代表取締役 社長 森 光太郎

株式会社エンファム. 代表取締役 社長 森 光太郎

代表取締役 社長 森 光太郎

株式会社エンファム.
設立 2001年12月
事業内容
  • 育児情報誌「リトル・ママ」の出版(2002年3月創刊)
  • コミュニティ型育児情報交換ホームページの運営
  • ママと子どもをターゲットにしたイベントの企画・実施
  • 育児・保育等に関するコンサルティング
  • 広告代理業務
会社HP https://enfam.jp/

面白い職に就くも、やむなく退職

私は福岡県出身です。
祖父の代から医者の家だったので、
自分も医者になるものだと幼い頃から思っていましたが、
大学受験で二浪して、結局は医者は諦めました。
それで東京の大学に進学し、4年間遊び呆けました(笑)。

4年生で、いざ就職活動という時期になっても、
やりたいことは何もなかったんです。
とりあえず履歴書を書いて送りまくったのですが、
ことごとく落ちました。
おそらく100通以上は書いて送りましたね。

苦労した末に入ったのがジュエリー会社。
デザイナーさんお付きの営業職として働きました。
主な仕事は、高級ホテルなどで行われる展示会などで、
お金持ちの女性に商品を売りまくること。
これがまた天職じゃないかと思うほど面白かった!
大学時代に学んだナンパとコンパが生かされたというか(笑)。

ところが、そこは1年で辞めることになってしまいました。
理由はリストラ。
当時、その会社では新卒を採用したものの、
会社の状況はあまり良くなかったんです。
しかし、内定切りという言葉がマスメディアで
盛んに取り上げられていたものですから、
それをやっちゃうと会社として体裁が悪い。
だったら「1年目切り」をしよう、と。
それで、私はその対象になってしまいました。

人の温かさを知った苦学生時代

会社を辞めて次を考えていた時に目についたのが、
広告デザインの専門学校でした。
「デザインとコピーなどあなたの感性で広告をプロデュースする」
そんな宣伝文句を見て、これだ!と(笑)。
ジュエリー会社からの退職金を学費として払い込んで、
苦学生生活が始まりました。

学校と居酒屋のバイトという生活で、
夕食はまかない、朝食と昼食はお客さんの残り物。
とにかく一生懸命にやっていたら、
居酒屋の店長がご飯をくれたり、
常連さんがデザイン関係のバイトをさせてくれたりしたんです。
その時に、一生懸命にやっていると、味方ができると実感し、
人生について少し真面目に考え始めました。

1年間の勉強を終えて、再び大変な就職活動を経て、
なんとか小さなデザイン事務所に受かりました。
ところが、予定していた新規事業がなくなったから
辞めてほしいと言われてしまいます。
2度も会社をクビになり、お金も尽きつつあり、
人生にも疲れたので、福岡に帰りました。

子供たちの未来を応援することに意義を見出す

福岡で入社した広告代理店では制作兼営業。
そこで手掛けたのが、育児関連の仕事です。
当時、会社では各幼稚園に「贈呈」という名目で、
育児情報誌を150部ずつ送りつけていました。
それで営業の人間は、企業に対して
「この媒体は幼稚園で配っているから、
確実に親の手元に届きます」と言って広告をとる。
ところが実際には、ただ送りつけているだけだから、
広告を出したって反応はありません。
そうなると広告主は離れ、結局とれなくなってきたので、
会社はやめようとしました。
しかし私は、せっかくの面白いコンテンツなのに、
きちんとやっていないのが悪い!と吠えたんです。
すると会社は、「じゃあ、お前やれよ」と。

育児モノといっても、当時は独身でしたし、
子供に興味もなかったので、何も分かりません。
それで、とりあえず現場を知ろうと、
幼稚園や保育園を100ヶ所ほど回りました。
その時の園長先生方の話で耳に残ったのが、
「朝食を食べない子供が多い」
「アトピーやアレルギーが増えた」といったこと。
世間でも、子供への虐待や「キレる子供」などが
話題になっていました。
それらを引き起こす社会背景が、
幼稚園や保育園を回っていて、徐々に見えてきた気がしたのです。

私自身、両親の別居や離婚によって、
流さなくてもいい涙を流した経験があります。
それを思い出して、嫌な気持ちにもなりました。
しかし自分がこうやって生きているのは、
親が産んでくれて、きちんと育ててくれたおかげだと、
考えられるようになっってきました。
もし虐待されていたら、キレて事件でも起こしていたら、
まともな大人にはなっていなかったはずです。
だから今度は私が、子供たちや親たち、
そして育児に関わる人たちの味方になっていこう、
それは非常に意義があると思うようになりました。

現場目線と地域密着を貫くために独立へ

まずは情報誌が確実にママのもとに届くようにと、
「ママの配送部隊」を作りました。
それまでは業者が届けていたのですが、
それをママたちがダイレクトに持っていくのです。
そうすると、ママにとっては、ちょっとしたバイトになるし、
会社にとっても若干のコスト削減になります。
そして何よりも、ママ目線を生かすことができます。
「こういうところにあったら自分だったらもらう」
そういった目線で、置くところも開拓してもらいました。

するとやはり、読者が増えて広告への反応が出てくる。
反応が高くなってくると、企業もつくようになる。
そうなると会社はどうするか。
「これはいい媒体だ。お前もっと売れ」
「編集は有名なライターでも使え」

ふざけるなと思って、また吠えましたよ。
コツコツと足を運んで、地域のことを書いてきたからこそ
媒体化できて今がある、
現場目線でなくなったら、元通りになってしまう、と。
しかし抗議は受け入れられず、ケンカ別れをしてしまいます。
辞めるとなったら、ありがたいことに
その時の部署の11人のうち、9人がついてきてくれたので、
独立をしました。

より良い育児環境づくりをサポートするために

2001年12月に起業して今に至るわけですが、
最初に100ヶ所を回った時に感じた、
「子供たちの未来を応援したい」という気持ちを
ずっと大切にしています。
そして「リトル・ママ」を支えているのは、
その頃も今も、読者をつないでいる配送スタッフです。
地道に地道にやっていること、
それが我々の強みであり、自信でもあります。
福岡エリアに関しては、ゼロ歳から就学までの
子供がいる世帯へのリーチ率は9割を超えているんですよ。
東京エリアでは、子育てのママサークルを取材して
サイトにあげるということを行っています。
毎月100件以上、合計3,700件を超えていますね。
この3,700件という情報が、様々なイベントや企業の商品開発に
活用できます。
それによって、ママの声や女性の感性を
社会に生かすことができればいいと考えています。

そして東京でも、現場感や地域密着にこだわっています。
ママたちが地域の情報を得たり、
コミュニティーを探したりすることにも
役立っていきたいからです。
また、ママ同士のつながりができることで、
育児の悩みを分かち合いたいというニーズに
応えることもできるはずです。

これから、どんどんリンクして大阪や名古屋にも展開し、
全国媒体にするのが私の夢です。
夢といっても、あと5年以内くらいには実現したいですね。

学生さんへのメッセージ

お金を稼ぐとは、どういうことなのかを考えてほしい。
人様はどういう時に、自分にお金を払ってくれるのか、と。
お金を稼ぐというのは、人の役に立った対価です。
役に立って「ありがとう」と言われる、
その対価としていただけるのがお金なんです。
だからお金が要るならどうするのか、
人よりもお金を稼ぎたいならどうするのか、
その分、人の役に立たなければいけません。

私は今の仕事が天職だと思っていますが、
それは試行錯誤をして、積み上げてきたからこそです。
自分の大学時代を考えてみても、
何をしたいか分からなくても当たり前。
しかしそこで、「分からないからフリーター」ではなく、
まずは踏み出して、何でもいいからやってみましょう。
踏み出すことが天職を見つけるきっかけになりますから。