代表取締役 江原 良道

株式会社 AREA52 代表取締役 江原 良道

代表取締役 江原 良道

株式会社 AREA52
設立 1998年10月16日
事業内容
  • イラスト制作・広告デザイン
    ・ロゴデザイン・アートプロデュース
    キャラクターデザイン
    〈企画・制作・売買・著作権、商標権等の
    無体財産権の取得・譲渡・管理・仲介及び斡施業務〉
    オリジナルノベルティ製作・アミューズメント
    〈企画・提案〉
    販売促進企画・建築パース・漫画の企画及び制作
    インターネット・携帯電話、その他モバイル通信を
    利用したデジタルコンテンツ〈企画・開発・制作・配信〉
    イベントプロデュース
    〈企画・制作・設営・ケータリング手配・実施〉
会社HP http://area52.co.jp/L

創造する事が、全てのきっかけ

私は小さな頃からデザインやイラストに興味を持っていました。
とにかく高校を卒業したらデザイナーになりたくて、早々に上京。
何故か当時専門学校に入学するという考えは無かったですね。

上京して、アルバイト情報誌で見つけたデザイナー職に応募。
が、面接に行ってみると、下町の小さな看板屋でした。
それでも何かデザイン位やらせてもらえるのかなと期待したのですが、
実際はアクリル板を加工する作業をやらされました。
まあ、当然ですけどね、デザインの知識や技術はあるわけじゃないし。
後で、独学でガムシャラにデザインの勉強をしましたよ。

その頃、並行してある有名ロックアーチストの事務所に遊びに行ってたのですが、
たまたま「人手が欲しいと」いうことでお世話になりました。
業務はファンクラブの会報やTシャツ、タオル等のデザインを担当しました。
デザイナーとしての第一歩です。
また、コンサートツアー中は会場で物販もやりました。
そこに在職中、〔成りあがり〕という自伝をマンガに起こしていたのですが、
それが書籍化となり。結構反響もありました。

これが私にとって初の作品です。

マンガが好きというより、本人の自伝が私のバイブルだったので、
ずっと描き続けていたんです。
それを上司に見せると、「面白いじゃない!これ本人に見てもらおうか」という流れになって、
本人も、「これ面白いから本にしよう!」と話が決まったわけです。

憧れのロックアーチストと名前を並べて書籍化できたことは、本当に運が良かったですね。
「書籍化になれば」とか、そんな事はまったく考えて無くて、
ただ純粋な気持ちで描き続けていただけなんです…。

絵を描くことに没頭するために

初めて自分のマンガが書籍化されてから、後編を描く事になり、
その執筆の為お世話になった事務所を辞めました。

そして、出版社からアシスタントや事務所を手配してもらい、何とか後編を完成させましたが、
執筆中は働いていないのでお金など全く無く明日食べるお金さえありませんでした。
数ヶ月後、残高が0に等しい通帳に毎月何百万も印税が入ってきて、
「ひょっとして自分は世界一の金持ちじゃないか!?」と思いましたね(笑)
欲しかった物は何でも買いました。
ステレオやジェットスキー、ハワイ旅行等々、まぁ~若さもあって今思えばバカでしたねぇ~。”

ただ、そんな衝動的な行動は、マンガ制作の缶詰状態からの発散でもありましたけどね。
後編を描いている時、途中、アシスタントとの意見の相違もあってケンカしたりで、
スムーズに進まなかった事もあり、肉体的なハードさよりは精神的にきつかったです。
人を使う事の難しさ、人の動かし方、お互いの意見が食い違った時どう解決するか等々、
この制作現場で沢山学んだ事も事実です。
後編を描き終えた時は
正直、完成した喜びより「やっと終わった!これで自由になれる!!」という感じでした。

そしてフリーランスへ

本業としては漫画家ではなくて、デザイナーやイラストレーターになりたいと思っていました。
そして、フリーになったのはいいのですが、さすがに仕事が無くて苦労しました。
当然、自分の名前も知られてないので、なかなか仕事にありつけなかったんですよ。

過去にマンガを描いていたので、かろうじて関連するものが舞い込んでくるのですが、
なんだかしっくりこなくてですね。
もちろん、人気が出れば話は別でしょうが、仕事として成り立たせて行くのは大変でした。

「なんとかしなければ」という思いから、自分から積極的に営業をするようになりました。
印刷物や作品集を持って直接アプローチをかけて、
「なんとか食べていけるかな」というレベルまで達していきました。

やり方が良い悪いは別として…
例えばゴルフをやっている正面からの絵を描く依頼があるとすると指示された絵以外に、
背景を入れたり別のアングル(俯瞰や煽り)で描いてみたりして何パターンか描いて提出するんです。
そうすると「江原さんに依頼すると、別のアイデアも持って来てくれるから。いいよね!」と重宝がられ
評価に繋がったりします。
つまりプラスアルファの提案を続けたことが評価となり、次の依頼へと繋がる訳です。
それを繰り返すことで、少しずつクライアントが増えてきました。

言われた事をただこなすのではなく、別のアプローチからも提案すれば、成功するものだと実感しました。

ヒラメキを形にする、宇宙人のような存在

起業したのは、クライアントの何件かが法人でないと取り引きできなかったり、
フリーのままでは信用的に弱いからです。
そして法人化した事により仕事も増えてきて人を雇うようになりました。

社名の由来は、「AREA51」という、
アメリカネバダ州南部に「宇宙人がいる」といわれている面白い場所があります。
その次の場所になりたいという思いから「AREA52」と名付けました。
子どもの頃から秘密基地が好きだったので、ちょっと遊び心のある名前にし、
会社も等身大の宇宙人がいる楽しい空間にしました。
イメージキャラクターも、ひらめいた宇宙人であるのもそれが理由です。

ヒラメキを提案し、形にして売り込んでいこう…それが当社のスタンスです。

今は古くからのクライアント様から官公庁関係までと様々な所から依頼を受けています。
最近では、コンサート用の演出アニメーションを描いたり、
空港のキャラクター等幅広く手掛けています。

今後の企業展開

少数精鋭で、大手企業が手をつけないような、独自性のあるものを創っていきたいですね。
最近では誰にでも分かりやすい〔防災ガイドブック〕を制作し、
被災地の自治体には「どうぞご自由に使ってください」というコンセプトでフリー(無料)で出しました。
私はもともと絵を描いているより創造する事が好きなので、
私の頭の中で浮かんだアイデアを社員が思い通りの形に起こしてくれるのが理想的ですけどね。(笑)

そして、クライアントの様々なニーズに応えるように、
デザイナーも選択して作品を出していこうと思っています。
若い人がターゲットならそれに応えられるよう若いデザイナーを積極的に起用していきます。

学生、特にデザイナーやイラストレーターを目指す人へひとこと!

デザイン事務所に入った場合、現状は、自分のタッチだけの絵では仕事になりません。
事務所の一社員となると、上司やクライアントの指示がある場合が多いので、
それに合うデザインや絵を描けてこそ商業ベースにのる仕事となるのです。

専門学校を卒業後フリーランスになって、
「自分のタッチのみで何とか食べていきたい!」と考えてる方がたくさんいらっしゃいますが、
現状は難しいのもです。
例を挙げると、知り合いのフリーの方で、宝くじの絵や大手の仕事等、
何件もやっていても、バイトを3件掛け持ちして生計を立てています。
これがフリーの現状です。
固定依頼先ができるか、名前が売れてアーチストや芸術家レベルになれば話は別ですが…。

実際、専門学校で2年間も勉強して、卒業してもフリーでは食べていけない、
就職先は見つからないで、花屋やケーキ屋等でバイトをしている子が知り合いにいます。
「何で?」と思いますよ。
だって2年間もデザインやイラストの勉強をしたのに卒業後ケーキ屋で働いているんですよ。
おかしいと思いません?!
専門学校でもその辺の現状も授業でキチンと教えるべきです。

専門学校で学んだ子の中には、テクニックが非常に優れている方もいるんですが、
クライアントは本人のオリジナリティ以前に、ニーズに応えてほしいのが現状。
もどかしさを覚えるかもしれないけど、
この壁を乗り越えて“いっぱしのデザイナー”になってほしいですね。

私もそうやって仕事をしてきました。自分のスタンスとお客様のニーズは異なるもの。
それに臨機応変に対応し、うまくすり合わせてられるよう柔軟性も磨いてください。