社長 山中武志
設立 | 平成10年11月10日 |
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事業内容 |
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会社HP | http://www.oakhouse.jp/ |
起業につながるような環境が自然にあった
小学校5,6年生の頃の私には「独立と実力と自由」というテーマがあって、
その言葉を貝殻に書いていつも眺めていました。
自由になるためには独立していないといけない、
独立するためには実力がないといけない、
一人で金を稼いで食っていかなければならないと考えていました。
実際に8歳の時には、くず鉄を拾ってそれを売っていましたし、
10歳の時には新聞を発行しようと思い、当時高額だった紙を買うために球根を売り、
11歳の時には切手を仕入れて売るということをしていました。
これを起業というのかはわかりませんが、幼い頃から自然とこのようなことをしていました。
大学は、京都大学の経済学部に入学し、経済学を学びました。
中学生の頃から歴史が面白くなり、
歴史というのは経済が動かしている、お金の動きで歴史が変わるということから
経済学を学ぼうと思ったのです。
大学時代は、親からの援助を一切受けず、
家庭教師や塾の講師をしてお金を稼いで大学に行き、生活もしていました。
家庭教師の仕事を探す際も、自分で新聞に募集広告を出して、家庭教師を探している人を見つけて、
依頼されたいくつかの家庭教師の仕事を友達に紹介し紹介料をもらうということをしていました。
このように、起業に興味を持つきっかけとなるような環境が自然と私の周りにあって、
自然な流れでここまできました。
自分の思い通りにならなくて苦痛だったサラリーマン時代
大学を卒業した後は、頼まれた塾講師を続けるつもりでしたが、
みんなが就職活動をしているのが面白そうだったことと、自分の力試しのつもりで就職活動をしてみて、
外資系の日本IBMという会社に入ることにしました。
自分で実力を試すのがいいと思っていましたが、
起業するにはまだ早いと思って会社に入ってみたものの、最初の15ヶ月間は教育期間でした。
その15ヶ月の研修の卒業証明をもらうことができなければ、営業の仕事はさせてもらえません。
早く営業をしたい気持ちがありましたし、
大学の4年間で既にうんざりしていたのに、また学生をやらされるようで正直嫌でした。
教育期間の半年が過ぎた頃、私はもう耐えられず、営業がしたいと上司に訴えました。
結果的に、アシスタントとして大阪の西成区を担当させてもらえることになり、
先輩から教えられた通りに一日八時間、夕方会社に戻るまでは絶対に座らないと決めて、それを守って働きました。
担当した西成区というところは会社がない場所で、どうにか船具問屋を見つけて、
アシスタントという身でありながらその会社と契約を結ぶことができました。
最初はすぐにでも会社を辞めたいと思っていましたが、
アシスタントでありながら契約をとり、教育期間中の成績もよかったことから辞められず、しばらく続けました。
しかし、入社4.5年目からノルマが厳しくなったこともあり、30歳の頃に退職しました。
独立して始めた会社が倒産、そしてその後
日本IBMを辞めた後は、
システムエンジニアとしてフリーで働いていた人と共に、その人が技術を担当し、
私が営業を担当するという形で起業しました。
資本金400万円から始めた会社は、従業員が150人という規模にまで成長しましたが、
バブルの時に調子に乗って不動産投資をしたことがきっかけで、経営が苦しくなり、会社をたたみました。
これから何の仕事をしようかと考えた時、自分がコンピューターのことしか分からないことから、
またその分野で独立するつもりでいました。
しかし、当時会社のものと自分のものを合わせて6件不動産を持っていたので、
その不動産で何かできないかとある人に相談したところ、外国人に貸せば良いのではないかと提案され、
その言葉をきっかけに、外国人に物件を貸す外人ハウスという事業を始めることにしたのです。
単にシェアして住んでいるだけで意味があるのか
最初は、外国人に貸すという外人ハウスとしてスタートしましたが、
留学ブームで留学していた日本人にも貸すようになって、外人ハウスからゲストハウスになりました。
次第にシェアハウスとなり、さらに進化してソーシャルレジデンスというコンセプトになりました。
シェアハウスからソーシャルレジデンスに進化したきっかけとして、社会的要請や時代の流れがありました。
シェアハウスとして、ただシェアして住んでいるだけではなく、
そこに住んでいる人たちといろんなアクティビティができる環境を作ろうと考えました。
外人ハウスの時から、パーティーやイベントをするのが伝統としてありましたが、
単にシェアするだけでなく、一緒にいることで新しいコミュニケーションや新しい事柄をなしていく、
クリエーションしていかなければ意味がないという考えから進化したのです。
入居者側の代理業者は他にはない
普通は、お金を払う消費者が主権を持っていて偉いはずなのに、
日本の賃貸住宅市場は、お金を払う入居者側に負担を強いるような構造になっています。
そして、家を借りる人が減っているのにも関わらず、借りるのが難しいという状況です。
我々は、そのような状況を改善しようと努力しています。
つまり、入居者側の立場に立ってオーナーと交渉を行う、入居者側の代理業者なのです。
オークハウスの契約方針は、敷金、礼金、仲介料、保証金、保証人、保証会社が不要で、
在籍証明と所得証明での形式審査のみであり、どこの施設に移動するのも自由なのです。
また、我々はスマート賃貸といって、契約方針は同じで、シェアしない普通の物件も扱っています。
現在スマート賃貸は、スマート賃貸という定義はせず、シェアハウスの一部として成り立っているのですが、
今後はソーシャルレジデンスとスマート賃貸の2つの定義で事業を展開していきたいと考えています。
学生に向けてのメッセージ
私は、どうすれば起業できるのかと人に聞くのは愚かであり、論外だと思っています。
本当に起業する人というのは、人に言われたり、聞いたりしなくてもやるのです。
そして、利益を上げてお金儲けしたいというだけでは、起業に向かないと思っています。
私は、これまで起業家になりたいというテーマを持ったことは一度もなく、
子どもの頃から自然な流れでここまできました。
そのため、自分の人生に違和感を感じたことはありません。
そして、自分で言うのは変なのかもしれませんが、
私という人間は、実業家でも起業家でもなく、
会社という一つの自己表現を持ったアーティストだと思っています。
芸術家になろうと思って芸術家になる人はいないはずです。
そして、アーティストであるピカソは、絵を描きたくて描いていたのであって、
お金が欲しいという思いで絵を描いていたのではないと思います。
内在的なことなので、アーティストになぜなったのか、どうすればなれるのかと
質問をするのは愚の骨頂であると私は思うのですが、
起業家にそういった質問をするということもそれと同じなのではないかと思うのです。
今は情報が溢れていて、その情報に翻弄されている人も多いのではないかと思います。
このような情報過多の時代では、
入ってくる情報が多いのであれば、うまくout putしていかなければならないと思います。
食べたら体から出さないといけないというのと同じで、情報もinだけではだめなのです。
自分で何かをなすことができない、つまりout putできないのであれば、inすることも制限しなければいけないのです。
あちこちのセミナーに参加して話を聞くのが好きで、結局何もしていない人が多いように感じますが、
知識だけをたくさん頭に入れていてはだめなのです。
“行いをもって語るべし”その覚悟だけなのです。