代表取締役 伊藤 洋之輔
設立 | 2003年5月 |
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事業内容 |
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会社HP | http://www.gaisousenka.co.jp/ |
波瀾万丈の幼少時代。
私は山口県の萩市に生まれました。
小学2年生の時に親が鉱山の事業に失敗し、兄弟と共に親戚の家に預けられる事に。
以後10年間、両親とは会えず離ればなれの生活を送りました。
預けられたのは海辺の漁村で、潮の匂いや波の音に包まれ、毎日のように釣りをして育ちました。
とにかく遊ぶ事に夢中で、勉強にはまったく興味を覚えませんでしたが、
社会科だけは面白く、成績もよかったですね。
今思えば、詰め込み型の勉強をしてこなかった分、現在も脳に柔軟性があるような気がします。
中学を卒業してすぐに、福岡県の釣具問屋に住み込みで働く事になりました。
住み込みといっても自分の部屋なんてありませんでした。
従業員が食事をする部屋に、皆がいなくなった後、布団を敷いて寝るのです。
休みはお盆とお正月だけで、初めのころは食事も朝と夜だけ。寂しくて涙で枕を濡らす夜もありました。
その釣具店には5年は勤めるという条件だったのですが、4年程勤めた頃、
東京で新生活を送っていた母親が会いに来てくれたのです。
やはり両親と一緒に暮らしたくなり、事情を話したのですが許してもらえず、
ある朝、店を飛び出して東京へと向かいました。
東京で見習い修行後、独立。
その頃、東京で父親がやっていたのが、防水工事の会社でした。
当時19歳だった私は、すぐに職人見習いのような形で入り、
最初の約2年はセメントの中に防水剤を入れるモルタル防水の施行などを中心に、
あとの約2年は、父親が力を入れていた雨漏り補修工事の事業をおもに手伝いました。
その数年間で、私にとってそれからの人生の武器となる「防水工事とロープ作業」の技術を身に付けたわけです。
当初は、外壁の塗装や防水工事といえば、がっちりとした足場を組むのが常識でした。
けれども、私は出来る所はロープを使用したブランコ足場やゴンドラ工法で作業をおこない、
足場構築にかかる高額な費用を削減する事を推奨しました。
もともと小さな頃から長く両親と離れて生活していたせいもあり、
自立心が強かったのかも知れませんね。
東京で修行を始めてから5年後の1971年、雨漏り修理をメインとした『伊藤工業所』として、
個人で防水工事、塗装工事をおこなう仕事を開始しました。
会社として急成長を遂げた後、破産。
「低コストで、丁寧な仕事」をモットーに働き続けたところ、業績はぐんぐんと伸び、法人化する事となりました。
独立から10年後の1981年、『アズマ工業株式会社』を設立。
その後も資本金を増やし続け、その約10年後には社名を『株式会社アズマ』と変更。
売り上げは24億円にまで伸び、ビルやホテル、マンションなど大手顧客も付き、
アメリカ大使館の仕事まで請け負うようになりました。
しかし、急成長を遂げたが故に資金繰りがうまくいかず、1998年に会社、個人ともに破産。
150人もの職人を抱えた会社でしたが、すべてが瞬時にしてなくなりました。
とうとう私は、裸一貫でやり直す事を余儀なくされました。
一台の中古車にロープと道具を積み、再出発。
改めて『伊藤工業所』として、たった一人での再チャレンジ。
中古で30万円の自動車を買い、作業着を着て、町中をまわり始めました。
迷いはなかったですね。19歳からずっと、この業界しか知りませんでしたから。
たった一台の車とロープ、そして道具があれば、何とかなる。
そう信じて、誠心誠意を尽くした仕事を心掛けました。
外装やタイルの汚れているビルに飛び込んでは、施行を提案。
話が決まったら、その場でロープを用いたブランコ足場での作業をおこない、
直接代金をいただくという事を繰り返しました。
お客様に、
「安く直せてよかった」「すごいですね」「きれいになった」
などと言われると、やはり嬉しいものです。
はじめは小さな工事から始めた仕事も、徐々にビルやマンションの外壁工事などが増えて
軌道に乗り、2003年、有限会社外装専科として法人化。
株式会社となった今では、マンションの大規模修繕工事がメインになりました。
無駄を排除し、誠心誠意を尽くす。
わが社の姿勢は、一貫して安くて丁寧、そして責任を持った仕事をおこなうこと。
常にお客様の立場に立って、過剰な工事仕様などを排除した、
本当に必要な工事内容を提案させていただきます。
また施行においては、数十人の職人とのネットワークを生かし、出来る限り自社の直接施工。
そうすることにより、元請け・下請け・孫請けといった体制において生じる中間経費をカットしています。
それから、他社には類を見ない充実した保証内容で、アフターサービスも誠心誠意対応しています。
おかげさまで売り上げは、一昨年は2億9千万、昨年は4億9千万、今年は7億と前の
会社を抜きそうな勢いです。しかしながら前会社の苦い経験をもとに、限りなく堅実な経営を心がけています。
また、私個人の著書となりますが、ダイヤモンド社より『間違いだらけの大規模修繕』という本も出版。
この本にも書いた通り、今後も無駄な部分を省く事で低価格な大規模修繕工事を提案すると共に、
高品質な仕事を続ける事に邁進していきたいですね。
努力あるのみ。一緒に頑張りましょう。
「石の上にも3年」とよく言いますが、体験してみた事が少しでもおもしろいと感じたなら、とにかく続けてください。
それが一生の仕事になるかどうか、自分に合うかどうかわからなくても、すぐにやめないで欲しいのです。
また、大企業を狙っていたのにダメだったので中小企業に入ったという場合も、ものは考えようです。
大企業よりも中小企業のほうが、いろんな事を知る機会が多いですから、視野が広がると思えば良いのです。
一見単純と思えるサラリーマンの業務でも、一つ一つをクリアしてゆけば立派な実力となります。
私も19歳から地道に続けた、長年のキャリアに助けられてきました。
努力なくして成功はなしです。
昨日よりは今日、今日よりも明日。
一緒に頑張りましょう。