代表取締役社長 増本 寿美男
設立 | 2010年7月1日 |
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事業内容 |
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会社HP | http://www.nasol.co.jp/ |
「現場主義」を徹底的に叩きこまれた新人時代
1977年に大学を卒業し、日産自動車に入社。
当時は日本のモータリゼーションが拡大している最中でした。
学生時代の友達には、金融業界などを目指す人が多かったのですが、
私はものづくりができる製造業を希望。
その中でも成長著しく、日本の産業を支える大きな柱の一つとして注目されていた
自動車業界に入りました。
私は経済学部出身ですが、情報システム部門に配属され、
生産管理システムの企画・開発を担当することに。
これは、日産の標準を教え込むには、学生時代に癖がついていない、
まっさらな状態から人を育てようという、会社の方針だったのです。
当時の日産の情報システム部の考え方は「まず現場に行かせる」こと。
私は銀座で採用されたものの、九州工場に配属されました。
上司からは、「席に座っているなんてもったいない。せっかく工場に配属されたのだから、
一日中、工場を見て歩け」と言われました。
メーカーは、現場の業務を知らずしてシステムなんてできるわけがないのです。
それを若い時から徹底的に叩き込まれ、現場を見に行く機会が多かったことで、
非常に勉強になりました。
不可能と言われたシステムを開発し、生産効率向上に貢献
当時の九州工場は、ダットサントラックの輸出が好調でした。
ところが、毎日のように生産計画の変更があり、
部品メーカーに発注する部品の個数を、毎日コンピュータで計算し直さないといけない状況。
そこで、入社3年目の時、私は「こんなやり方では世の中の変化に追い付けない。
デイリーで部品発注できるシステムを作るべきだ」と提案したのですが、
従来のやり方に固執した現場では、「そんなことができるわけがない」とバカにされ、
相手にされませんでした。
「工場にずっといてもダメだ」と思った私は、4年目に本社に戻ってから開発に取り組み、
デイリー発注システムを初めて完成させました。
当時は不可能だといわれたシステムですが、今ではあたりまえに使われています。
10数年間、生産管理システムの企画開発を行った後、
初代のシーマやセフィーロなどの商品企画のシステムを担当。
そして、今の日産自動車の車種記号、18ケタ体系の設定という大仕事も手がけました。
社内の各部門間での利害関係の調整は非常に困難でしたが、
長年の経験で培った調査・分析力、コミュニケーション能力によって
成し遂げることができたのだと思っています。
海外でも生産管理システム構築に活躍
1992年には新工場の生産管理システム構築のため、メキシコ日産に出向。
そこでは、メキシコで製造した自動車を日本に逆輸入するシステムを作りました。
1995年に帰国し、日産自動車本社へ戻りました。
その頃、韓国のサムソングループが自動車業界に進出するにあたって
日産に技術支援を求められ、私が生産管理システムを導入する担当者として、
月に一度韓国へ行く生活に。
韓国のスタッフのみなさんは非常に優秀で勤勉であり、
よいパートナーとして今でも個人的にお付き合いしています。
1998年には、日産コンピュータテクノロジーに出向。
その翌年、カルロス・ゴーン氏が日産の社長に就任し、
「日産リバイバル・プラン」を打出し、日産は有名なV字回復を遂げました。
その一環として、日産コンピュータテクノロジーの日産系の業務部門をIBMに株式譲渡し、
10年間の日産・IBM間のアウトソーシング契約を締結。同時にIBMに転籍。
2010年にその契約が満了し、それ以後の更新が難しい事態に。
私は執行役員として、部下150名を路頭に迷わせるわけにはいきません。
2011年から、彼らの仕事をどう保証するか。
重い責任が私にのしかかりました。
部下150人の仕事を保障するため一大決意―起業へ
部下の中には、自動車業界での経験・知識を活かした仕事がしたいという声が多数でした。
私は自問自答しました。
確かに、今の会社に残ってもやっていけるだろう。
しかし、今までの仕事で、私はどれだけ人の役に立ち、社会に貢献することができただろうか。
このまま大きな組織の中にい続ける会社人生に悔いはないのか。
とはいえ、独立起業するのは大変なことです。
そんな時、日産のOBで長年の知人であり、
現在の当社の会長である川勝が、「あなたはまだ若い。
あなたの思うようにやりなさい」と言って、当面の運転資金の援助を申し出てくれました。
さらに、日産、日立、日立HS2l、富士通、 DIPROの各社が、業務面で支援を約束してくれたのです。
実は、他企業からの資本投入の話もあったのですが、
それを受けてしまうと会社の独自性がなくなり、自分の思う会社にできないと考えて断り、
自分たちで会社を立ち上げることにしたのです。
そして、2010年7月に会社登記を行い、平日はIBMで働きつつ、
毎週土日に志を同じくする数名と集まり、事業計画、組織体制や社内規則、人事制度、
人財育成計画などについて話し合いを重ねました。
経営者たるもの「CS」の前に「ES」を考えるべき
2011年4月、工ヌ・エー・ソル株式会社が本格始動。
プロパー60名、当時のビジネスパートナー90名の計150名でスタートしました。
事業は順調な滑り出しですが、この成功は将来にわたって保証されるものではありません。
今の仕事を継続させるだけではなく、変化に対応していく必要があります。
今後は、日産のアウトソーシングだけではなく、
日産とIBMで培った技術・経験・ノウハウを活かして製造業全般で活躍できるよう、
システムの企画、基本構想、開発、運用・保守まで総合サービスが可能な会社になることを
目指しています。
会社のビジョンとは、社長が言うだけではなく、社員と夢を共有するためにあるもの。
多少背伸びをしてでも、みんなでそれに向かって努力することを大切にしています。
また、「ES(社員満足)なくして、 CS(お客様満足)なし」。
従業員が残業や休日出勤で心身ともに疲弊しているような状況では、
「お客様のため」を考えられるわけがありません。
経営者はESをまず考えるべき。
CSはその後についてくるものです。
そして、会社は「社会の公器」。
雇用の拡大や従業員の生活の保障、成長を支援することで、社会貢献にも努めています。
結果や責任を考えるよりも、前向きに挑戦する意欲を持とう!
何事にも臆病でためらいがちな人には、全てのことが初めから不可能に思えてしまうものです。
結果は後からついてくるものなので、
ぜひ、何事にも前向きにチャレンジする意欲をもってほしいですね。
会社の仕事は、会社が承認したものなのですから、結果の責任は、個人ではなく、
最終的には会社が持つのです。
だから、思い切って挑戦する意欲を持ってください。
当社は「人の成長」を第一に考えています。
人が成長することによって、会社も成長していきます。
そんな会社の成長の一端を担っていこうという気概のある方と、ぜひ一緒に働きたいですね。
また、当社のお客様は、日産や日立などグローバルな企業です。
私は語学は大の苦手でしたが、スペイン語も現地(メキシコ)に行って覚えました。
今は英語ができなくてもいいので、意欲があることが大事です。
海外で働いてみたい、いずれは世界を舞台に活躍したいという希望のある方も大歓迎です!