代表取締役 村上 武


代表取締役 村上 武

設立 2010年6月
事業内容
  • NTT東日本の直営委託業務
  • ウェブ制作、ウェブデザイン、インターネット広告制作、
    インターネット関連サービス事業
  • 営業アウトソーシング事業
  • 営業コンサルタント事業
会社HP http://www.abovevillage.co.jp/

社長を目指したきっかけ

私が生まれ育った横浜元町の辺りは、色々な意味で「差が激しい」地域でした。

友達の親は、中華街や元町の店のオーナーだったり、企業の経営者だったり。
外国人も多い地域で、小学校・中学校では1クラスに10人前後外国人がいました。

社長を目指したきっかけは、今考えるとそういった環境が大きかったのかもしれません。
母子家庭で生まれ育ったこともあり、決して裕福ではありませんでした。

裕福な友達はうらやましい。
けれど、親の苦労を間近で見ていたこともあり、自分のわがままで迷惑をかけることだけはしたくない。
弁当を隠して食べるようなこともありました。

漠然と、お金がほしい、そう思っていました。

アルバイトで20万円稼いだ高校時代

高校に入って、比較的自由なことができるようになった頃、大学に行くにも“原資”がないことに気がつきました。

母はこれから老いていくし、持ち家はないし、姉2人は嫁に行くだろう。
将来、自分の家族や親の面倒を見ていかなくてはならない。
そのことを高校生ながら、かなりリアルに考えていました。

アルバイトを始めたのは、自然な流れだったと思います。

様々なことをやりましたが、主に焼肉屋や運送会社で働いていました。

学校に行く前にバイトをして、学校が終わってからまたバイト。
焼肉屋のバイトでは、焼き網を洗うと1枚100円もらえるんです。
朝、洗えるだけ焼き網を洗い、学校が終わってからまた焼肉屋、みたいな毎日でした。

不思議と体調は崩さなかったし、風邪も引きませんでしたね。

多い月には、20万円ほど稼いでいました。
バイト代は、もちろん家にも入れましたし、部活でバスケットをしていたこともあって
1日4、5食ぐらい食べていたので、食費としても消えていきました。

「実力主義」の環境を求めて

高校卒業後、アルバイト先の社長の知り合いが経営していたレストランに就職しました。
オープンするとすぐに満席になるような店で、当時は3店舗ほどチェーン展開もしていました。
一生懸命働いたこともあり、仕事は周りの人たちよりできましたし、幹部の人にも認められていました。
しかし、昇格や昇給は年功序列。
それが嫌で職場の状況を変えようとしたのですが、店が大きくなってしまったこともあり、変えることはできませんでした。

結局、自分の実力を評価してもらえるところで働きたいという想いが勝り、2年足らずで退職。居酒屋に転職しました。
そこでは面白いように昇格し、20歳そこそこで店長に。
部下もいましたし、アルバイトも慕ってくれていて、とてもやりがいがありました。

そんなある日、レジからお金が盗まれたのです。
店でそういうことがあると、管理責任者として店長が穴埋めをすることになっていました。
その制度自体に不満はなかったのですが、
幹部の人がお金を盗むところを見たとしても、返せと言えない社内の状況が許せなかったんです。
結局その居酒屋も、2年ぐらいで辞めました。

営業の仕事と、「しっくりくる」会社との出会い

お金を稼がなくては、と高収入の仕事を中心に転職先を探し、始めたのは物干し竿の販売。

入ってみたら完全歩合制で、客単価が5~10万円という世界。
月100万円以上稼いだこともありました。

朝5時から夜中の12時過ぎまで働き、休みもほとんどありません。
営業手法を学ぶことができたのは大きかったですが、
売上の少ない人に冷たく接する社内の雰囲気が好きになれず、半年でそこも出ました。

営業をせっかく覚えたので、今度はNTTの代理店をやっている会社に入りました。

そこは、これまで感じたことがなかったほど「しっくりくる」会社でした。
1年もしないうちに、100人程の派遣社員を部下に持つようになりました。
給料は前ほどではなかったのですが、毎日やりがいを感じていました。

しかし、残念ながら会社が倒産。その後、2社ほど会社が変わりました。

本当に必要な技術を世の中へ

だったら起業しちゃえば、とたまたま縁があった人と2人で会社を始めたのが25歳の頃。

当時は珍しかった、オートバイ用のエアバックジャケット売る会社です。
2人で日本中を売り歩きました。3年後に大ブレイク。2人で2億を売り上げるまでになりました。
売れたのは良かったのですが、次第に2人の方向性にばらつきが出来、自分が抜けることに。
そこで、母が15年前に設立して休業中だった会社を登記変更し、とうとう自分の会社を作りました。
それが、ABOVE VELLAGE株式会社です。

従業員には、この会社は私のものではない、社員のみんなのものだ、と言っています。
決してお題目で言っているわけではなく、本心として。
皆で、充実した仕事ができるような環境を作っていこう、と。

世の中には、本当にすごいモノや技術なのだけれども、
売り手がいないことが原因で、思うように広まっていない商品がたくさんあります。エアバックジャケットもそうでした。

ある商品に対し、これをうちで扱う扱わないは、採算ベースで決めるのが普通です。
でもその商品や技術が社会に本当に必要なら、誰かが売って広めなければならないと考えています。

自分にはモノを作る技術はありません。
良いモノを見出し、広めるしか能力がないのです。
だからこそ、これからもそこに特化した会社でありたいですね。

同じ志を持った人間を育て、成長しつづける会社に

今の正社員12名のうち、営業経験者は2名だけ。後は未経験でした。

高卒や、卒業して数年ブラブラして入社した人など、20~25歳ぐらいが多いです。
自分のような母子家庭で育った社員も何人かいます。

完全実力主義、誰にでもチャンスがある、と募集しているので、それに共感して入社してくれたことは確かです。
でも全員が全員、最初から向上心があったわけではありません。
離職率もほとんどゼロに近く、順調に成長してくれていることを本当にうれしく思います。
やれ、と怒って伸びた社員はいません。環境を用意し、本人をやる気にさせることで、社員を育ててきました。

自分が採用した人間が利益を上げられないのを、その人のせいにしたくないと思っています。
自分が頑張って営業に出れば、1人分の給料を40万円として、5人位は一人前に育つまで面倒を見られる。
この考え方で人を採用してきました。

育つまで耐える。人材採用は究極の先行投資とも言えるのですが、
今ようやく2番手3番手が育ってきており、やり方は間違っていないつもりです。

これから拠点を増やすにあたって、全員が責任者をやりたいと手を挙げてくれました。社長として、本当にうれしい限りです。
今度は次の段階。本気で責任者になりたいなら、キミはいつまでに何をしようと、それぞれにビジョンを持たせているところです。

やる気のある人を1人1人大事に、同じ志を持った人間を育てていきたいと思います。
人が育った。結果的に会社が大きくなった。これが、私の目指すところですね。