代表取締役社長 平林 由義

株式会社ハウコム 代表取締役社長 平林-由義

代表取締役社長 平林-由義

株式会社ハウコム
設立 1996年
事業内容
  • ヘルプデスク・ITサポート
  • コールセンターサービス
  • コンサルティング
  • サーバ・インフラ運用
  • ヘルプデスクスタッフ教育
会社HP http://www.howcom.co.jp/


大学進学に失敗して、専門学校へ入学

出身は広島県の呉市です。昭和37年生まれで、今年でちょうど50歳を迎えます。
実家は理容院で、長男という立場もあり、進学するなら県外ではなく
県内で考えていました。

しかし、広島県内の大学では自身の学力が足りず、全部落ちてしまったのです(笑)
そこで、両親の勧めもあって専門学校に行くことにしました。浪人する選択肢も
ありましたが、浪人しただけの価値があると思える東大や慶応に入れるとも
思えませんでしたし。そのため、専門学校の入学を決めたのです。

当時はコンピューターが企業に導入されたばかりの頃で、専門学校を選ぶ際には
コンピューターと経理が学べるところをピックアップしました。

この選択が、私のその後の人生を決定づけることになったのです。

ベンチャーの草分け的存在、コスモ・エイティに入社

20歳で専門学校を卒業し、いよいよ就職するわけですが、大学受験のときとは
打って変わり、就職活動では受けた会社のほとんどから内定を頂くことが出来ました。

広島県内にはマツダ、中国電力などの大企業はありましたが、ほとんど関東に
本社がある会社ばかりでした。関東に本社がある企業だとせっかく県内に残る
ことを選択したのに、転勤になっては元の木阿弥になると思い、小さい企業でも
広島県内が主な職場で、自分のやりたいことができそうな会社に就職しようと
考えていました。

ところが両親は、私が就職しようと決めていた会社の就職に反対したのです。
小さい会社に入社して、息子の本当にやりたいことが出来るのか
不安がっていたようです。

そこで、両親のコネクションで、「コスモ・エイティ」に就職することに
なったのです。この会社は当時、「ベンチャービジネスの草分け」として
知られていて、碓井優という人物がIHI時代の仲間79人を引き連れて
立ち上げた会社でした。

ちなみにこの企業の出身者の多くは広島県呉市出身者で呉にも事業所を置いて
いました。ですから、両親としてはいずれ呉に帰ってくる望みを持って、
推薦したのではと思います。

業界のトップとの運命的な出会い

今は自分のやりたいことを押し通す若者も増えていますが、私の世代ぐらいまでは
「親が勧めるなら、しかたない」という一種の使命みたいなものがありました。
そのため、最初に就職したコスモ・エイティで退職まで勤めあげなければと、
考えていました。

コスモ・エイティでは、経理をやりながら社内のシステム構築などを担当して
いたのですが、経理部が社長室に近かったこともあり、錚々たる経営者と
お会いすることが出来ました。
中でも、民営化の渦中にあった電信電話公社総裁の真藤氏とは、短い間では
ありましたが真藤氏のご家族と寝食をともにするなど、就業時間以外でも
ご一緒させていただきました。
私は体格もいたって普通体型でしたが、社長の碓井から「君がボディーガードとして、
真藤さんのことを民営化に反対する人々から守るのだ」と命ぜられていたのです。

恥ずかしながら当時、私が25~26歳で人間として未熟だったこともあり、
真藤氏と話した内容はそう多くは耳に残っていません。
ただ、企業のトップに立つ人間というのは「誠実な生き方をしている」ということは
鮮明に記憶に残っています。 

真藤氏以外にも政財界の重鎮でTV他メディアによく登場する方々とお会いする
機会ができたのは、運以外の何ものでもないです。今思えば、このころに
起業や経営することへの距離感が大きく縮まったのではと思います。

日常の業務の中で見つけた起業のきっかけ

コスモ・エイティで退職まで勤めるつもりでいたのですが、コスモ・エイティが
セコムに買収されることになり、その当初の思いが段々揺らいでいきました。

コスモ・エイティが買収された頃、ちょうどWindows95などが導入され始めました。
元々、ITはまず経理等の計数管理業務の負担を軽減させるために導入された
ものでしたので、使い方に関しては経理部の私が一番詳しくなっていました。
経理部以外の部署で「使い方が分からない」といった疑問が生じると、
経理部で社内システム構築に携わっていた私が対応するようになっていったのです。
通常の経理業務をこなしながら、他部署のITに関する疑問、トラブルを
解決する仕事をしていたため、とにかく異常に忙しかったのを覚えています。

そのとき、」IT部門とそれを実際に使うユーザの間に入って、業務システムの
使用に関する疑問点などを専門に解決する人がいたら便利なのではないか?」と
いうことに気付いたのです。

買収された後のコスモ・エイティでは、組織縦割りの色が濃くなって部署を
飛び越えた仕事等に関わることが出来なくなってしまい、多くの業務を
遂行したかった私の不満は最高潮に達していました。

そんな状態を妻に相談すると、
「あなたがやりたいことをやって精神的に豊かになった方がいいんじゃない?」
と言われ、ITサポート屋として【ヘルプデスク専門会社】を起業することを
決心したのです。

求めるのは人間力、英語力の高い人財

結婚をして子どもも二人目が生まれ、家を買った翌年の起業でした。
確固たる自信があって起業したわけではありません。

コスモ・エイティの先輩と後輩、そして私の3人で立ち上げた会社でしたが、
IBMに契約していただいたことを皮切りに、順調に実績を伸ばすことができました。
今では日産自動車のカルロス・ゴーン社長のヘルプデスクなど、
多くのお客様を弊社が担当しています。

それ以外にも、外資系企業との取引が多いのが当社の特性でもありますから、
自主性があり、英語を話せる人材を求めています。そのため社内にはバイリンガルや
TOEICのスコアが800以上のメンバーが多く在籍しており、
社員の約20%はバイリンガルです。

もっとも英語が話せても、ITが詳しくても、人間力が低かったら何もなりません。
ホスピタリティにあふれ人間力の高い人財を求めています。