取締役 副社長 臼田 真一郎

関東食糧株式会社 取締役 副社長 臼田 真一郎

取締役 副社長 臼田 真一郎

関東食糧株式会社
設立 昭和42年12月
事業内容
  • 業務用食品(和・洋・中)、冷凍食品酒類、米穀、厨房機器の販売
会社HP http://www.kanto-syokuryo.co.jp/

社業は生活の一部

私は生まれも育ちも埼玉県桶川市です。
関東食糧は父が1967年に創業した会社で、乾麺やかき揚げ、惣菜などをスーパーに
売るところから始まり、1970年に業務用の食材卸に転換しました。
私が小学生の頃は自宅のすぐ隣が会社の倉庫で、毎朝、朝礼で父が社員に話をする姿を
見ながら登校していました。
キャッチボールも自転車の乗り方も社員さんに教わり、当時から「君が2代目だよ」と
言われてきたこともあり、私にとって社業は生活の一部のようなものでした。
地元の中学を卒業し、高校、大学は東京に出ました。
高校は男子校で、文化祭実行委員会に所属し、
いかに女子高生を呼び込むかに情熱を燃やしました(笑)。
普通、こういった実行委員会は毎年有志が集まって作るものですが、
私たちの委員会はほとんど部活化していました。
集客と企画、とにかく多くの人を呼ぶために工夫を凝らし、オリジナリティのある文化祭を
運営しました。何年か前に母校のホームページを見たら、私の考えた企画がまだ続いていて、
なんだか嬉しかったです。
文化祭当日は忙しくて、結局女の子を案内する時間もありませんでしたが、
終わった後の達成感と充実感は素晴らしかったですね。

業界の変革を肌で感じた

大学は東京理科大学に進学しました。
私は何かを始めて熱中すると、結構のめりこんでしまうたちで、
大学時代はラクロスにどっぷり浸かりました。
当時ラクロスは日本に入ってきたばかりのスポーツで指導者がいませんでした。
ですから、部の仲間で集まって協会の開催するクリニックに参加し、
練習メニューから戦略、戦術まで全て自分たちで考えて…。
それがまた面白さの一つでもありました。
卒業後は、社業の勉強もかねて味の素に就職し、
3年間、神戸営業所で家庭用商品の営業をしました。
当時、家庭用食品の卸、販売業界は大きな変革期を迎えていました。
酒問屋と食品問屋が一緒になる合併の動き、
RDC(流通加工広域対象形物流センター)という新しい物流、
大手商社系卸のスーパー専用センターなど…。
そういった変革期のなかで、大きな流れを肌で感じることができた事は、
とても良かったと思っています。

社に一番必要なのは、新しいシステム

関東食糧に入社したのは2000年です。
1年目は営業マンに同行したり、市場の店で働いたり、一通りの部署をまわりました。
そして、この会社に一番必要なのは、新しいシステムだと感じました。
翌年からシステムを変えるプロジェクトを立ち上げ、
約3年かけ、システムを全て変更しました。
新しいシステムを導入し、不具合のないようメンテナンスする、
これはとても大変な作業でした。
私たちが扱っている商品は当時でも1万8000アイテムはありました。
それを全て重複がないかチェックし、新しい分類に振り分ける、
そのマスター作りには多くの時間を費やしました。
しかし、このシステム変更をしたおかげで会社全体を把握することができ、
私にはとてもいい勉強になったと思っています。

早く、細かく、正確に商品を届ける

仕入れ部長から常務に就き、2010年2月に取締役副社長に就任しました。
ちょうど40周年を迎えた年で、これを機にコーポレートマークを変えたんです。
それまで6本線が入っていたのを3本線にし、
その一つひとつに「商品力」「提案力」「対応力」の意味を込めました。
中でも特にここ3年は対応力の強化に力を入れてきました。
私どもは卸問屋です。問屋というのはものを作るのではなく、メーカから必要な商品を
仕入れ、お客様に運ぶ商売。仕入れた商品を正確に届ける、これが「対応力」です。
リードタイムも含め、早く、細かく、正確にを追求することが、対応力を高めることに
つながるのです。
父の立ち上げたグループでNCF(日本業務用食材流通グループ)という集まりがあります。
このグループの酒問屋さんで、すごく先進的な物流システムを持っている会社があるんです。
そのシステムを見た時に、うちの会社も本格的に物流システムを改革しなくてはと思ったんです。
物流準備室を作り、投資をし、人材も育成して2010年7月に、
一度新システムに変えたんです。大失敗しました。
3日間、本当に荷物が出せなくなって…。仕方なく元にもどして、最初からやり直しです。

地域の食文化向上に貢献する

大失敗から半年、昨年5月に新たに受注センターを立ち上げました。
このセンターでは24時間、パートさんが注文書を打ってくれます。
そのデータを倉庫に飛ばし、荷積みをする。
この仕組みができて、配送車の出発時間が1~2時間早くなりました。
現在50台ほどの車を出してますから、1台あたり2時間違えば、社として1日100時間
違うことになります。その空いた時間を、今度は「提案力」の強化に当てる。
現在、「1.5倍の行動量で、1.2倍の売り上げを作ろう!」を合い言葉に
様々な取り組みをしています。まずは売上で100億円を突破するのが目標です。
物流の改革で今は経費が膨らんでいますが、100億円を突破してこれば経費は抑えられる。
そうなれば次は大型の物流センターを建てたいと思っています。
私どもは地域に根ざした卸問屋です。
例えば、このあたりには海がないから、魚介をもっと豊富に取り扱えるようにしたり、
地産地消で農家と飲食店をつなげたり。地域の飲食店さんのために、様々なことができる
汎用センターを作っていきたい。
地域の食文化向上に貢献できる会社として、地域の外食産業を盛り上げていく、
これが我が社の使命だと思っています。

大きな夢を持ってもらいたい

今の若い世代に対しては、「もっと元気を出してほしい」と言いたいですね。
私は仕事で中国やタイによく行きますが、それらの国の若者は、ほしいものが
たくさんあるし、夢や希望を持ってやりたい事をたくさん持っている。
彼らを見ていると、このままでは日本は負ける、と思えてきます。
それを打破するのは若い世代。
これから社会人になる世代が日本を変えていかなければなりません。
そういう意味で、もっと自分たちの可能性を信じてもらいたいと思うし、
大きい夢を持って社会に出てもらいたい。
今の日本の置かれている現状を世界から見る、そういった視点を持った社会人に
なってほしいと感じます。