代表取締役 坂本 淳

株式会社メビウス 代表取締役 坂本 淳

代表取締役 坂本 淳

株式会社メビウス
設立 2000年12月
事業内容
  • コンピュータソフトウェアの開発・販売
  • コンピュータシステムに関するコンサルティング
  • コンピュータシステムの開発・販売
会社HP http://www.mebius.co.jp/

エンジニアが永続的に成長する企業を目指して

エンジニアのための会社』
それが株式会社メビウスです。
リーマンショックで打撃を受けたIT業界ですが、
下期からかなり立ち直ってきているのでは?と、社員の頑張りが
出してくれた成果から、私はそう実感しています。

こんな時代だからこそ、私は「100年企業への飛躍」・「原点回帰」という
二つの運営方針
を打ち出しました。
永続する企業・組織を創ろう!と設立当初から考えていましたが、
それはお客様だけでなく、社員全員を大切にする会社であろうという想いを
日頃から抱いていたからです。
それが結果として、多種多様な知識・ノウハウを蓄積し、
お客様に還元しサポートしていくことに繋がります。
私自身、小学生の頃からとにかくモノづくりが大好きな人間でした。
当時昭和30年代の日本は、戦後復興の時代。
テレビゲームもなく、理系男子の遊びと言えば
模型や真空管ラジオを分解して作った電気工作が主流でした。
あまり裕福な家庭でもなかったため、安く部品を集め、機械を作り上げる。
そんなことをしていた私は、昔から会社を創ることに興味を持っていて、
創るからには、エンジニアが永続的に成長できる環境を
何よりも大切に出来る会社にしたいと考えていました。

コンピュータ時代の到来!

高校を卒業をする頃に、マイクロコンピュータが登場しました。
セキュリティのうるさくなった今では考えられないですが、
自宅近くにある工場から出るコンピュータ部品をクズ屋で買える時代でした。
それを手に取ると、
「自分でもICを組み合わせればコンピュータ創れる!」と挑戦したものです。

大学生になる頃には、MicrosoftもAppleも生まれたばかりのベンチャー企業で
Macintoshの前身であるAppleⅡが発売されました。
この頃から「将来はIT業界で働くぞ!」と決意していましたね。
あの時代の貧しさがあったからこそ、今の私があるんです。

大学卒業後、計測機器メーカー大手のソニーテクトロニクス
(現日本テクトロニクス)に入社しました。
当初は、外資系かつ計測業界は給与水準が高かったこともあり、
この業界を志望したのですが、入社試験は驚きの連続でした。
「会社見学に伺いたい」と連絡をしたところ「じゃあ遊びに来てください」と
言われ、素直にその通りとって足を運んだんです。
しかし、到着してみたら役員の方が部屋にズラーッと並んでいる…
「あらら??」の一言でした。
まさか面接なんて思っていなかった私は、聞かれるがままに質問に答え、
約2時間の面接を経て内定・入社となりました。

技術を売りにするからこそベンチャーを選んだ

PCの前身であるグラフィックスワークステーションは、
個人用ではなくCAD設計専用とも言える程に高価なものでしたが、
だからこそ面白みがありました。
しかし、入社から約10年後にその分野から事業撤退することが決定し、
私自身の仕事へのモチベーションが下がってしまい、退職を決意しました。

技術には「これは正しい・間違っている」の基準が、ある意味はっきりしています。
しかし、<戦略>ではお客様が最優先ですし、
私自身もエンジニア目線を大切にしつつ
技術を売りにし色々な提案・提言を可能にしていくなら
「ベンチャーしかない!」と感じ、ソフトウェア業界への転身を決意しました。

業界への危機に気付いた瞬間

ところが当時のIT業界の実情は、本当に酷いもので
急速なスピードで成長する業界に対して人材不足。
かじった程度の知識で採用されてしまい、甘やかされた環境。
このままで「業界全体がダメになってしまう!」危機感を常に持っていました。

それと時を同じくして、バブル崩壊の煽りを受けて会社の業績が急速に悪化。
NTTや日立製作所など大手取引先に恵まれていた事業所であったにも関わらず、
仕事そのものを行うための資金繰りも危うくなってしまったんです。
事業部の責任者であれば、お客様に対する責任があります。
ソフトウェア開発は簡単に他者にバトンタッチが出来る仕事ではありませんし、
お客様にも迷惑を掛けるなんて論外ですし、まして懸命に働いているスタッフに
資金的な心配をさせる訳にはいかない!と自身で資金を捻出しました。
結果的に会社は倒産しましたが、取引先であった旭情報サービスへ新規事業である
『受託開発部門』を提案し、
残った社員と共に移ることになりました。

エンジニアは労働力ではなく、多様なノウハウを持った人材であれ

2000年にメビウスを設立した時から
「エンジニアが一生働ける会社を創りたい」という理念は変わりません。
ですから、当社では終身雇用が前提です。だからこそ、
社員には常に成長やお客様だけでなく会社への貢献を求めます。

ソフトウェア業界の実情として、派遣エンジニアは40歳を超えると
厳しい環境になります。
しかし、私はエンジニアを<労働力>ではなく、多様な<ノウハウ>を
持つ人材だと考えています。
自信を持って「この技術なら右に出るものはいない!」という
意識を持って欲しいのです。
受託設計開発を通過点にして、ノウハウと製品を売り出す
「ソリューションビジネス」にシフトしていきたと考えています。

自律分散型の企業文化で自立したエンジニアを育成

私は「ありきたりの言われた通りに動くだけの人材」を求めてはいません。

これは、エンジニアに限らず、自分できちんと判断し自走できる、
ある意味自分の手を離れて成長してくれる人材が増えてくれれば、
これ程嬉しいことはありません。
ですから、『自律分散型』で伸びていくフラットな会社組織・企業文化を
創りたいのです。

これからは、一人ひとりが経営者目線を持ち
「自分が会社を大きくする」ことが求められます。
だからこそ、エンジニアには自由かつ柔軟な発想を大切にし、
良い意味でワガママでいて欲しいのです。
だから、結果的に次のステップを目指す人材が出てもいいんです。
「坂本さんは、エンジニアの学校を作っているようなものですよ…」と
指摘する人もいますが、
私はそれでも良いと思っています。
成長して、そして会社を巣立っていく人が多かったとしても、
その多様な人の繋がりから、仕事上でプラスの作用が生まれることもありますから。
技術を深く掘り下げる、プレゼンテーションやコンサルティング能力が
高い人とバラエティに富んだ人材が集まるのは、本当に素晴らしいことです。
適材適所で人材を配置するためにも、似たり寄ったりの偏った採用は決してしたくない。
これも私の新卒・中途採用に対する、ひとつのポリシーです。