代表取締役社長 泉谷 渉

株式会社産業タイムズ社 代表取締役社長 碇 隆司

代表取締役社長 泉谷 渉

株式会社産業タイムズ社
設立 1967年9月
事業内容
  • 新聞・通信・書籍の制作・発行
    (主要媒体は「半導体産業新聞」「商業施設新聞」
    「医療産業情報」「環境エネルギー産業情報」)
  • セミナー、カンファレンス、各種イベントの開催
会社HP http://www.sangyo-times.jp/

そば屋の後継者として育つ

出身は横浜、実家は老舗の日本そば屋でした。
そのため私は、子供の頃から後継者として育てられました。
だから一般的な家庭とは、教育方法が全く違っていましたね。
高校進学の際には、「高校に行くのか?」と言われ、
大学に行きたいとなったら、「気でも触れたか?」と(笑)。
そば屋なんて読み書きそろばんができればいい、
塾も勉強も必要ない、そんな感じでした。

そう言われると、かえって勉強したくなるものです。
お店の手伝いを終えた後、夜の10時頃から
むさぼるように本を読み、勉強をしました。
まだ10数才の子供でしたが、そば作りを朝から手伝って、
雪の降る日も雨の降る日も自転車で、
そばやカツ丼の出前をしていましたから、
ハードな毎日でした。

しかし私は家業が好きでした。
そばを作るのも出前をするのも、お店番をするのも、
とても楽しかったのです。
今思うと、幼い頃から色々な人と接していたことが、
ずいぶん役に立っていると思います。
取材相手が眉一本動かす、視線をわずかに動かす、
そういったことを絶対に見逃しません。
取材とは、相手の顔色をどれだけ読むかの勝負。
その局面において、そば屋での接客経験が生きています。

法学部で学ぶも別の道へと進む

法学部に行こうと思ったきっかけは、一番つぶしがきくから。
大学に入った時点では、蕎麦屋を継ぐという選択肢も、
まだ私の中にはありました。
しかし司法試験の準備をする頃に色々と考えて、
最終的には蕎麦屋は継がないと決めたのです。
もちろん親は怒りましたが、結局は諦めましたね。

そんなある日、ゼミの先生に「僕は弁護士になれるでしょうか」と
質問をしてみたんです。
すると返ってきた答えが
、「お前は口が上手いし詭弁家だから弁護士になる素質はある。
でも道は違うと思う」というもの。
そして向いているのは、芸能関係か新聞記者だと言うのです。

そう言われてみるとそうかもしれないと考え、
卒業後は1年半ほど芸能関係の仕事に携わりました。
その中で、ものを書く機会が増えてきて、
やがて書くことに、のめり込んでいったのです。
そのうちに、「芸能関係か新聞記者」という言葉が甦り、
自分は「書くこと」でやっていけるかもしれないと考えました。
そこで新聞社への就職を目指したのですが、
11月頃だったので、大手新聞社の中途採用は終わっていました。
それで、当時は今よりもずっと小さかった産業タイムズに、
なかば仕方なく入社したのです。

最も人気がなかった半導体の担当記者として

産業タイムズでは業界別に記者が分かれていて、
私は半導体の担当になりました。
私が入社した当時、1977年頃の半導体市場は、
重化学、鉄鋼、自動車などに比べると、
かなり規模が小さく、人気のない分野だったのです。
だから新人の私には、その半導体が回ってきたのですが、
その時の「お前なんか半導体やってろ」という言葉は、
今でも忘れられません。
いつか見ていろ、という気持ちにさせられました。

結果的に半導体の市場は、1977年頃の2千億円から、
ピーク時の2008年には7兆円まで伸びました。
一方、入社当時に花形だった産業は、
自動車以外は全て後退してしまっています。

要は、10年、20年、30年のスパンで見たら、
どの産業が伸びるかは誰にも分からないのです。
だから自分は良い分野をもらえなかった、自分は不遇だ、
そして自分はつまらない会社に入ってしまったなどと、
めげていても仕方がありません。
産業構造は、時の流れと共に変わっていくので、
逆に考えると、「この業界にいるから大丈夫」とも言えないのです。
ある意味、自分のいる分野が当たる当たらないは時の運かもしれません。

続けることができるのは「好きなこと」「やりたいこと」

私は大手新聞社に入らなくて良かったと思っています。
大手だったら、半導体だけを34年間も追いかけるなんて
絶対にできませんでしたから。
業界紙に入ったからこそ、やり続けることができて、
今や半導体業界においては最古参記者。
私は産業タイムズに入って、本当に良かったですよ。
好きなことを34年間もやらせてくれた素晴らしい会社です。

これは就活をしている学生さんにも、
参考になるのではないでしょうか。
大手企業のブランドに魅かれるかもしれませんが、
そういった企業では、社員は歯車でしかありません。
しかし中小企業やベンチャーなら、
本当にやりたいことを何十年と続けることもできる。
私はそれを身にしみて分かっています。

よく「好きこそものの上手なれ」と言います。
これは本当にその通り。
自分にはこれしかできない、これが一番好きというものを
突き進んでいくべきなのです。
もちろん自分がこれだと思ったことが、
必ずしもライフワークになるとは限りません。
しかし嫌いな仕事を一生やるなんて、絶対にできないですよ。
好きではないものを続けることはできない。
これを心構えとして持っていてほしいですね。

日本を支えているのは「絶対多数、絶対幸福の追求」の概念

もう1つ、私が若い人たちに伝えたいことがあります。
それは日本が「遅れた社会である」という誤った認識で、
世界から見られてしまっていることです。
昨今の世界の潮流は、徹底的な格差社会において、
やり遂げた者のみが成果を得ることに傾いています。
しかし日本は平等社会だから、成果はそこそこ、
天才もでないじゃないか、遅れた社会だと言われてきました。

しかし最近は、アメリカでもヨーロッパでも、
一握りの金持ちを許すなという気運が盛り上がって、
デモが急速に拡がっています。
これが「先を行っている社会」なのか?と思いますね。
日本の方が進んでいますよ。

日本人には、「絶対多数、絶対幸福の追求」という
素晴らしい概念があります。
これは、幸せは独り占めせずに皆で分け合うという考え方。
その概念があるから、皆が支え合っていく社会が築かれ、
横のつながり、人のつながり、強い絆があるのです。
それはあの大震災の時に再認識しましたよね。
そういった日本人のスピリッツは失われていません。
「絶対多数、絶対幸福の追求」の概念がある日本は、
とても健全な社会であると思ってください。

歴史が裏付ける「日本人の強さ」を認識してほしい

また、最近の日本人は、「日本は弱い」「日本は後退していく」、
そして「自分たちはいい思いをしていない」と考えています。
しかし世界の人々は、そうは思っていませんよ。
日本はバブル経済崩壊後も、20年間にわたって
GDPは世界第2位だったのです。
世界の国々に関して言えば、イギリス、スペイン、ポルトガルなどは、
かつてGDP第1位から転落した時には、
10位以下にまで落ち込みました。
それに比べると、日本はいかにしぶといか、しつこいか(笑)。

そしてさらに歴史を紐解くと、日清戦争後にはGDPは20位くらい、
日露戦争後には8位くらいまで上がり、太平洋戦争の前には、
欧米に肩を並べるほどになっていました。
しかし敗戦で全てを失って、昭和20年頃には40位50位。
そこから日本は這い上がったんです。
外国の人々は、日本はゾンビのように強いと見ています。
ところが当の日本人は、それを全く分かっていません。
今の若い人たちは、このことを認識してほしいですね。
日本人の「戦うスピリッツ」は失われてはいないのですから。