代表取締役社長 若山 幸司

株式会社LASSIC 代表取締役社長 若山 幸司

代表取締役社長 若山 幸司

株式会社LASSIC
設立 2006年(平成18年)12月26日
事業内容
  • IT戦略・IT計画策定支援
  • システム設計・開発
  • IT基盤構築
  • システム・IT基盤運用・コンサルティング・営業アウトソーシング
  • 人事労務コンサルティング・メンタルケアサービス
会社HP http://www.lassic.co.jp/

起業は選択肢のひとつかな、くらいだった。

学生時代は、「将来は社長になる!」という夢があったわけではなかったし、
ほとんど就職活動もしていなかったんです。

でも、親がIT系の会社を経営していたので、「自分が将来継ぐんだろうな」
とは思っていました。継ぐからにはITについて理解しておかないと、と思ったので
まずは、親の知り合いの会社に入社しました。

もちろん、入社したからにはプロのサラリーマンとして成果を出そうとしましたし、
一人前になるために一生懸命働きました。でも、社長をしている今から見ると、
この時の自分はクビにしたいくらいナメてるヤツでしたね(笑)。

親とのケンカと学生時代の先輩のひとこと

親とケンカし、「お前に会社を継がせたくない」って言われてしまったんです。

ちょうどそのころ、学生時代から尊敬する7歳上の先輩と話をする機会がありました。
その先輩は、とってもポジティブな方で様々なことに挑戦し、
自由にやりたいことをやっているなんですけど、その方に言われたことが、
「お前が今日死んだら、お前の伝記の厚さはどのくらいあるか?」と。

そう聞かれたとき、自分は日本の偉人たちの伝記を思い浮かべて自分と比較しました。
「自分の伝記なんて薄い。1ページもない。
世の中になんの価値もうみだしていないじゃないか。」とショックを受けました。
そこで、世の中に貢献したといえるもので、
自分の伝記を厚くするような生き方をしようと決めたんです。

業界への疑問を感じた社会人1、2年目

入社1年目のころ、先輩が人事異動になりました。でもその異動は、
先輩のキャリアが生かされないため、会社にも、先輩個人にとっても
プラスにならないのでは?と疑問に思う異動でした。
納得のいかない自分は先輩にこの異動の理由を聞くと“
業界ではよくあること”としか説明されませんでした。

また、社会人2年目にして、協力会社とのプロジェクトチームの
サブリーダーに選ばれるチャンスがありました。
でもそのチームのメンバーは入社5~6年目の自分より先輩の人ばかり。

先輩に理由を聞くと、会社の発注の元請け下請けの関係上
やむを得ない配置で、これまた“業界ではよくあること”でした。

私はこの組織構成がオカシイと思ったんです。
だってプロジェクトの成功が本来の目的なのに、
明らかにその本質からそれている。

今後の日本の労働力を考えると、一人の生産性をいかに高めるかに
重点をおく必要があるのに・・・なんで最適なフォーメーションを
とらないんだろう、と思いました。

そのような業界への疑問を抱えるようになった私は
「人事・業界の構造を変革したい」をテーマに
今後のキャリアを生きていこうと決意。
こうして、社会人2年目の冬、転職することを決めました。

社会人3年目、ベンチャー企業へ転職

自分の想いが強くなってきて、人事や業界の構造の変革ができそうな会社は
ないかと探し、社会人3年目、当時「日本の人事部になる!」と掲げていた
人材系のベンチャー企業「㈱インテリジェンス」に転職しました。

親との関係上、自分で自分のレールをひいていかなくてはならない状況になり、
ゆくゆくは自分で会社を経営することも視野に入れ始めていたため、
経営者に近いところで経営も学んでいきたいと思っていました。
そこで、そのような環境を得るため、ベンチャー企業に転職しました。

インテリジェンスでの仕事は最高に楽しく、充実していました。
自分が思っていることであるとか、目指すものに今やっている仕事が
繋がっていく事をダイナミックに感じながら、働くことができました。

具体的にはITの派遣事業の立ち上げを5人ほどで取り組んでいたのですが、
困難の壁はあったと思うけど、それを壁だと気づかないくらい、
立ち止まることなくひたすら走っていました。

この経験が非常にその後の礎となる経験だと今でも思います。

現在の株式会社LASSICへ

ざっくり言うと、いろんなタイミングが重なったんです。

本当は、インテリジェンスも1~2年で辞めようと思っていたのですが、
そこではすごくたくさんチャンスをたくさん頂いたので、
結果的に退職する時期は予定よりかなり延びてしまいました。

でも、自分の中に自分でやりたい!という想いが強くあったので、
最終的には退社に至ります。

辞めた後、起業を考えていたころに、前職のインテリジェンスで同僚であった
LASSICの創業者であり現在副社長の西尾と話す機会がありました。
そこで、西尾の理念と自分自身が思っていたテーマが一致し意気投合したため、、
じゃあ一緒にやろう、ということでLASSICに加わることになったんです。

そうして西尾副社長が鳥取本社を統括し、
私が東京で新規事業の立ち上げを行うようになりました。

新規事業「活性化支援事業」

まだまだ発展途上な新規事業ではあるのですが、
日本で唯一の「活性化支援事業」を成功させ、
世の中を元気にしていきたいと思っています。

弊社の活性化支援というのは、ただ能力開発をしたり
モチベーションを上げたりするのとは違って、
いわゆるメンタルヘルス等で復職したけれど
元々のパフォーマンスを発揮できずにいる方が、
本来の“輝いている状態”になるようご支援する、というものです。

なぜ、この新規事業を始めようと思ったかというと、
IT業界では、うつなどのメンタル面で辞められてしまう方が多いのですが、
現実には転職のご支援ができていないです。また企業側からしてみると、
やはりそういう方の採用は避けたいというのが現状です。

これから日本の労働人口が減少していくことを鑑みると、
学校や企業で教育投資されてきた優秀な方々が、
現場の第一線から外れてしまうのは社会的損失が大きいと思うんです。
一方企業側から見ても、高いパフォーマンスをしてもらうために
人員に対して多くの投資をしています。

なので、この状況を脱却するご支援をしていきたいと思ったんです。
目標は来年の、単年度黒字ですね。

今後のLASSIC

弊社のIT事業は、大手企業と違って地域密着型です。
地域の「らしさ」をITを使って支援していくのが目的です。

ひとつのねらいに「採用」があります。
Uターン、Iターン希望者のために地方での採用を行い、
地域活性化に貢献していきたいと思っています。

「らしく」の実現というのは、多様な価値観がある中で
ひとりひとりの“幸せの基準”が合うことだと考えています。

前職の人材業をやっていたときに、転職希望者のITの仕事では
地方の採用はあまりないという声を聞き、地方で自然に囲まれて
プライベートも充実した働き方を作り上げたいと思ったんです。

就活生へのメッセージ

前向きに物事に取り組める力が大切ですね。

チャンスは誰にでも訪れるものです。
それをどうとらえて取り組めるかが重要です。
例えば、景気が良いから、悪いから、といった話がありますが、
景気が悪ければ、不景気を乗り切るスキルも身につけられると思うんです。

特に、世の中には自分でコントロール出来ることと出来ないことがあります。
コントロールできないものより、自分自身を変えることに
意識を集中した方が良いと私は思っています。

基本的に、チャンスは自分でつかむものなんですが、
チャンスをたくさん作る人はやはりポジティブなことが多いです。
それは恐らく、与える側も前向きな人にそのチャンスを与えたく
なるんだと思います。少なくとも私はその一人です。