代表取締役社長 矢野 晃教
設立 | 2009年2月25日 |
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事業内容 |
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恩師から頂いた「有限実行」の言葉
高校時代の私は、何かに打ち込んでいたということはありませんでした。
自由な時間がほしくて、小学校から続けてきた剣道をスパッとやめたり、
出席日数の1/3を遅刻したり、学年初の謹慎になったりと、
お世辞にも真面目な生徒とは言えませんでした。
ただ、自分が「なぜだろう」と疑問に思ったことは、誰よりも熱意を持って、
とことん追求しました。
例えば、数学。学校の先生は、数学の問題を解く際に公式を教えてくれるのですが、
私が知りたいのはもっと本質の部分。
いつ、誰が、どんな事象を証明したいと思ってその公式を生み出したのかなど、
『その公式がなぜ生まれたか』という理由が知りたかったのです。
ほかの科目も同様です。私が知りたかったのは、
常に学校の授業では教えてくれない、物事の本質でした。
納得できない部分があれば、納得できるまでしつこく先生を追い掛け回して、
質問したこともありました。
ところが、逆に興味がないとまったくの無関心。
テストで公式を用いて計算するなんてまったく興味が持てず、いつも赤点でした。
教師から見たら、多少面倒な生徒だったかも知れません。
そんな私に目をかけてくれた一人の先生がいます。
その先生から卒業式に頂いた言葉が『有言実行』でした。
その後続けてこうもおっしゃってくださいました。
「お前みたいな生徒はなかなかいない。
お前は口に出した言葉通り実行できたら必ず大物になれる」。
社長になった今でもこの言葉を大事にしています。
問題児が、ナンバーワン営業マンに
高校を卒業後、東京の郵便局に就職しました。
実家が郵便局であり、幼少のころからずっと見てきた父と母と同じ仕事につけて、
素直にうれしかったことを覚えています。
しかし、入社したての私は、高校時代と同じく、上司から見たら面倒な社員でした。
いえ、はっきり言って問題児だったと思います。
なぜなら、新人の時の風貌がロン毛でヘアバンド姿だったのです。
その後も、髪の色を茶色・緑・青・赤・オレンジと派手に変えまくっていました。
郵便局員としてはかなり異質でした。当たり前ですが、とにかくいつも怒られていました。
やがて、業務を覚えたころ、腹が立つ上司に対して自分の発言力を強くしたいという思いと、
インセンティブがもらえるという魅力から、保険の窓口営業を始めました。
やると決めたらとことんやるのが私の性分です。
まずは自分が応対した全てのお客さまに声かけをしました。
最初は失敗続きでしたが、どうすれば、お客さまの心に響く営業ができるか、
実践して、考えて、改善する、それをただただ繰り返しました。
その回数はおそらく数万回になるでしょう。
そうやって営業を繰り返すうちに、私は22歳の時、
郵便局員の中では憧れの「最高優績者賞」を獲得し、
25歳にはその最高優績者の中でも20人しかもらえない「ルビー賞」を獲得し、
窓口営業の中で毎年全国1位の実績を上げるようなトップ営業マンになったのです。
営業が評価されない世界
営業の成績が上がるのに比例して、収入も上がりました。
年齢に応じて肩書きも上がり、部下(後輩)も持つようになりました。
さらにうれしいことに、多くの社員の前で「営業について」という講演を
年間で約200本するようになるなど、まさに順風満帆の状態でした。
多くの社員からは
「効果的な営業のやり方を教えてほしい!」
「どうやったら矢野さんみたいになれるのか?」といった
営業に関することの質問攻めです。
真剣なまなざしで、メモを取りながら私の話を聞いてくれる社員。
アプローチはひっきりなしでした。私は、うれしく思いました。
「みんな本当は営業がやりたいんだ。
苦手だったり、嫌いだったりという思いは、ただやり方を知らないだけなんだ。」
そんなふうに思った私は、
質問には全て答え、惜しみなく自分が身につけてきたノウハウを丁寧に伝えました。
そんな中で、郵便局も公社化に移行し、やがて民分化を迎えようとしていました。
会社の方針も「営業をしないと(利益を上げないと)だめだ」という流れに変わり、
公務員のころよりも、強く営業の話が出るようになりました。
それならば多くの人たちに営業について学んでもらう機会を作ろうと考え、
営業をがんばりたい人たちのために、『トップ営業マンを育てる会』と銘打って、
仲間と共にノウハウを伝授する勉強会を開きました。
売り上げが向上すれば会社のためになる。
がんばる人は給料が上がる。
自分が営業のノウハウを伝授すれば、周りの人たちが幸せになる。
勉強会を実施していた時は、そんなふうに考えていました。
そして同時に、現場の社員がもっと営業をしやすい環境を作ろうとも考えました。
そのためには、営業の現場を知りつくした自分が、
会社に対して現場の改善提案をしていこう。
「社員の営業力の向上」と「営業しやすい現場作り」、この2点が達成されれば、
本当にお客さまのためになる営業活動ができると考えたのです。
しかし、私の行ったことは、公務員という形態の人たちには、少し派手に映ったようです。
当時の公務員体質の会社ではあまり受け入れられず、批判の声もたくさんありました。
会社は相変わらず、昇進が年功序列だったり、実績を上げることよりも、
上司に気に入られることが出世の近道だったりという体質の状態が続いていました。
そのころ、現場の社員間での共通認識は「出る杭は打たれる、出すぎた杭は叩かれる」でした。
上に対して意見を言うような目立つ社員は、いい評価を受けない、
がんばる社員が損をする。そんな状態だったのです。
本社での改革
がんばっている人が評価されない。
そんな状況を変えたい。
トップ営業マンだった自分にしかできない改善を行おうと意を決し、
民分化のタイミングで、旧郵政省である、本社の営業推進部に異動をしました。
可能な限りの仕事をこなし、
全力で現場の営業マンのために昼夜を問わず、仕事をしました。
改善できたことはたくさんありました。
自分自身の成長にも大きくつながりました。
今でも、本社で行った仕事のひとつひとつは
「現場のために、自分ができる限界の仕事をした」と誇りを持って言えます。
ただ、どれだけ自分ががんばっても評価に反映しにくい会社。
後輩に、「がんばったら矢野さんみたいになれますか?」との問いにも、
がんばっても良いことないからがんばらない方がいいよ・・と思ってしまい、
何も言えなくなる自分がいました。
がんばる人が評価されないという状況を変えたくて本社に異動したのですが、
ひとつひとつの改善には、予想以上に膨大な時間が必要でした。
さらに営業推進部だけでなく、営業企画部も兼務になり、
ますます仕事は多忙を極めました。
そんな中、考えるようになったことが1つあります。
どうやったら1日でも早くいろいろなことが改善できるだろうということでした。
そして、ある時1つの結論に達しました。
がんばる全ての人が、幸せな社会を
外から郵便局を変えられないだろうか。
内部からではなく、外部から外の世界で大物になれば
もっと早く大きく変えることができるのではないだろうか。
その時、本社の仕事において
自分の成長のために学べる部分がほとんどなくなってきたことを感じていたこともあり、
私は、さまざまな思いがありながらも、13年間働いた会社を辞めることにしました。
しかし、起業をしたのは良いが、仕事がない。
お金もない。商品もない。あるのは自分の身体しかないと言う大変なスタートでした。
この頃は上場企業の幹部や、ベンチャー企業で成功した人など
いろいろな人に会いアドバイスを受け、紹介をしてもらうなど、
設立した会社で自分の思いを実現させるために、
何をするべきかを探すのに半年間、試行錯誤の連日でした。
考え抜いた末、自分がしたいことと、自分の強みを生かした仕事をするとしたらこれだ!という仕事。
それが、営業特化型のコンサルティングでした。
私が持っている営業力、人脈を生かした仕事、
そしていつか郵便局のためにもつながる仕事になるはずだ。
そして、ベンチャーの小さな企業でも、
必ず必要としてくれるクライアントはあるはず。という気持ちで、スタートしました。
ほかの企業のお手伝いをすることで、「がんばる全ての人が報われる社会を」作っていく。
それがフォーメンバーズの役割だと考えています。
将来は日本一の企業に
弊社は、これまで私が営業体験から得た経験をフルに生かし、
営業現場から課題を抽出し、
ボトムアップ方式で改善・改革を促していくコンサルティング方式を採っています。
もちろん目指すは日本一の企業。
「がんばる全ての人が幸せな社会を」という理念を実現させるために、
ベンチャーの最高峰と言われるソフトバンクも買収するくらいの日本一を目指す!
人に話すと必ず笑われてしまう目標ですが、
私を信じて力を貸してくれる社員たちと一緒に、理念の実現に向けてまい進しています。
当面の目標としては、3年で5億、6年で100億を目指しています。
毎日のように、「自分の子どもたちに誇れる会社にするぞ!」と、
社員と話をしながら突き進んでいます。
座右の銘
「時の運」です。この言葉は高校の卒業のアルバムにも書きました。
「時の運」だけは、自分の力ではどうすることもできない。
ただ、それ以外のことは全て自分にできることであり、そのために必要な努力は全てやる!
時代の波や、ビジネスチャンスなど、中には「時の運」が来ても気づかない。
気が付いてもまったく生かせない人もいる。
目には見えないが降り注いでいるチャンスに気づき、それを最大限に生かせる人。
「自分にできることは全てした。あとは時の運だけだ。」と言える。
そんな人を目指して、日々努力をしています。