代表取締役社長 中野 貴志
設立 | 1996年12月 |
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事業内容 |
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会社HP | http://www.ids.co.jp/ |
流されるままの学生時代
僕は、あまりまじめな学生ではなかったんです。
高校は進学校に入ったのですが、本来の学力からすると入れないようなところで、
その年は定員割れで全員が入れたという。
先生方が言うには、「歴代最悪の世代」(笑)。
勉強もしなかったし、卒業が近づいてきても、まだ進路も決まっていませんでした。
そんなある日、コンピューターの専門学校から勧誘の電話がかかってきたんです。
見学に行ってみたら面白くて、行きたいなと思ったんです。
でも勉強もあまりしないで今までやってきましたし、学費もかかることですから、
親をなんとか説得して、行かせてもらえることになりました。
その時、母に言われた一言がすごく心に引っかかったんです。
「できることはしてあげる。けれどおまえの人生なんだから、
絶対後悔しないような人生を送りなさい」と。
その言葉もあってか、専門学校に行き始めてからは、まじめになったんです。
というか、例えば数学とか、何がどう役に立つのか解らない、
いわゆる教科とは違って、
専門学校は実戦的な勉強だったので、とてもやる気になったんです。
この2年間は人生で初めて、ものすごく勉強をしました。
卒業の頃にはトップの成績になっていましたね。
就職は専門学校の講師の方に会社を紹介してもらって、
その先生の勧めならと思ってそこを受けました。
当時はバブル真っ只中で、
入社試験といっても適性検査だけで内定がとれるという時代でしたから、
2社くらい受けて内定をもらって、就職活動は終わりました。
何というか……高校に入れたのも運がよかったし、
専門学校も電話がかかってきたのがきっかけ、就職活動も時代がよかった。
そういう意味では主体性も、情熱もまるでなかったなあと、振り返って思います。
お金持ちになりたい!!
就職してからは、専門学校でトップクラスの成績だったこともあって、
周りも目をかけて期待してくれ、それがやる気にも繋がりました。
でも反面、維持できないと失望感も大きくなってしまうというプレッシャーもあったので、
人一倍頑張りました。
あと元々、僕はずっと「楽してお金持ちになりたい」と思っていたんです。
それには、どうすればいいか。
「そうだ、社長になればいいんだ!」と、働き始めた20歳当時から、
社長になる方法をずっと考えていました。
そこで一つ思いついたのが、
当時は英語の話せるエンジニアがほとんどいなかったので
英語ができれば強いだろうということ。
それで海外駐在を希望して、ポジションを獲得できるようにめちゃくちゃに頑張って、
ボストン郊外に1年半ほど行かせてもらいました。
向こうでも休日は簿記を勉強したりと、
社長になるために必要だと思うことは何でもやっていました。
動機はすごく不純なんですけどね(笑)、本当に真剣でした。
社長への強い思い
働き始めて7年経った頃、マイクロソフトからヘッドハンティングされたんです。
当時、マイクロソフトは製造業への進出のために人を集めていて、
英語の話せるエンジニアで
かつ製造業を知っているという人がほとんどいなかったので、
僕に声がかかったんです。
その時は27歳でしたが、考えられないような破格の待遇でした。
最初は喜んで転職するつもりで、前社も辞める手続きもして、
「さあ契約書にサインするぞ」という直前、一瞬迷ったんですね。
それは、自分は社長になりたいのに、マイクロソフトではなれないと思ったからです。
それがちょうど年末くらいで、
採用の担当者に年明けまで考えさせてもらえないかと言ったら、待てないと。
そこで「今すぐということなら、このお話は白紙にしてください」と、結局断ってしまった。
それから2か月は無職でした。
その期間、社長になるためには、
次はどこの会社にいけばいいのかをずっと考えていました。
まだ起業する力がないことはわかっていたので、
人材紹介会社を通じていろんな会社から話を頂いたのですが、今ひとつピンとこない。
というか、自分が社長になる姿が想像できる会社がなかったんです。
そんな時たまたま、前職の海外駐在の関係で知り合った人が、
一人で会社を作ったと聞き、
連絡して、相談に乗ってもらおうと会ったんです。
そしたら「うちの会社に来い!」と。
「将来起業したいなら、いろいろ教えてやるし、バックアップもしてやる」
と言ってもらって、
こんなチャンスはないだろうと思って入社したのが、
僕のアイディーエス人生の始まりです。
かっこいい会社にしたい
当時は社員は5人。
小さい企業でしたから、会社を存続させることがまず最優先でしたが、
その中にいても社長になりたい気持ちは変わりませんでした。
だから仕事も積極的に行動しました。
僕はエンジニア出身なので、まず技術部門の責任者をやらせてもらったんですが、
営業の責任者もさせて欲しいと言って、兼任でやらせてもらいました。
営業としてもそれなりに結果を出すことができました。
6年ほど前に役員に就任したのですが、
4年前、前社長が突然亡くなってしまったんです。
その後、僕が会社を引き取って、継続して今に至ります。
前代表が亡くなったということも含めて、
僕の人生って流されている部分がすごくある。
でもそんな中で、動機は不純であれ、
社長になりたい思いだけはずっと持ち続けていたから、
この会社をやっていこうと決めたんです。
僕が強い価値観として根本的に持っているのは、かっこいいか悪いか。
ITって、学生の不人気職業に入っていたりとか、
現状はかっこ悪いイメージがあると思うんです。
でも仕事の内容はかなり最先端でクリエイティブだし、
本来もっと評価されてしかるべき。
だから僕はIT系をかっこよくしたい。
それにはまず、当社をかっこよくしたい。
業界で成功して、当社独自の成功モデルを作っていくのが、当社の目指すところです。
サービス力で世界一に
そのために何で勝負をしていくかを考えて、最終的にこれだと思ったものがあります。
それが、サービス力。
我々のスローガンは「サービス力で世界一のIT企業を目指そう」というものなんです。
他社をサービス力で圧倒して勝ち残って行くという方針を打ち出して、
そこに情熱を山ほどかけて、
教育も啓蒙も会社の仕組み作りもしています。
最近になって、ようやく自発的な力が育ってきたのですが、
僕が社長になって大半のエネルギーを注いだのがその部分。
でもそれこそが生き残っていくための戦略でもあって、
しかも、かっこいい、と思うんです。
僕はお金持ちになりたいという動機から社長を目指しましたが、
今は金持ちになりたいから経営をやっているわけではありません。
誰よりも社員を幸せにしたいと思っています。
彼らのためなら、僕は全てを失ってもいいし、その責任がある。
ただ、僕が若い頃に頑張ってこれたモチベーションは、
お金持ちになりたいということだったので、
社員にもそう思って欲しい。
特に若いうちは、それが原動力にもなると思うんです。
ですから僕の座右の名というか、
好きな言葉は、高校の卒業アルバムにも書いたんですが、
「いつか一山当てたるわい」(笑)。
専門学校卒というコンプレックスもありましたし、
会社の経営なんて甘いものじゃない。
でも夢を持って進んでいくには、それくらいの気概はあってもいいと思うんです。
やりたいことがやれる会社を選べ!
僕がもし若い頃に戻れるなら、学生のうちに起業したいですね。
学生ベンチャーというのを、セールストークに使いたいと思うくらい。
早ければ早いほど、成功する確立が高いと思いますし、
やりたいと思っているなら、早めにスタートしたほうがいいと思います。
また、一先輩として僕が支援できることがあれば、どんどんやっていきたいですね。
企業への就職を目指している人は、
現状かなり厳しくて、疲弊してしまっている人も多いと思います。
でも、その苦労は、彼らに責任があるわけではない。
就職が厳しいということは、
つまり企業が儲かっていないということですから、
いわば僕らの方に責任があるはずなんですね。
何社も回っていると判断がしにくくなりますし、入れるところに入る、
というかたちをとってしまう場合も少なくない。
しかしその選択を間違えて、3年後「やっぱりやりたいことじゃなかった」と転職すれば、
それだけ人生で大きなロスになるわけです。
そういった意味で、僕が最も伝えたいのは、「できるかできないか」ではなく、
「やりたいかやりたくないか」で仕事を判断して欲しいということ。
やりたいことをやれる会社を見つけて、就職活動はそこに集中していくべきだと思うし、
そうすれば必ず、熱意も伝わっていくと思います。
本当に心の底から入社したければ、一度断られても何度も応募すればいいし、
想いを伝えたければ、オフィスの出口で社長を待ち伏せしたっていい。
もっと他のオリジナルティのある方法を考えればいい。
ぜひこの価値観を失わずに、頑張って欲しいですね。