代表取締役 関 征春

株式会社キャップ・アソシエイツ 代表取締役 関 征春

代表取締役 関 征春

株式会社キャップ・アソシエイツ
設立 1973年10月9日
事業内容
  • 広告企画・製作
会社HP http://www.cap-group.co.jp/

理系?デザイン?自身の方向性を決めたものとは?

デザイン業界を目指した動機と言うのは「コレ」と言うのが、特にありませんでした。

中学生の頃までは、漠然とした将来を考えていて、それこそ人間ってなんだろう?
と、考え始めました。高校生になると、理数系への進学を意識し始めたの
ですが、父親が歯医者だったこともあり、何となく目指さなきゃいないと感じていました。
ただ、絵を描いたりするのは好きで、美術部に所属していました。でも、この時でさえ
デザイン分野を目指していた訳ではなかったんです。

ところが、いざ大学進学という話が出始めた時、理工系に進むのに不安がよぎりました。
当時は、頭が良くないと・・・と思い込んでいたのもありましたが、父親からの助言が
きっかけにもなったんです。父親は勤務医として勤めていたので、継ぐべき病院がない
のであれば「好きでもないのに、人の口の中を診る仕事に就かなくても、他のに目を
向けたら?」と。また、美術展で賞を貰ったことで、正直いい気になってしまって。
実は、叔父が小説家だったので、その分野も目指してみたのですが、
圧倒的に文章の上手な人たちに、自分は叶わないと分かり、すっぱりと諦めました。

大学在学中に、実は色々な仕事をする機会があり、その流れでこの業界で仕事をする
ことになった・・・というのが、一番説明がつくかも知れませんね。

19歳から20代は、ハチャメチャしてました

大学時代に、先輩や仲間と会社を興したり、色々な仕事を手伝ったりしていましたが、
20歳前後で肩書きがあり過ぎることが、嫌になってしまったんです。
結局、卒業制作に取り掛かかり始めた頃に、当分は学生業に勤しもう!と決めて、
仕事からは一旦離れることにしました。

ところが、今度は卒業したはいいが「どこに就職したらよいのか」分からなくなって
しまったんです。そんな時に、以前お手伝いしていた、東京デザインカレッジから誘って
いただく機会があり、そこへ就職しました。
この学校は、漫画集団の関係で手塚治虫先生と、当時教育評論家だった『カバゴン先生』が
発案し、漫画コース・建築・グラフィックデザインを学べるところで、『フクちゃん』の
横山隆一氏も在籍していました。私は、最初建築の講師で入ったのですが、次第に
事務局長の秘書業務も担当する様になったのですが、何となくモヤモヤと感じるものが
あり1年で退職。それ以降は、デザイン系の学校づくりに携わったりと、兎に角19歳から
29歳で当社を起業するまでは、ハチャメチャな生き方でしたね。

広告デザインとは「明確な答えのない表現」

私自身の考えですが、広告デザインとは、社会心理学の要素を多分に含んでいる仕事です。
なぜなら、<広告は経済現象>であり、私たちの仕事=広告は、クライアントと
マーケットの間をつなぐもので、商品・イメージなりをマーケットに発信していく行為は、
形あるデザインとは異なるものだからです。絵や小説には自分の署名が入りますから、
明確に自分の主張が表にでますが、広告には自分の名前が出ることは、まずありません。
では、社会心理学と広告の関わりは何かと言えば、人間の潜在心理やモチベーション
リサーチ、民族、時代、環境によって色々な要素が絡んでくることにあると思います。

また、アメリカのある自動車メーカーが、売り上げが落ちてきた原因を市場調査した際に、
「小回りが利いて、燃費が良くて、スタイルも値段も手頃」な車種が求められていると考え、
新車種を発売したけれど、上手くいかなかった。
では、その原因は何か?と考えた時に、抜け落ちていたのが「人の欲」に対する捉え方
だったんです。どんなに優れた製品であっても、買う立場になれば、隣に並んでいる車や
他社と比較したいという欲が出てくるものなんです。これは、人間の潜在心理や
モチベーションリサーチがされていなかったことが原因です。

表面的なイメージよりも、人間は動物的な感覚の質感が強いということ。
これは、脳科学者で有名な茂木健一郎氏が「Qualia(クオリア)」、日本語に直すと
<感覚質>に近いものだと、私は考えています。しかも、このクオリアは人に因っても
異なりますし、時代や環境の変化に左右もされます。つまり<明確な答えのない>
表現をしているのが、私たちの携わる<広告>という仕事なんです。

壁にぶち当たったら、どちらを選ぶか?

当社の今後のビジョンや時代の流れに意識し、どう軌道に乗せていくか?
これは、私以外のつまり、この会社を引き継いでいく世代の社員たちが考えていくことです。
私自身は、ソシアルな人間関係よりも、もっと書き物をしたり、焼き物など、ものを
創りだす時間を大切にしたいですね。

若者に対しての、メッセージでは、最近の若者は・・・と語るつもりは全くありません。
むしろ、お金のためにではなく「人のために何かしたい」とボランティア活動に、熱心に
取組む人たちを見て、感心する位です。ですが、一方で見方を変えれば、衣食住に
困っていない、生活に余裕がある証拠だとも言えます。

もし、アドバイスをするなら「壁にぶち当たった時に、引き下がるか食らいつくか?」の
違いだけということ。今や昔のことですが「末は博士か大臣か」と、お金の為に働く時代
がありました。しかし、こうした生き方を良しとする風潮は殆ど無くなりつつあり、むしろ
力を抜いて、無理をして世の中の枠にはめて生きることはない、私自身もそう思って
います。無理をして鬱になったりしても仕方ないですから。ただ、人に迷惑を掛けてはいけません。
最低限のマナーを意識できる人であって欲しいと思います。