代表 清水 貫
設立 | 1978年10月1日 |
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事業内容 |
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会社HP | http://www.jasmec.co.jp/ |
算数を解くのは遊びと同じ感覚だった
小さい頃から、ロボットやロケットを創るような理系の道に行きたいという気持ちを持っていました。
その夢を後押しするかのように、算数や理科は得意でした。
また、塾で解いていた算数が面白く、一緒に通っていた友達が
持ってくる中学受験の入試問題を解くのも好きでしたね。
これは「勉強」というより、「遊ぶ」の意識に近く、
努力して勉強しているという意識はありませんでした。
その頃、一番苦手だったことは、「人の前で話をすること」でした。
それなのに、中学まで毎年学級委員や委員長をやらされました。
委員長になると人前でしゃべらなくてはならないので、すごく苦痛でしたね。
そして「勉強ができる子=先生にとって良い子=学級委員」
という型にはめられた図式に自分がはめ込まれる感覚は、本当に嫌で仕方ありませんでした。
その反動が中学時代に一気に開花。
理屈をこね出すと、大人に対しても負けない。
餌食になったのは若い先生たちで、授業中は態度もよくなく、話を全く聞いていないが、
テストをすると点数は取れている・・・先生たちにとっては、扱いにくい生徒だったと思います。
逆に高校は、小学・中学の時に感じていた色々なストレスから解放されて、
とても自由になることができました。
でも、好きなことはやるけど嫌いなことはしない。人と比べたり、
人に影響を受けて何かを始めることもない。そんな性格がすっかり定着しました。
この頃、趣味で夢中になったのは鉄道写真。
ちょうど、蒸気機関車の引退時期で、
写真を撮るために夜行列車を乗り継いであちこち行きました。
そして出会った人たちと話をする。知らないところに行き、
未知のものに出会える旅が好きだったんですね。
学生が手の届く範囲の旅費で、バックパッカーのようにいろいろなところに旅行をしていました。
限られた世界で働く? 人との関わりで働く? その選択の理由は?
高2くらいから、大学は数学科か電子工学科に進学しようと考えていました。
ところが、担任の先生との面談で「数学科に進学すると、将来たいていは教師になります」
と言われ、「数学の先生にはなりたくない」と電子工学に決めました。
実は、このときの担任の先生は数学の先生だったのですが(笑)
それと、ちょうどこの時期に、今のパソコンの前身となるコンピューターが
高校に置かれ、自由に使える環境だったため、友人たちと遊んでいるうちに
興味を持ったということも理由の一つです。
電子工学系ですから、卒論で研究もしました。テーマはマイクロモーターのコンピュータ制御。
当時のコンピューターは現在と異なり、技術者が使うのが主でした。
基盤むき出しのコンピューターに電子回路を設計してICチップを組み込む研究を
熱心にしていましたが、卒業の時点では、これを将来の仕事にしていきたい
という希望は薄れていました。
実は、この頃の私は精神的にとても後ろ向きになっていました。
就職を選んだ友人たちの話を聞いていると、大企業に型ではめられて
押しつけられているような人が多いと感じてしまったのです。
決められた道を歩いていくように見える、その先の人生が窮屈に思えて仕方なかった。
理系人間は「自分の好きなものはコレ」と決めたものにしか興味を持たない、
ある意味オタクな人たちが少なくありません。
非常に限られた業界・世界で同じような人たちとずっと働くことが嫌だったんです。
モノだけと向き合い仕事をすることにイメージが沸かないし、
将来に対するビジョンもありませんでした。
モノと向きあい仕事をするのではなく、人との関わりを主体に働くことになったのは、
大学時代に母親が始めた学習塾で講師をしたことがキッカケでした。
最初は、週末に手伝っていた延長で、自分の仕事はコレだ!と強く意識して選んだわけではありません。
ただ、塾で生徒を教えるのは面白く、私は人に接することの方が好きなんだな、と実感したのです。
なりゆきの消極的な気持ちで始めた仕事ですが、20代後半には
情熱を傾けられるようになり、他の仕事には目が向くことはなくなりました。一方、人生で
一番遊べる華やかな時期を、塾で教えることだけに費やしていたので、高校や
大学時代の友人たちからは「生存不明」扱いをされてしまって(笑)
その時は母と父、そして私と、家族3人で経営する本当に小さな学習塾だったんですよ。
子供の力をどうやって磨いて成長させるか?
弊社は、小・中学部、中学受験部、高校部の3タイプを主体としています。
目指しているのは、「真の意味での英才教育」
才能を磨けば光る子、将来勉強や学問の道で活躍する子どもたちのための
本質的な力を伸ばす特別なプログラムを創りたいと考えています。
私たちのできることはささやかで限りがあるので「どんなお子さんでも預かります、
お任せください」とは簡単には言えないのです。<誉田進学塾グループ>の考え方に
共感して賛同してくださる保護者の皆様とともに子どもたちを育てています。
合格実績がとても目立つからか、合格のために「効率よく点数を取らせて下さい」
というだけの要望もありますが、それだけのためには対応していません。
本来の目的は、本人の力をどうやって磨いて成長させるか。
点数や合格は、あくまでその結果であり、子供たちの<考える力>や<想像力>を
磨き成長させるには、どうしたら良いのかを大切にしています。
私は「難関中学・高校に受かる子ども達を量産するだけなら簡単だけど、
じゃあその先はどうするのか」と考えます。
例えば、テストによく出る答えだけ、飛鳥時代、推古天皇、聖徳太子、奈良時代、
東大寺、聖武天皇・・・これらを単語として丸暗記で覚えさせて点数だけとらせるのは
簡単なことですが、それは本当の意味での歴史の勉強ではないと思います。
各々が時代の流れの中で、どう関わっているのかを学ぶのが歴史の勉強の本質です。
つまり、原因と結果の因果関係を理解すること、ここまで人類が通ってきた道自体を
学ぶことをしなくては、将来何の意味もないのです。
ただよくでる答えだけを覚えても、大学に入学できるかもしれません。でも、その先はどうしますか?
社会に出た時に、役立たない勉強では意味がないんですよ。
それは、ただ難関高校や難関大学に合格するためのプログラムでしかない。
弊社の取り組みを子供たちに、もっと広めていきたいと考えています。
「売上・利益」とは顧客の満足が形を変えたもの
「今後の会社の戦略は何ですか?」
「拡大のための次の手は何ですか?」 などとよく質問を受けます。
しかし、私は会社の経営とはそういうものではないと思います。
そもそも会社は誰のためにあるか、その先のどこを目指していくのか、
私たちの仕事とは何か、をきちんと肝に銘じておく必要があります。
どんな仕事でも「顧客のためにある」ことは大前提でしょう。
しかし、誰からも満足を得てもらうのは、とても難しいことです。
私たちは、私たちの考える教育方針に賛同し、一緒に子供を育てたいと
共感していただいた方が、一番満足してくれるものを提供し続けてくことが
重要だと考えています。
当社の売上や利益は、顧客の皆様の満足が形を変えて返ってきたものです。
私たちの仕事が正しくできていれば、その結果として返ってくるもので、
経営の目的ではありません。
そしてそれは、私たちが次の満足を生み出すために返って来たものです。
ですから、顧客の皆様にさらに満足してもらえるものを創り出すことを
追求していかなくてはいけないのです。
そして、その主役は誰か?
最初は家族で始めたことですが、会社組織となったことで、
社会から求められるものがどんどん大きくなっていると、年々実感しています。
企業として社員も大幅に増えましたが、社員はいつも一緒にいるので
仲間たちと言った方がしっくりくるかもしれません。
その社員たちは、お客様のために奉仕する道具やロボットではありません。
教育の最前線で高い志を持つ人たちが、真剣に働いて活躍できる環境。
それが私たちの会社の目指すものです。経営者の仕事は、その環境を
どれだけ素晴らしいものにしていくかです。
本当の意味での教育のために、自分の持っているものすべてを、
真剣にぶつけていきたいと願う社員たちを育てて、満足させていくことこそが、
お客様の満足に繋がり、社会に貢献することになるのです。
初めからパーフェクトでなくてよい
私は、社員ひとり一人が<利他の精神>を持ち、人のために一生懸命頑張ること、
それが結果的に社員自身を成長させ、社員や家族の人生をも達成させると考えます。
こうした希望を持つ人たちが集い、そこで活躍することで、社会に貢献していく
磁場のようなもの。それが会社という仕組みだと考えています。
現状では、ありがたいことに、今私たちができること以上に、
より多くの皆様の期待が私たちに寄せらています。
私たちもその要望にできるだけ応えられるよう、また、
子どもたちによりよいものを提供できるよう努力しています。
自分たちで実現できることが広がれば、要求されるものはさらに多くなり、
ハードルはより高くなります。
私たちはこれを追いかけ続ける義務があるのです。
そのために、若い新しい力を求めています。
その人たちに求めているのは人間性。ものに対する考え方や姿勢に他なりません。
「若いからものを知らない」「やったことないからできない」のは当たり前なんです。
教えて成長させるのは会社の役目でしょう?
(採用の役員面接で)何を見ているかと言えば、「善悪でものを判断できますか?」、
「人のために仕事ができますか?」という当たり前のことだけです。
もちろん、社長である私が心を磨かないと社員がついてこれませんし、
正しい道を見つけることができません。
私の役目は、社員たちが活躍できるような、成長の環境を創ることだと思っています。
あえて言うなら<新幹線方式>。新幹線は全て車輪がモーターで回っているんですよ。
全部の車輪が回り、ひとつひとつが動力を出すことで、総合力で勝つことを目指しています。
社員たちも、仕事が面白くて楽しければ、自然と意欲的に仕事に取り組めるようになるはずですから。
勉強の本質とは、新しいものに出会い自分を変えていくこと
私は、初めから何かの道に情熱をもって
向上心高く進むことができる学生のみなさんも否定はしません。
でも、大多数の若者は、何のために自分は生きているのか、何ががしたいのか、
はっきりしないままだと思います。それがダメとは思いません。
自分探し、夢さがし、実はなかなか見つけれられないことの方が多い。
私の体験から言えば、たまたま出会ったひとつのことを集中してやり続けて行った先に、
その出会いがある気がしているのです。
この塾の仕事でさえ、最初は小遣い稼ぎの感覚で、やっているうちに面白くなりました。
縁とか運など、まずは受け入れて、動いた先に開けるものがあると思うのです。
まずは、行動。
考えていることを行動と一致させていくのは、実は一番難しいことなのですが、
とくに頭の良い人ほど、行動する前に見てるだけで考えてしまうことが多いように感じています。
やる前に良いか悪いかを決めつけてしまいがちですが、それではチャンスにも出会えません。
行動してみて、それをきっかけにして自分の中身をどう変えていくのかが大事なんです。
そう考えると、今の若い人たちの方が保守的なのかも知れませんね。
勉強や学習の本質は、自分の中に今まで持っていなかった
<新しいもの>と出逢って自分自身を変えて成長し、進化していくことです。
時代は流れ、常に変わりますが、その中で、まず自分はこうなりたいと願い、
その目的を達成するために「今、何をどうするべきか?」「どう成長していくべきか?」を
常に行動しながら考え続ける。
常に高い志を持ち、未知のものに挑戦するように人生を歩んで欲しいですね。
私自身も、塾では数学を教えています。なりたくないと思っていたはずの「数学の先生」です。
そして昔は一番苦手だった「人の前で話をすること」を仕事にしています。
今は、自分の思ったことを、たくさんの人の前で自由に話ができる、こんな素敵な
いい仕事は他にはないと思っています。そして、そのような仕事に出会えて、
使命をもって毎日を過ごせることに感謝しています。
最初は苦手と思ったことも、ずっとやり続ければ好きになり、一生の仕事となる。
自分にない未知のものから逃げずに、可能性を求めて行動してみてください。