代表取締役 入江元太


代表取締役 入江元太

設立 2010年10月
事業内容
  • 福祉経営コンサルティング
  • 教育研修
会社HP http://irie-kando.com/

あまり勉強せず、就職活動に苦労

中学受験のときは勉強も塾も楽しくて、とても勉強のできる子でした。
ところが大学までエスカレーターだったので、
入学してしまうと、周りはほとんど勉強していませんでした。
当然私も勉強はせず、学生時代はバイトとサークルしかしていなかったのです。

毎日を“ほわほわ”と過ごしていました。
人生、楽(らく)して楽しく生きたいなんて思っていました。

勉強をしていなかったため、もちろん就職活動では苦労しました。

当時は学校ではみんな一部上場企業に入るのが当たり前のような雰囲気があり、
銀行勤務の父親からも、ちゃんとしたところに入ってほしいと言われていました。

片っぱしから受け、片っぱしから落ち続け、
最後にようやく1社、NECに受かったのです。

あまりかっこいい学生時代ではなかったですね。
でも後悔はしていなくて、人生って最善なことしか起こっていないのだと思います。
あのとき“ほわほわ”していたからこそ、今、こうして地に足をつけ生きれているような気がします。

入社3年目で、初めて知った仕事の楽しさ

配属されたのは関西支社で、初めて一人暮らしを経験しました。
一人っ子で包丁も持ったことがなく、
周りからは、ボンボンの“ボンタ”とあだ名を付けられました。

大阪に馴染めず、学生気分が抜け切らないような社会人だったので
友達もなかなかできず、土日はゲームが友達のような生活でした。

仕事は新規開拓をやっていましたが、やり方もよくわからず成果も出せませんでした。
同期とも比べられ、当然評価も低かったのです。
その結果仕事を任せてもらう、という機会もなかなかありませんでした。

ところが3年目に上司が代わり、大きな仕事を任されるようになりました。
やはりお客様からも信頼され、頼りにされるようになると、とてもうれしく、
仕事の醍醐味というものを初めて実感しました。

毎日終電まで仕事、土日も仕事という日々が3年ぐらい続きましたが、とても毎日が充実していました。

仕事の喜びを知り、成長させてもらった時期でした。
それからは上司が代わっても、モチベーションが落ちることはありませんでした。
仕事も評価され、働く部署では欠かせない存在にまで成長することができました。

成績で給料に大きく差が出るしくみではありませんでしたが
ボーナスがちょっと良くなりました。

会社で出世したい気持ちが強くなった30歳前後

当時、2年ほど付き合っていた彼女がいました。
結婚を意識し、指輪を買い、プロポーズが明日、と迫ってきた時に、
会社で上司に呼ばれ、なんと異動を告げられたのです。

場所は四国の高松で、これは左遷だ、会社なんかもう辞めたいと即座に思いました。
翌日、会社を辞めるかもしれないと正直に話してプロポーズしたのですが、
それでも彼女はOKしてくれました。

上司にも、異動はお前に期待するからだと言われ、高松に行くことを決心しました。

この異動は、何万人という規模の会社で出世していくには良い経験かもしれないと、
自分なりにポジティブに捉えることにしました。
そう考えるといてもたってもいられなくなり、
支社長宛に、そっちに行ったらこんな仕事がしたい、と事前に手紙を送りました。
そんなことをする人間は滅多にいないので面白いと思われたのか、
大きな仕事やいいお客様を担当させてくれたのです。

おかげで30歳頃には成績も上がり、収入も増え、すっかり天狗になっていました。

独立への夢と師匠との出会い

その頃、経営コンサルタントのメールマガジンを購読していて、
発行者が、今の私の師匠である臥龍(がりゅう)先生こと角田識之先生だったのです。

臥龍先生のセミナーが岡山であると知り、生まれて初めて自分でお金を払い、
片道3時間かけて聴きに行きました。

それまで研修とかセミナーは、会社が費用を負担するものばかりで、
自分で勉強のためにお金を払ったことがなかったのです。

お話を聞いて感銘を受け、こんな人になりたいと強く思い、
どうやったら経営コンサルタントになれるのだろう、と考え始めました。

会社で出世したいという気持ちが、
いつしか経営コンサルタントとして独立したい、という気持ちに変わっていったのです。
でも当時はその力もなく、仕事も営業の経験しかありませんでした。

ちょうど会社で、中小企業診断士の資格取得のために、
専門学校の費用を負担してくれるという公募がありました。
中小企業診断士は、日本で唯一、国が認めるコンサルタント資格と知り、
さっそく応募したのです。

合格率は5%、最低1000時間の勉強が必要と言われていました。

当然仕事をしながら勉強するので、時間はありません。
そこで土日に7時間ずつと、平日は朝5時に起きて毎日1時間ずつ勉強することにしたのです。

それからというもの脳が汗をかくくらい勉強しました。
こんなに真剣に勉強に励んだのは中学受験以来の経験でした。

会社の組織のことや人の成長のことなど、仕事に通じる内容で、
勉強が楽しくて仕方ありませんでした。

最初の挑戦では、一次試験は合格しましたが、二次は落ちてしまいました。

転職、そして独立

このころ、いろいろと試練が続きました。

今のままでは解決できないと感じ、悩みに悩んだのですが、
12年間勤めた大企業から、中小のコンサルティング会社に転職。

新しい会社で不慣れな仕事をしながら勉強を継続し、
次年度の中小企業診断士試験はなんとか合格することができました。

「いつか独立したい」と思っていた時、臥龍先生に言われました。
夢に日付をつけないといつかはいつかのまま、夢で終わるよ。このことをきっかけに、会社を起こす日を決めました。

2年後に独立した当初は、仕事がほとんどなく、生きていくのもやっとの状況でしたが、
半年後から大きな研修も受注し、軌道に乗ってきました。

転職先が福祉分野を得意にしていたことから、私もお客様の福祉の仕事が好きになっていきました。
そのため独立後もご縁あり、福祉施設向けのコンサルティングや教育研修を専門にしています。

福祉施設というのは、大きく分けると、高齢、障がい、保育の3分野があります。
職員さんたちの笑顔こそ、子どもたちやご利用者さんの笑顔を引き出す、をモットーに、
輝く施設づくりのお志事をしています。

社名に「感動」と入れたのは、感動で人が変わる、人が成長するお志事がしたかったからです。

歴史が好きで、歴史の勉強会も主宰しています。
研修の教え子もたまに来てくれて、人とつながる学びの場にもなっており、
これからもずっと続けたいと思っています。

夢はなくてもいい、仕事を続けるうちに気づく

孔子の「50(歳)にして、天命(てんめい)を知る」という言葉があります。

私は学生のとき、あまり夢がありませんでした。

でも、夢はなくてもいいんだと思います。

目の前の与えられた役割を果していけば、どんどん役割が与えられます。
それを一つひとつ行っていけば、いつか、
天から課される仕事=「天命」という大仕事に出会うのではないでしょうか。

孔子のような偉大な人でも、やっと50歳で気づくといっています。
私もようやく、何となく気づき始めたところです。

ましてや20歳そこそこで、夢がなくても仕方ないんだと思います。

ですから、夢がないなら、まず就職し、全力で仕事=お役立ちをしてください。
仕事でお役立ちしていくうちに、お役立ち人間になり、いつの日か、唯一無二の天命に気づける人間になります。
夢や自分探しよりも、まず目の前の仕事で、全力でお役立ちしてください。