代表取締役 廣瀬 豊邦

有限会社向陽介護システムズ 代表取締役 廣瀬 豊邦

代表取締役 廣瀬 豊邦

有限会社向陽介護システムズ
設立 平成16年12月10日
事業内容
  • 訪問介護
会社HP www.koyokaigo.jp/

銀行に就職して様々な業務を経験

就職活動をしたのは1975年、高度成長期の終盤のころで、
当時の就職市場は、学生にとって売り手市場でした。
今の学生さんたちとは全く環境が違っていて、
苦労もせずに内定をもらうことができたんです。
それで最初に内定をくれた都市銀行に、
すんなりと入りました。

初めて配属されたのは名古屋支店です。
預金係や外為係、いわゆる外回りという営業も担当しました。
本当は貸付の業務をやりたかったのですが、
名古屋支店では、その業務に就くことはありませんでした。
3年後、東京に転勤になり国際部に配属され、
次に、営業部に転勤となり、大手企業の担当などをやりました。
そしてその後、入行して10年を経て審査部に配属になり、
もともとやりたかった融資審査の業務に
就くことができたのです。

誇りを持てない仕事はしたくない!

42、3歳の時には、神奈川県内の支店で支店長を務めていたのですが、
その時手がけた2件の融資案件の顛末が、
後に私が介護関係の仕事に携わるきっかけになりました。
特別養護老人ホーム建設と、精神病院建て替えへの融資案件です。
私は2件とも自信満々の案件で、
当然銀行はすんなり融資融資を決定すると思いました。
もちろん融資するには、きちんとした事業性と
返済能力があるということが前提ですが、
少なくとも社会的に意義がある事業ですから。
しかし、本部の担当者はこう言ったんです。
「老人ホームとか病院とか、華やかではない」
「あまりメリットがない」

当時はバブル崩壊後で、銀行は融資量を絞り込む必要があり、
融資枠がきつい状態ではありました。
しかし実情は、不動産会社にガンガン融資して、
それらがバタバタと潰れて、それで手が回らない。
「儲かればいい」だけの視点でお金を貸して失敗して、
本来なら貸すべき事業に、なぜ貸さないのかと、
大いに疑問を感じましたね。
私が考える銀行の役割は、社会に必要な企業にお金を貸すこと。
しかしこの件で、仕事に対する誇りを持てなくなり、
もっと社会的に意味のある仕事がしたいと
考えるようになったのです。

銀行を退職して介護業界へ

1975年入社以来、銀行の仕事に誇りと意義を感じて、
歩み続けてきました。
しかしバブルの少し前くらいから、銀行だけではなく
世の中全体に「儲かればいい」という、
いわゆる拝金主義の風潮が蔓延してきたんですね。
その結果、本来は銀行がすべき仕事ができなくなった。
それが大きな不満になっていきました。

48歳で早期退職制度を利用して辞めましたが、
何の考えもなしに飛び出したわけではありません。
銀行にいた頃から、漠然とではありますが、
介護関係の仕事をしたいと考えていましたし、
「私の会社に来い」と誘ってくれた社長がいたので、
色々と準備をした上で辞めたのです。

ただし、いずれ独立をする予定で入社したのではなく、
むしろずっとその会社で働くつもりでした。
社長からは「後継者になってほしい」とも言われましたし。
しかし、働いているうちに「これは違う」と思い、
3年ほどでその会社は辞めました。

そして51歳の時に、向陽介護システムズを立ち上げて
今は7年目になりました。
当社の業務は、大きく分けて3つあります。
メインはヘルパー派遣。
ヘルパーさんがご自宅に行って
身体介護や生活援助などの色々な支援をします。
それから、ヘルパー派遣に関わることを調整する、
ケアマネージャーの事業所。
そして、介護用ベッドや車椅子などをレンタルする事業所です。

プロ意識を持って、自分を磨く努力を怠らないことが大事

この仕事は、介護保険という国の制度の中でやっているので、
他の商売とは違う部分もあります。
他の仕事は自由競争ですが、介護業界というのは
ある意味、制度そのものなので、
大きく守られている仕事とも言えるのです。
さらに少子高齢化で、子供は減って老人は増えるから
マーケットもどんどん広がって、誰が見ても前途有望。
しかし外部環境が良いからといって
漫然と仕事をしていては食べてはいけません。
やはりそこには、別の意味の競争があるのです。

それは、介護保険制度の中だからこそ生じる競争です。
当社の職員が仕事をしても、他社の職員が仕事をしても、
そして、当社の職員の方が質が良くて、他社の職員が悪くても、
もらえる報酬というのは同じ。
これは保険制度で決まっていることですから。

しかし、職員のレベルやサービスなどの質を良くしていかないと
大きな意味での競争には勝てません。
そこで私がいつも社員に言っているのは、
「プロだからお金をもらうことができる」ということ。
お金を稼ぐということは、自分の持っている能力を出して、
それに対する評価があるからこそです。
だから、常に自分を磨く努力をしなければいけません。

夢は日本と海外をつなぐ介護事業の実現

会社の規模については、これ以上大きくしていこうとは
思っていません。
適正規模、適正利潤というのが重要ですから。
会社を大きくするよりも、中身の充実を図りたいと考えています。

京都には多くの「老舗」企業がありますよね。
規模は大きくなくても、社会にしっかりと根付いている。
そんな老舗企業のように、しっかりと骨太で
小さくてもキラッと光る、そんな会社でありたいです。

それと私の夢は、海外と連携して介護を行うこと。
介護を社会全体で支えていくには、
もはや日本の中だけでは無理だと思っています。
介護の仕事には人が来ないし、従事している人の給料も安い。
それなら外に目を向けたらいいんです。
ただし、海外からスタッフを連れてくるのではなく、
介護が必要な人を海外に連れて行って、そこで介護をする、
これをフィリピンでやりたい。
もちろん、そこで介護のノウハウを身につけたスタッフが
日本に来ることもできるでしょう。
単にスタッフを連れてくるだけという発想ではなく、
そういったつながりを作っていきたいですね。

これはボランティアではありません。
夢は夢ですが、きちんとビジネスとして確立できたら
面白いと思っています。
実現が5年後になるか10年後になるか分かりませんが、
それに向けてずっと活動を続けています。

学生へのメッセージ

神輿に乗せられるのではなく、神輿を担ごうと考えてください。
神輿は重いから大勢で担がなければいけないのに、
誰か一人がぶらさがると、全部くずれてしまいます。
最近は、ぶらさがろうという人が多いのではないでしょうか。
「日本の社会を自分たちが支えていく」
そんな「気概」を持ってほしいですね。

それと必要なのが「感性」。
色々と観察する感性、変化を読み取る感性、
そういったものは学生にも社会人にも求められています。
これらを磨くには、もっと色々な経験をすべきなんです。
最近の若い人は、失敗を恐れるあまり経験が少ない。
失敗してもいいじゃないですか。
命を取られるわけではないのですから。

私がもう1つ言いたいのが、
「働くのは日本だけではないでしょう」ということ。
もっと視野を広げて、海外に飛び出してみるといい。
そのくらいの気概がないと、やっていけないと思います。