設立 | 1959年3月 |
---|---|
事業内容 |
|
会社HP | http://japan.webershandwick.com/ |
大学の学費は自分で稼ぎました。
子供の頃は絵描きになりたいと思っていました。
本当に漠然とですが、その方面へ進めればいいなと思っていたのです。
しかし、高校3年生の時に父親が事業に失敗し、方向転換することになりました。
だから大学では政治経済を学びながら、自分の学費は自分で稼ぐという状況でした。
昼間は引越屋のアルバイト、夜は家庭教師、さらに居酒屋で皿洗い…と、
1日に 2、3個のバイトを掛け持ちする日々を過ごしました。
けれども、勉強をおろそかにしていたわけではなく、
成績は常に上位を占めていましたね。
そんな日々を過ごす中で、いつしか自分は新聞記者か、
テレビのドキュメンタリー番組などを制作したいと思うようになり、
新聞社やテレビ局、広告代理店にターゲットを絞って就職活動をおこないました。
決まったのは外資系の広告代理店マッキャンエリクソン社。
当時の外資系代理店ではナンバー1の規模で、人気の企業でした。
10人採用枠のところへ約1000人の応募があったと思います。
実力主義の現場で、能力を開花。
外資系に入ってみて実感したのは、徹底した実力主義の精神。
日本企業のように同期の横並びや年功序列を考えた組織とは違い、
トップを走るか、それとも後ろで走る人間になるかが明確なのです。
成功者は年齢に関係なく出世し、給料も大幅に上がります。
仕事も、ダイナミックで興味深いものが次々と受けられるようになります。
しかし、後者になってしまうと、足踏み状態。仕事の面白みを味わうチャンスも減ります。
同じところに留まっていることは、敗退を意味するのです。
そんな世界を垣間見て、「成功者にならないと意味がない」と、強く思いました。
入社して最初はもちろん、小規模な会社を扱う仕事からスタートしました。
そこから徐々に成果を出して中堅へ、そして大規模な仕事へ、と経験を重ねていったのです。
その会社で30年近くオランダやアメリカ、イギリスなどの勤務を経て2007年、
日本に帰って来ました。そして、マッキャンエリクソン社の取締役も兼任しつつ、
兄弟会社であるウェーバー・シャンドウィック・ワールドワイド社の代表となりました。
創業期からのミッションを受け継いで。
我が社は、1959年に創業し、日本のPR会社として草分け的な存在を担ってきました。
外資系になったのは、20年ほど前です。
創業当時は、まだ戦後復興から間もない時期。そんな時代に、
日本の企業や製品を海外へ広める、または海外から日本へ来る
企業を国内に広めていくという業務を行っていました。
その当時のヨーロッパ、アメリカから見た日本のイメージは、
現在の日本人から見た中国などに近いものだったでしょう。
そんな中で、日本のブランドを世界に認知させ、
信頼感を高めていく使命を持って生まれたのです。
これが会社の原点であり、そのミッションを受け継ぎながら、
現在も異文化コミュニケーションのインターフェースをさせていただきます。
みなさんは、「PR」と「広告」の違いをご存知でしょうか。
広告は、テレビではCM、新聞では広告ページや宣伝コーナーなど、
媒体(メディア)において用意された枠を使った情報提供が主な仕事です。
一方、PRというのは、テレビでいうと番組、新聞でいうと記事の中に
クライアントの情報を組み込ませていきます。
第三者であるメディアが記事や番組として取り扱うことで、読者や視聴者に
スムーズに信頼感を与え、有利な世論形成を作っていくのです。
アメリカのある統計によると、新聞記事の半分以上は、何らかの形で
PRコンサルタントによる情報が影響していると言われています。
このようにPRの仕事は、広告よりも外部から見えにくいぶん、
緻密な戦略を練っていかなければいけません。
そのため、我々のように世界を舞台にするには、いかに事業を
展開していきたい国の文化や政治、メディアを熟知しているかが鍵となります。
我々は、世界70カ国に広がるグローバルなネットワークをもとに、
あらゆる国の状況に応じた的確なアドバイスを行い、
有効なコミュニケーションプランをお約束しています。
意識を変革し、グローバルな視野を。
現在、どこの日本企業も、国内でなく海外へと目を向けています。
少子高齢化社会を迎え、不安定な日本の経済社会に投資するより、
マーケットの大きい海外へ進出するのは至極当然で、
我々のような仕事への需要は増える一方です。
したがって、これから社会に出る人たちには、英語、中国語を始めとする
ビジネスとして使える語学力はもちろん、グローバルな視野、
そしてコミュニケーション能力が必要不可欠と言えます。
グローバルな視点を養わなければ、世界で通用しないということが確かなだけです。
じゃあ、どうすればよいのか。自分なりに考えて動いてほしいと思います。
例えば語学留学へ行ったとしても、
「日本人とは会わない、日本語は話さない、日本のメディアは見ない」
というぐらいの心構えで行かないと意味がありません。
その国の人と語り合い、その国の物を食べ、その国独自の文化に触れることで、
確かな語学力や新たな視野を養うことができるのです。
私は麻布にある『テンプル大学』という、アメリカの学位を修得できる
大学の理事長を勤めているのですが、そこでの授業は全部英語。
もちろん留学も可能です。そういったところで学ぶのも一つの手かもしれません。
歴史的に見て、混乱期はチャンスです。
これから就職して社会に出てくる若い人達は、
1990年頃のバブル崩壊後に生まれた人たちですね。
ということは、上向き経済の世の中をまったく知らずに、
学生時代にはリーマンショック、就職活動期には東日本大震災、
そしてヨーロッパやアメリカなど世界の経済情勢が不安定…
という時代背景のなか育ってきたわけです。
そんな状況で、
「希望を持て」「志を持て」
と言うほうが酷かも知れません。
けれども、知ってください。
歴史的に見て、過渡期や変動期は、若者にとってチャンスの時期なのです。
明治維新も、第二次世界大戦後もチャンスだったんです。
とくにメディアのあり方が大きく変わっている現在は、まさに変動期です。
気持ちが萎んでしまいそうなのはわかりますが、今、
自己研鑽をし続ける事こそ、新たな未来を担う人間に必要です。
皆さんが思っているより、海外から日本への興味は高いのです。
チャンスは多いにあります。ぜひ、自分を奮い立たせてください。