取締役社長 朝倉 博行

株式会社ロイヤルパーク汐留タワー 取締役社長 朝倉 博行

取締役社長 朝倉 博行

株式会社ロイヤルパーク汐留タワー
設立 2002年(平成14年)4月1日
事業内容
  • ホテルの運営およびその他運営に関する一切の事業
会社HP http://www.rps-tower.co.jp/

親に泣かれたホテルへの就職

私の大学時代は東大紛争のまっただ中。
入学式も卒業式もなく、「キャンパスライフって何?」という4年間でした。
卒業した年には第一次オイルショックで、新卒募集は少ないうえに団塊の世代なので
学生数が多く、まともな就職口はありませんでした。

私は当時のホテル業で一部上場していた第一ホテル(現:阪急阪神第一ホテル)を
受けましたが、世間ではまだ「ホテル=水商売」というイメージでした。
親からは「浪人し、大学まで行かせたのになぜホテルなんだ」と泣かれましたよ。
それくらい、ホテルというものが一般的ではなかったんです。

ホテルの知名度が上がったのは、山口百恵さんがプリンスホテルで結婚式を挙げ、
初めてテレビ中継されたことや、テレビドラマ『HOTEL』が放送されてからですね。
無事に就職が決まり、私の配属先は銀座にできた新しいホテル。
当時としては最新の設備をもった800室のホテルで、胸が高鳴りましたよ。

まずはベルボーイを経験しましたが、ユニフォームが赤のミリタリー風で派手なんですね。
親に写真を見せたら「ちんどん屋」だと(笑)。
従兄弟は東大を出て研究者になったので、余計に比較されましたね。

三菱地所への転籍

ベルボーイ(1年)→ウェイター(6年弱)を経て、管理部ではありとあらゆることを
やりました。
レストランメニュー作り、食材や用度品の調達、検品…まだパソコンが無かった時代なので
原価計算もすべて手計算で行っていました。

2年間経って、本社の企画部へ異動しました。
ここは新しいホテル展開に向け、新規プロジェクトを計画するセクション。
事業収支の計算や立地評価、オープンまでの追いかけなど、7年ほど働きましたが、
管理部での経験が活きたことは確かです。

昭和58年、第一ホテルは三菱地所と合弁会社を作り、名古屋第一ホテルが開業しました。
その後60年に厚木ロイヤルパークホテルができました。これは三菱地所の
初めての直営ホテルで、第一ホテルは技術援助契約でお手伝いをしていました。
その市場調査から開業までの業務を私が担当していたことから、三菱地所の
ホテル事業部からお誘いの声をかけていただきました。
横浜のランドマークタワーの開発がスタートするときです。
ホテルはランドマーク的な存在(建物が目立つこと)であるべきだと思ってましたし、
面白そうだったので転籍を決意。
第一ホテルには年明けすぐ退職願を出したのですが、受理してもらえたのは3月末という。
転籍予定が4月1日でしたらから、まさにギリギリでした。

ベルボーイから社長になれる!

それからすぐランドマーク準備室に出向。いきなり「休職」扱いです(笑)。
横浜に5年、そのあと丸の内のホテル事業部に戻り、2001年に現在へ繋がる
汐留の三菱地所プロジェクトが始まり、その途中で常務を経て社長に就任しました。
周りには、「ベルボーイから始めても社長になれるんだよ!」と
伝えています。
ちなみに当初猛反発だった親ですが、第一ホテルのウェイター時代、
ホテルに呼んでご馳走したんです。
そうしたら、コロッと態度が変わって「ホテルもいいねぇ」だなんて(笑)。

「誠実に、謙虚に」というのが私のモットー。
人をだましたり蹴落としたり、というのは好きでありません。
どんな相手からでも学ぶことはありますから。
「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」という言葉の通り、地位が上がれば
上がるほど、周りに支えられていることを忘れないようにしています。

現場にいる時は、日々に追われてゆっくり考える暇はありませんが、
管理部門ではホテル以外の世界にも目が向き、初めて自分を見つめ直すことができました。
勉強会を開いたり、他社のホテルを見学し合ったりしながら、ネットワークを
広げてきましたね。

経営者としての想い

新規プロジェクトでは、事業収支をすべて自分で組み立てます。
一部屋いくらで売り、稼働率は何パーセント…と、ホテル一軒を数字で作っていくのです。
現場にだけいては、考えられませんね。
私の場合は、管理の仕事に携わった経験から「数字を掴んで人を動かす」ことの
面白さと醍醐味を感じました。

ちなみにホテル運営、つまりマネジメントのトップは総支配人(ゼネラルマネージャー)
です。
経営はマネジメントとはまた別で、私は結果として社長という経営者になりましたが、
両方できるようになりたいと思っていました。
オペレーションのことを理解できた方が、経営に役立つことは多いのではないかと。

社長は孤独です。
外での振る舞いは常に気を付けなければなりませんし、飲んで馬鹿なこともできません。
また、もともとホテルは典型的なヒエラルキー型で、部下は上司から言われたこと以外は
するなというのが当たり前でした。
しかし、そのままでは言われたことしかできなくなってしまいますし、お客様の気持ちに
すぐお応えできません。
私はいま、現場が自らお客様に必要なことを考え、それをすぐに実行できる環境に
変えようとしているところです。

グローバルなホテルへ

外部調査機関の顧客満足度では、同カテゴリの都内ホテルで昨年と今年連続1位を
とっています。
しかし3年間社長を続けて、私としての達成率はまだ7割。
手を抜かずにより向上していきたいです。

当ホテルは「ニューヨークテイスト」や「都会的なセンス」を売りにしてきましたが、
時間とともにだんだん陳腐化してくるもの。
10周年でもう一度注目されるよう、プロジェクトチームを作って検討段階です。
常務を勤めている「ロイヤルパーク ホテルズ&リゾーツ」では、汐留をモデルに
ギュッと凝縮した、宿泊主体型ホテルを展開中です。福岡と京都は昨年開業しました。

私が若い頃のビジネスホテルと、今のそれとはだいぶ異なります。
内装はオシャレですし、女性が一人で安心して泊まれますよね。もはや観光に
使われるホテルです。
しかし、日本の高齢化が進む中、これからはアジア全体で考えないとホテル事業は
成り立ちません。
汐留はチェーン内でいち早くグローバル化を進めており、スタッフの1割はアジアを
中心とする外国人。もちろん、正社員です。
会社内での小さな異文化国際紛争もありますが、それはグローバル化の当たり前の姿ですし、
お互いの違いを知ることがスタートです。
私から見ると非常に面白いですし、必要なことだと考えています。

就職活動をする皆さんへ

面接をしていると、「こういうことをしたい」だとか「こうなりたい」という意思を
持っている人の少なさを感じます。
特に、圧倒的に男性が弱い。男性は伸びしろがあるのに、もったいないです。
社会情勢が混沌としているなか、希望が持てないまま大人になっているのかもしれません。
それは先に社会に出た私たちのせいでもありますが、だからと言って
諦めていい訳ではありません。
自分にもう一度向き合い、自分が何をしたいのかを見出してほしいです。
もちろん、合わない仕事を無理してやれとは言いません。
ミスマッチは会社のためにも本人のためにもなりませんからね。
ただ、どんな仕事に就くにしてもまずは自分の意思を持つことが大切です。

あとは、学生時代にしかできないこと
―たとえば、海外を回ってみるだとかボランティアをするとか―
を、ぜひ積極的にトライしてください。
外を見ると、日本のダメなところも良さも多々気付くはずですから。