに、
高価なものを売ろうとする業者のやり方に呆れてしまいました。

参考までにアメリカの状況を調べてみると、Windowsに搭載されている機能を使って、
簡単に情報を共有していると分かりました。
私はこのことをきっかけに、日本のIT業界がいかに遅れているかを痛感すると共に、
日本のこの状況が、大きなビジネスチャンスになり得ると確信したのです。
私の話に興味を持った方から、出資の申し出をいただいたこともあり、1997年にリンコムを設立しました。

カスタマイズ可能なグループウェア「リンコムネクスト」

会社を設立してすぐに、アメリカのITベンチャー企業のグループウェア製品「ELIAS」を
日本で販売する権利を獲得しました。
しかしその製品を、そのまますぐに販売することはできません。
日本向けにローカライズする作業に5ヶ月間を要し、
その間の会社のお金は、ほとんど出ていくだけですし、生活も苦しかったのですが、
私は、「この製品は絶対に売れる」と信じていました。

そして1997年6月に、日本向けにローカライズされた「ELIAS 1.0J」をリリース。
すぐに大手証券会社が導入し、その後も様々な業種や業態の会社に導入が進んでいます。

現在、当社の主力製品は、2001年のリリースされた「リンコムネクスト」です。
ELIASの後継製品としてバージョンアップを重ねる本製品は、
2008年には事業のグローバル化に対応していくため多言語化。
また、2009年にはクラウド利用に適したバージョンをリリースするなど、
「カスタマイズできるグループウェア」として差別化に成功しています。

多角化失敗を通して「人」の大切さを痛感

1997年の会社設立以来、製品の売れ行きは順調でしたが、会社経営については、何度か転機がありました。
1998年頃からのITバブルの時期には、ベンチャーキャピタルから約1億円の投資を受け、
株式公開へと動き出しました。
その際には、グループウェア事業だけでは不十分とのことで、5つもの新規事業を立ち上げたりもしました。

しかし結果的には、すべて失敗に終わり倒産寸前まで陥りました。
要因としてITバブルの崩壊を挙げる人もいますが、私自身は経営を間違えたからだと思っています。
多角化を狙った際に立ち上げた新規事業は、Webサイト診断やECサイト制作のパッケージ、
お絵かきチャットなど、本業とは関係のないジャンルばかりでした。
多角化をするのであれば、自分たちが手がけてきた事業と、技術的に関連がある、
または顧客を共有していなければいけません。
当社に関しては、全く土地勘のない場所で事業をしたり、
ラーメン屋さんがオートバイを作るようなものだったので、失敗するのも当然だったのです。

会社は社員を育てるためにある

多角化に失敗した際には、やむを得ず辞めてもらった社員もたくさんいました。
その経験が、「会社は人がすべて」という、私が掲げる理念の基盤になっています。

当時の私は、「人=コスト」と考えていました。
社員は、会社に必要な「ヒト・カネ・モノ」の中のリソースであり、
会社は上場して、キャピタルゲインを皆に分ければいいのだと考えていました。
しかし倒産寸前まで追いこまれて、人は人、カネやモノとは違うと痛感し、
しっかりと人を育てていくことにしたのです。
社員を成長させるという目標を達成すれば、自然に会社の収益も上がっていくはずです。

より多くの若い人を成長させるために、当社では2008年から新卒採用を行っていますが、
採用活動の中で私が感じるのは、将来の夢がないという学生が多いこと。
どの企業も、自分が何をやりたいかが明確な人を求めていると思います。
それと、どの学生も皆が同じであることも気になります。

就職活動にはスーツで行くな。
周りと同じ恰好やマニュアル通りの受け答えは止めて、
自分の頭で考えて、心で話しなさい。

これが今の若い人たちへの、私からのメッセージです。