代表取締役 山本 友大
設立 | 2009年5月 |
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事業内容 |
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会社HP | http://jinnzaiikusei.jimdo.com/ |
高校での生活と卒業後
もともと高校には行きたくありませんでした。
ただ、中学生のときにかなり親に迷惑をかけたので
「高校くらいは出ておこう」・・・・と。
ただやっぱり高校生活は楽しくなく気がつけば
最小限の出席日数で、最低限の点数をクリアして
卒業することばかり考えていました。
そんな3年間の一番の思い出は
卒業式に担任の先生から「お前、今日来ていたのか!」と
驚かれたこと。まー卒業式も最小限に抑えたかったので
遅刻していった自分が悪いのですが・・・
卒業後は、音楽が好きだったこともあり、
ライブハウス「博多ケントス」でウェイターとして働きました。
その店の忙しさは半端ではなく、
1年で30人も辞めていくほど、仕事もかなり厳しかったんです。
私はそこで働くということの基本を徹底的に鍛えられました。
特に挨拶、時間を守る、笑顔。この3つは本当に叩き込まれたことを
覚えています。
最悪の就労環境でも成果を出す
ケントスで1年間働いた後は、東京に出てきました。
実は東京で一旗揚げるのが、小学校6年生の頃からの
私の夢でした。
そのきっかけは、長淵剛の「とんぼ」を聴いたこと。
”薄っぺらのボストン・バッグ 北へ北へ向かった”
このワンフレーズが脳にインプットされていたのです。
ただ、そうはいっても東京には何のあてもありません。
色々と調べていく中で、新聞販売店なら
住み込みで仕事ができると分かりました。、
そして、上京をして働き始めました。
ところがこの店は、今振り返っても人生で一番最悪・・・
給料は驚くほど安いのに、労働時間は長い。
しかも担当している集金先の98%から徴収をしないと、
給料をもらうこともできないのです。
配達、集金、そして営業と、寝る時間もないほど働きましたが、
なぜか店長には嫌われてしまったんですね。
いびられたり責められたりで人間不信にも陥りましたが、
仕事は一生懸命に頑張って、契約部数を落とさずに
1年間を乗り切りました。
一番の思い出は、最後の最後に泥棒に入られ現金25万円を盗まれたこと。
月給が手取り7万円くらいで1年間コツコツ貯めたお金がだったのに・・・・
飲食業界に入り、様々なことを学んだ日々
新聞店を辞めて入社したのが、居酒屋のFC運営を
行っている会社でした。
博多でのウエイター経験を生かして働くつもりでしたが、
社長から「オールマイティになれ」と言われ、
まずは料理から始めることになりました。
しかし私は料理なんてやったことがありません。
専門用語を言われても分からず、まるで呪文のよう。
分からないから何度も何度も板前さんに尋ねていて、
しまいには「ボケ老人」というあだ名を
つけられてしまいました(笑)。
当時は悔しくて悔しくて、毎日人より最低1時間早く出勤。
帰りも1時間居残りして働きました。
そんな悔しい職場環境の中で今でも忘れられないのが
会社のNo.2である上司との出会い。
その上司は、他人とのコミュニケーションが苦手な私を理解してくれて、
周りと上手く合わせながら、色々なことを教えてくれました。
私はその上司から、人と人とのバランス、
組織のバランスのとり方なども学ぶことができました。
人生が大きくかわる出逢いでした。
我武者羅に働いた3年間。調理の技術も向上し仕事も楽しく
なってきた矢先に「このまま板前として生きるか、それとも社長を目指すか!」という
迷いがいつしか自分の中に生じていました。
その時に浮かんだのが、歩留まりや原価に疎いことで
周囲に陰口を叩かれていた板長の姿・・・・「料理と経営は別なんだ!」と気付き
経営を学ぶ道を選びました。
経験のなさを痛感し、現場での業務を志願
そこで転職したのが、飲食店向けの人材派遣、研修、
FC展開のコンサルティングなどを行っていた「リンクワン」。
お店の立ち上げにも関わる仕事だったので、
そこで私の板前としての経験や技術を
活かすこともできました。
そして、それを買われて、店長研修における
調理実技の講師を任されることになったのです。
しかし、当時の私は24歳。
受講生は30~40代がメインで年上の方ばかり。
ちょっとマズいなあと思いつつ始めたのですが、
案の定、途中から思うようにできなくなってしまいます。
というのも、私は調理は早くて技術もありますが、
店長の経験がありません。マニュアルを読んでいるだけで、
自分の言葉で話すことも、経験談を話すこともできません。
だから、相手に言葉が響いていかないのです。
やがてそんな自分自身に苛立ちを抱くようになっていきました。
それで、このままではいけないと上司に掛け合い、
新規店舗の店長や、その他でも何店舗かの
店長をやらせてもらいました。
実際に店長を経験し、成果を生み出したときは本当に嬉しかったです。
また赤字店舗の立て直しや店舗風土の立て直しなど現在の仕事の基盤も
ここでの体験が非常に役に立っています。
カリスマ社長のもとで経験を積んで独立
リンクワンの次に入ったのが、「てっぺん」です。
「てっぺん」の代表である大嶋氏は、飲食業界では、
その名を知らない人はいないと言われるほどの有名人です。
中でも「朝礼」が凄いことで知られていて、
その様子を日本国内のみならず、海外からもツアーを組んで
見学者が来るほどです。
その大嶋氏のもとで、5年間働いた後に独立をしました。
私がやってみたかったのは、「てっぺん」のコンセプトを
自分で実践すること。
「てっぺん」という会社は売り上げも半端ではないし、
影響力も物凄い。
その「てっぺん」と同じようなお店で、同じような内容で、
しかし名前が違う場合には、どんな反応があるのか。
それをやったのが、当社の1店舗目の「叶え家」です。
現在は国内3店舗と海外の飲食店の経営に携わっています。
今後のビジョンとしては、あと2店舗増やして
5店舗にしたいと考えています。
それから更なる海外展開と起業家支援も行っていきます!
若者へのメッセージ
若い人たちに言いたいことは、
まずは「憧れの人」を探しなさいということです。
「憧れ」の力って凄いんですよ。「憧れ」は心の太陽なんです。
太陽はものすごいエネルギーを与えてくれます。
あとできるだけ、たくさん憧れの人をつくる。
この人も凄い、あの人も凄い、と。
そして「ああなりたい」と思うことで、
自分を成長させることができるのです。
憧れの人ができたら今度は「ちょっと居心地が悪い」と感じる環境に、
自分の身を置く。ちょっと自分の身の丈に合っていないかな~と思いつつも、
とても魅力的で自分の成長を感じることが出来る場が最高です。
そこに身を置き続けることを心がけてください。
とにかく、そういった環境に居続けることが自己成長への大きな糧になります。