代表取締役 太田 裕之

株式会社シスケア 代表取締役 太田 裕之

代表取締役 太田 裕之

株式会社シスケア
設立 2006年4月
事業内容
  • 高齢者住宅「ご隠居長屋 和楽久]モデル事業の展開
  • コンピュータによる介護情報システムの開発、提供
  • 介護事業の経営指導、研修、セミナー等の企画立案及び実施
会社HP http://www.syscare.co.jp/

他大学大学院進学断念からのリベンジ。建築家として独立を決意。

家業が工務店だったこともあり、幼い頃から「モノをつくること」に接してきました。
私自身は理系の人間で、それに加えて写真が好きだったり、美術など芸術系の学科が、
割と得意だったんですね。
そうなると目指す職業は建築家かカメラマンあたりだな、と大学選択の際に考えて、
結局は建築学科に進学しました。

私としては、将来は自分の事務所を持って、建築家となるつもりでした。
もう一つ思い描いていたのが、大学の先生になること。
建築設計の授業というのは、結構アカデミックな部分も多いので、大学の先生なら、
教えながら建築設計を追求できる、そのような立場でやってみたい、と。

だから大学卒業時には他大学の大学院を受けたのですが、落ちてしまいました。
親に負担をかけるのはいやだったので、まず建築設計事務所に就職をしました。
2年で一級建築士になり、その年から大学院を3回、働きながら受験しましたが
合格はならず、大学の先生になるのは諦めました。
その時、自分の中で思い切りがつき、独立することにしたのです。
挫折感は大きかったですが、それがかえって次の一歩を踏み出す
バネになったような気がします。「リベンジ」ですね。

個人事業主を経て会社設立へ

独立から2年ほどは、個人事業主として一人でやっていました。
初めのうちは、仕事をとるのが大変でしたよ。
アルバイトニュース等で施工のアルバイト募集をしているところに、外注でやらせて
もらえないかと営業をしたこともあります。
ただ、前職での6年間の人脈と仕事への評価が高かったことで、独立した後あいさつに
行くと、仕事をくれたクライアントもありました。
あるホテルのオーナーからは、わざわざ遠くから呼んでくれて、自宅を設計しろと。
別のホテルのオーナーからは、そのホテルにタダで泊めてくれて車の助手席に乗せられ、
ホテル仲間の経営者の所へ連れてゆかれ、こいつをよろしくと、一緒に頭を
下げてくれました。
下請化せずに、ホテル旅館の設計を、自分なりの表現で継続できたのも、その方たちの
おかげだったと思っています。
それらの仕事以外に大きかったのが、建物を鑑定する仕事でした。
役所からもらう仕事でしたが、その仕事を扱う事務所が少なかったのです。
というのも、当時はバブルの終わり頃で、たいていの事務所は設計の仕事だけで
十分やっていけました。
競合が少なく収益性の高い仕事だったので、その時に初めてアシスタントを
採用することができました。
初めて人を採用するということは、ある意味独立するよりもプレシャーがありました。
その後は収入も増えてきたので、会社を設立しました。
株式会社エス・ピー・エー(SPA)です。

ホテルや旅館の仕事から、福祉系の仕事にシフト

株式会社SPAの由来は、温泉の「スパ=SPA」です。
ホテルや旅館の設計を中心としていたのですが、数年後より会社は思った以上に
うまくいきました。

ところがそれもバブルがはじけるまで。旅行の形も変わってきました。
バブルの後半あたりまでは、社員旅行は温泉で、が当たり前でしたし、バスで団体旅行も
普通のことでした。
今の人達には、そんな旅行は考えられないでしょう。
個人旅行にしても、箱根1泊よりも上海3泊の方が安かったりもします。
このように旅行のあり方自体も変わって、市場はどんどん収縮していきます。

ほかに活路はないか。施設系の事業はないか。
同じ「ホスピタリティー」のキーワードが当てはまるものはないか。
それが、「福祉系」です。
舵を切り直し、仕事を老人ホームや保育園など福祉系の設計にシフトしていきました。
時は1998~1999年頃。介護保険制度のスタートとも重なって、タイミング的には
良かったのです。

それまで培ったノウハウを生かして介護系事業の提案を展開

介護というのは、介護保険制度以前は税金でまかなわれていました。
だから「サービス」という概念からは程遠く、お客さんの方から
「お願いします」と頭を下げてくるものだ、そういった感覚で動いていたのです。
それが介護保険制度のスタートで民間が参入し、そうはいかなくなりました。
競争とマーケティングが必要です。

また、介護もホテルや旅館と同様に施設型、いわば建物商売。
当社は、ホテルや旅館の設計で得た知識を生かして、介護施設などのアドバイザー、
コンサルタント的なこともできます。
そういったことは、「建設設計事務所」だけでは無理なので、他にも専門スタッフを
雇おうということになりました。
それが株式会社シスケアです。

建築設計の営業部隊のような業務だったのですが、介護に携わっていた人、
不動産企画をやっていた人、雑誌の仕事をしていた人などが加わって、
お客様への提案内容がグンと広がりました。

高齢者住宅「ご隠居長屋 和楽久」で高齢社会の新たな暮らし方を提案

とくに力を入れているのが、「和楽久」という自社ブランドの高齢者向け住宅です。
2年前に国からの認定を受け、1年で15棟建設しました。
今後も先行モデル事業として展開していく予定です。

高齢者向けの住宅というと、施設のイメージが強いですが、私は「施設ではないもの」
を作りたいと思っています。
高齢社会に向かうなか、会社をリタイアした後の暮らしを支える住宅です。
とても大きなテーマであるにも関わらず、日本ではまだあまり扱われていないので、
そこを我々がやっていきたいと考えています。

伸びている市場だけに、異業種も含めた他社の参入もありますが、建築や設計などの
ハードの部分と、「人」が必要なソフトの部分、それら両方を一緒に扱うことが
できる会社は、あまりありません。
高齢者向けに、きちんとした空間を提供し、さらに生活のバックボーンも整えたい。
建築の入り口がSPA、人の入り口がシスケアという、2社を両輪として
私たちは、高齢者の住まい、そして新たな人の暮らし方を提案しています。

学生へのメッセージ

学生に伝えたいのは「色々な経験をしてほしい」ということ。
色々なことに手を出していると人間的な力が身についていて、そういった人は
対応力にも優れていると思うのです。
会社の外に出して使えるまでに育てるのは、上司にとって本当に大変です。
やはり人間力がないと、早く育ちません。
会社に入って、できるだけ早く実戦に使ってもらえる社員になるためにも、
色々な経験をして人間力やコミュニケーション力を高めてください。

ただし、会社に入ると理不尽なこともたくさんあります。
人間力やコミュニケーション力が及ばない部分もあることでしょう。
しかし反発をしてしまったら、そこで終わってしまうのが現実です。
とりあえずは飲みこんで、とりあえずはやっていく。
初めのうちは、そういった柔軟性も必要だと思います。

そして、「あきらめない」
挫折や失望をマイナスにしないでプラスに変えていってほしい。
そのときこそ、新たな活路への分岐点なのですから。