代表取締役 北島 寿
設立 | 2009年6月 |
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事業内容 |
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会社HP | http://www.mimc.co.jp/ |
研究漬けの学生時代
小さい頃から「猫のジャンプは」「蟻の生態は?」など、物事を探求する、試してみる」ということが大好きで、
「科学の世界」の「なぜ?」「どうして!?」に没頭していた日々でした。
大学で専攻したのは化学で、その頃は本気で学者として道を開いていきたいと考えていました。
探究するという行為が好きで、大学院まで進み、そこからアメリカへ留学するつもりでいました。
しかしあろうことか、化学物質過敏症とアトピーを患い研究を断念せざるを得なくなってしまったのです。
それまでひたすら学問の道を追究してきたわけですから、
これはとても立ち直れない…とはならなかったんですね、私の場合(笑)
私は何かを目指すときには、とにかくやると決めたらとことんやる。
努力しつくして突き進んできたのなら、それが失敗に終わっても心はスパンと切り替えられるものです。
なぜならそれは、私が本当に進むべき道ではなかったということだからです。
では今やることは何だろう、私は考えました。
ビジネス修行時代
化粧品会社に就職したのは、化学という、それまで自分が探究してきたものを活かせると考えたからです。
加えて、化学物質過敏症を患った自分にとっても興味深い分野だと思いました。
私は学者としては断念。だったらこの業界で上を目指そう。そう決意したのです。
とは言え、そのとき自分が学生経験として得ていたのは、化学者として研究するということだけ。
ひとつの製品が生まれ、ブランディングされ、販促戦力を練り、販路を選び、対価を得る。
その経済の基本的な流れのすべてを体得しなければ、起業は出来ないと考えたのです。
私は理解ある上司のもと、3年の間、すべてに並行してさまざまな業務を兼任させていただき、
海外出張も多々あり多くのことを学ばせていただきました。
ビューティー産業の中心地、アメリカへ
日本でのビジネスを経験した後、私は、退社しすぐさまアメリカに渡ります。
なぜならその地は、ファッションや化粧品を始めとするビューティー産業の流行発信地。
この業界で事を成すには、そのアメリカで何かを出来る人間でなければならないと考えたのです。
まずは化粧品の個人バイヤーとしてアメリカで起業する気でいた私は、まずはマーケットを観察しました。
最初はただ単純に、アメリカで発掘した製品を代理店契約を結び日本に、と考えていた私ですが、
実際それは甘すぎる考えでした。
日本人とアメリカ人では、当然ですが肌色も肌質も違います。アメリカ人用に開発された商品を
そのまま日本へ持って帰っても、日本人のニーズには合わない場合があるのです。
考えてみれば当たり前の話ですが、現地に行ってはじめてそのことに気付いた私は、それまでの方針を転換。
アメリカでヒットした商品の流行性やサービス面は盛り込みながらも、日本人に合うものを
独自に生産し販売していくことにしました。
トラブル続きの海外起業
2007年、アメリカ本社と日本支社を立ち上げ、化粧品ブランドMIMCは誕生しました。
日本での会社員時代の同僚と2人で設立した当社ですが、
初めての起業、しかも海外でのというのは、考えていた以上のトラブルが待ち構えていました。
とにかくひとつ進むごとにもう分からないことだらけで、「これはどこの役所に出せばいいの!?」
ということから何から、周りの方々に助言を求める毎日でした。
また、日本以外で製品作りを経験された方はほぼ100%感じることだと思いますが、
日本人の“普通”と海外の人の“普通”との間には、驚くほどの差があります。
たとえば、新製品の小さな傷について、日本人の目から見れば完全にアウトなのが、
アメリカ人の彼らにとっては「大丈夫、拭けば目立たないよ!」となる。
これはもう、根本的な価値観の基準が違うのだから、仕方のないことです。
そうした違いを乗り越え歩み寄る努力をひとつひとつ重ね、MIMCは生み出されていったのです。
将来のビジョンは…「ナイショです(笑)」
おかげさまで発売以来、順調に業績をあげている当社。
販路の拡大の伴い、輸送費や欠品に対する対応の問題から日本に生産の拠点を移しました。
ネット販売から始め、ショップへの卸しも店舗数を増やし続けています。
設立当初、3年後には、百貨店で扱われるブランドになるという目標を掲げ、実現いたしました。
現在当社が卸しているショップというのは雑貨も置いているようなお店が多く、
そういったお店はフラッと寄って買っていただけるお客様によって支えられています。
しかし百貨店というのはそもそも目的買いのお客様がほとんどで、店に足を運んでもらう前が勝負となる。
そこでは今までのチャネルで培ってきたノウハウは通用しませんから、
これからブランドの目指すべき姿を模索しながら新しい挑戦をしていかなければなりません。
当社の夢、ビジョンというのは残念ながらまだお話しすることはできませんが(笑)、
一人一人が得意な部分で活躍することが会社の活気につながると私は考えています。
私自身もスタッフ各人のビジョンというのは明確に抱いていますが、もしもそれを本人も望むなら、
どんどんチャレンジしていってほしい。
そのためには遠慮しないで喧々諤々、いつでもどこでも意見を闘わせていきたいですね!
なぜそれを私に頼んだの?
起業当時は副社長と2人、阿吽の呼吸でやってきましたが、組織が大きくなるにつれて
その意思疎通の作業が煩雑になってきています。
ですから今当社が人材を求めるとすれば、考えることができる人。
たとえば私が品質管理の担当者2人に商品の発送を頼んだとします。
AさんもBさんも伝票を書いて送るという表層的な行為は同じですが、Aさんはその手を
動かしながらも、品質管理上この商品発送にはどんなことが必要なのか、法律上問題ないのかと
考えながらやっているのに対し、Bさんはただ言われたことを機械的にこなしているだけです。
この2人は一見すると同じ仕事をしていますが、そこで培っていくものは全く異なってきます。
ものごとの奥にあるものを見る力。1つを言われたら10を知る力。
なぜそうするのか?なぜそれを私に頼んだのか?
そうした疑問を常に考えながら仕事ができる人は、ぜひ一緒に働きたいなと思いますね。