代表取締役 熊谷 晋

代表取締役 熊谷 晋

設立 2000年
事業内容
  • システム企画/開発
  • システムインフラ企画/構築
  • コンピューターのソフト開発、運用、
    販売コンサルティング業務
会社HP http://www.fsight-inc.co.jp/

好きなことには夢中になる、典型的なB型生活の学生時代

東京生まれの埼玉育ちで、
場所柄もあるのでしょうが小学校からサッカーが大好きでした。
丁度、小学校4年生の時国体が開催され、
整備の進んだサッカー場が大宮にできたのです。
当時、小学生で芝生のグランドでボールを蹴れたのは、珍しかったと思います。
運動することが好きでしたね。
サッカーは、高校の途中までやっていました。

大人になってからは、男の子2人の父親になったこともあり、
少年サッカーチームのために審判資格を取得したりして、
サッカーには関わっていました。

性格は、自他ともに認める
好きなことには夢中になる性格。
勉強では、好きな理数系の科目には夢中になりました。

開業医の祖父・叔父とサラリーマンの父、朝の過ごし方の違いに見たものとは?

大学進学は、祖父・叔父達は医者で、
父は飛行機のエンジンを設計するエンジニアでしたので、
理数系に行く事は当然と思っていました。
従って、国立の医学部受験は失敗に終わり、
早稲田大学の理工学部工業経営学科に進学しました。
この学科は、IE、OR、QC など、生産性向上、
合理化などの考え方・実践方法を教えるところでした。
卒論テーマは、「油圧機械の製造工程における油洩れの低減」でした。
当時QCストーリーと呼ばれて、様々な生産現場において
場当たりな対策を打っていた対応方法を改めるアプローチ方法でした。
慢性不良として発生していた油洩れの原因を特定して、
その対策を的確に行い、その効果がどのくらい出たかを見極めるという、
実際に企業に毎週足を運び、生産管理の現場を見て活動するという、
インターンシップ的な方法を取り、纏め上げました。

このアプローチは、医者が患者の病気を治す時と基本同じです。
医者になる事はできませんでしたが、
子供のころ漠然と医者になりたいと思っていましたが、
対象が”人”から”工場”に変っただけだと思い、この道を進んで行こうと決めました。

それに加え、開業医であった祖父・叔父達は、
毎朝8時半頃までゆったり過ごしてから診療の場に出向く姿を思い出し、
このような改善のプロを目指せば、いつかは独立し、
自分のペースで時間を使える仕事となるのではとも考えていました。
そうは言っても、毎朝、どのような状況でも慌しく家を出て行く父の頑張る姿を思い、
まずは、就職して色々な工場を保有するメーカに入り、
現場を多数勉強する事が必要であると思いました。

ファクトリーオートメーションは面白い!

私の会社選びの考え方は、
「大規模な工場の効率化を図りたい」 「ファクトリーオートメーションは面白そうだ!」
「色々な種類の工場がある会社が良いだろう!」 などから、鉄鋼メーカとなりました。

配属された部署は、製鉄所のシステム部門。
製鉄所の工場は、全て、コンピュータ制御で動きます。
新工場の生産管理システムプロジェクトの担当に加わり、
設計から構築、導入が主な仕事でした。
並行して、既存工場の保守作業が加わりました。
新工場の稼動に係わるホワイトカラーから、ブルカラーまで、
それぞれの部門がどのようなミッションを持ち、
業務に取り組むのかの意図や狙いを正確に理解し、
業務流れを理解して、システムを設計していきます。
若手であっても任される仕事の領域が広かったので、
大変でしたがとてもやりがいのある仕事でした。
当然、仕事に対する責任も大きなもので、
稼動している既存工場の生産ラインでシステムトラブルがあれば、
夜中2時であろうがお構いなしに呼び出されることもありました。
また、新工場のシステム開発は、1週間会社で寝泊まりも当たり前で、
まさに「24時間働けますか?」の世界でした。
新人当時の数年間に叩き込まれた社会人としての基礎は、
今の自分を形成してくれたと云っても過言ではありません。

鉄鋼会社は、1990年前の構造不況の中、
システム部門を分社し他業種のシステム化を支援する会社を作りました。
私は、この分社したシステム会社へ出向し、
金融・保険関係の大規模プロジェクトに参加する経験も積み、
また鉄鋼会社に戻っては、本社・製鉄所のシステム企画部門、
グループ会社のシステム企画などを行うなど、本当に多くの業務を経験しました。
「システムの開発キャリアだけで起業は時期尚早だ。」と考えていたところに、
システムの企画業務の経験も積めたので、いつかそのタイミングが来る!
という確信も強いものとなりました。
また、本社と出向先でトップから現場まで会社組織が、どう動いているのか?
意思決定方法や、部門毎に与えるミッションなどを把握することが出来たことは、
2000年に独立起業の際に大いに役立ちました。

2000年8月、独立起業

会社を辞めると決めた時は、
このシステム会社がコンピューターメーカーに買われるとなった時です。
1年間の休職扱いを受けられる制度がありましたので、
独立するか、転職するかを考える時間は十分あると考えたのです。
しかし、以前システムの企画を支援した会社から、
私が休職したのを知り支援してくれとのお声がかかりました。
業務内容は、私が以前企画した案件が開発フェーズに入り、計画が遅れているので、
そのプロジェクトマネージメントをして立て直してくれとの事でした。
休職に入り、直ちにお声がかかりゆっくり考える間も無く、
この遅れているプロジェクトを支援する仕事を見捨てる事もできず手伝うこととなり、
独立への道が決定付けられました。

この様に、最初は、私一人でプロジェクトマネージャーのような仕事をしていましたが、
時代はインターネットブームでしたので、ホームページの依頼なども舞い込むようになり、
諸先輩方が法人なんだから、一人でやるのではなく、
社員を増やして組織でやれば良いじゃないか。と助言をもらい、
それまで手を付けた事も無いような開発案件も徐々に社員を増やして
対応をしてまいりました。

現在では、弊社だけで、企業が抱えている様々問題点(経営的な課題)を整理して、
IT技術を活用する事で、どのように改善されるか提言したり、将来を見据えて、
どのようなシステム環境で構築をするべきかなどの提言など
幅広くコンサルを行っております。
そして、その通りに、弊社の技術者でシステムを構築し、
稼動後の保守まで行うというトータルサービスを提供しております。

何故、今までの色々な事に挑戦できていたのか?

さて、これから社会に羽ばたく皆さんは、どのような仕事に就こうと考えていますか?
明確に就きたい仕事が決まっている人だけとは、限らないと思います。
また、学生時代に学んだ事を活かせる仕事に就けるとも限りません。
やりたい事を担当させてもらうまでの準備も、
時間を要することを強いられる可能性もあります。

皆さんは、今までの人生で、色々な事に挑戦してきた事を思い出してください。
初めから、上手くいきましたか?
何度も挑戦して達成できた経験もたくさん持っていると思います。
子供から学生時代を通じて、色々な事に挑戦し続けられたのは何故でしょうか?

その挑戦していた事が好きだったからでは無いでしょうか?
だから、頑張れたのでは?!
できないと悔しいと思ったから、頑張れたのでは無いでしょうか!

覚悟を決めて辛抱しなければ成長はできない!

そうです。会社に入り与えられた仕事を、まず、好きになりましょう。
その仕事を先輩方から教わり、覚えていく中で、
何度も失敗しても諦めずに自分で完璧にできると確信を持てるまで挑戦を続けてください。
但し、社会人となってから挑戦を続ける場合の大きな違いは何でしょうか?
学生時代は、挑戦するまでの準備方法は、きちん整っていたのではと思います。
つまり、お膳立てされいる仕組みの中での挑戦だったのです。
会社に入ってからは、お膳立てが必ずしもありません。
自分で考えるのです。知識、経験、勘などを駆使して、
完璧にできる様に努力をすることから、逃げてはなりません。

「覚悟を決めて、辛抱して考え行動しなければ、自分自身の成長は見込めない。」
としっかり自覚してほしいのです。
思い通りに学生時代を終えた人でも実社会に出れば壁に直面するものです。
一回でも、逃げればどんどん我慢がきかなくなります。
仕事の面白さを理解できるまで、辛抱して頑張る事を継続してみてください。
必ずや、頑張れば結果を出せる事を仕事においても体験できます。

「私はこういう仕事をしたい!」
「こんな経験をしてきました!だから、新しいことにチャレンジにさせて下さい!」と、
自分の情熱を常に熱く持ち、やるべき事をやりながら、自己主張し続けなさい。
自分の幸せの上限レベルを自分で勝手に線引せず、必ずや実現してやる!
という意気込みでチャレンジする人材に成長して下さい。

仕事を面白くして、生きて行きなさい。