代表取締役CEO 北村 昌博

設立 1998年12月24日
事業内容
  • ヒューマンリソース事業(人材派遣事業)
  • エージェント・アライアンス事業(転職支援事業)
  • WEBソリューション事業
  • アウトプレースメント事業(雇用調整・再就職支援事業)
会社HP http://www.probank.co.jp/

大学一年生で喫茶店経営者一年生!?

大学に入学した年の4,5月くらいに母が経営していた薬局の
ある商店街の喫茶店が空いたんです。
それで、父親から「やってみろ。」と言われまして・・・。
それからの四年間は、毎朝7時からパンやコーヒーの準備などの
モーニングの仕込みをして、お昼はハンバーグやスパゲッティ等を
ランチとして出していました。
もちろん学生ですから、大学の授業時間に合わせて抜けて、
終わったらまた店に戻るんです。
それで午後、店が空いてきたら閉店してそのあと遊ぶ。
そして、また次の日は学校という生活です。

大学四年間は本当にもう喫茶店中心の生活でしたね。
経営と実務。当時は本当に嫌でした。
「みんな遊んでるのに嫌やなあ」と思いながらだったので、
やらされてる感が凄かったです。バイト雇ったり買い出し等も
しなければいけなかったのですが、正直「どうでもいいわ。」と
思ったりもしました。
さすがにもう嫌だ!って、なりましたよ。自由な時間もないし
みんながサークルで楽しそうにやっているのに、
自分は時間があったら家に戻らなきゃいけない。
でも、誰かがしないと誰もやらないですし、やらざるを得ないから
「やった」んです。逆に、やらざるを得ないから「出来た」んでしょうね。
単純に、「やればできる」ということです。

この四年間の経験も後で良かったと思うようになりました。
その喫茶店は社会人になると同時にしばらくしたら人に貸して
しまったのですが、社会人になって、ふと、仕入れ作業等含めて
売り上げを立てるとか、人を雇うかどうか等、喫茶店での経験が
結局は為になっていたことに気が付いたんです。
ただ、もったいなかったなと思うのは、いやいや感ですよ。
もっと楽しく、面白おかしくやればよかった。
当時はそこまで考えてやらなかったんでね。でも、本当に良い経験でしたよ。

直感を信じた就職活動

私が学生のころ(1994年)は、まだネットが全然なかったので、
企業あてのハガキで出来た分厚い冊子で就活していたんです。
とはいっても、就職に関してはあまり深く考えていませんでした。
とりあえず、書いて送るというだけでしたね。
当時は、「小さい時から知ってるような大企業がいいんだ」みたいに
思い込んで動いていたんですけど、別に大した思いもなしに受けていたので、
もちろん受かるはずがないんです。
親のコネ等を使えば就職口が無いということもなかったのですが、
特にやりたいとも思わなかったんです。
当時でいうと、MRとか、製造系の営業とか、いろいろ話は頂いたんですが、
パッとくるものがなくて。そのくらい悠長にやってたんですよ。
その頃、友人が「○○の会社行ってきたんだけど、説明会とかすごく良かった!」
という風に話してきたんです。
それが、人材派遣のPASONAだったんです。
それで、「人材派遣って何?」という疑問から、
「なんか楽しそうだなあ、俺も説明会行ってみよう!」と思いまして
実際に行ってみたんです。
そこで社長や社員の話に、パワーというか、一番の本気を感じたんです。
「こんな会社でやってみたいな」と思いました。
業種がなんなのかというより、この会社という箱に入って
自分の経験等を活かしたいという思いでした。
この雰囲気・空間に身を置きたいと思いました。
その時感じたパワーも本気も、嘘っぱちでは出せないものですから。
その直感を信じました。

人材派遣会社入社!初仕事は、パンツをたたむこと!?

入社後は一年間、人材派遣とは関係のない部署であったブランド物等の
輸入販売に配属になりました。最初は少し考えてしまいましたよ。
なぜかというと、販売の最初は裏方なんです。
4月に入社して、5月は母の日がありますよね。
そのパッケージをするという仕事があって、女性用のパンツをたたむとか…。
パンツたたみながら「何やってんだろな」とか思いましたけど。
当時は同期以外に言いたくなかったですもん。今となっては、笑い話ですけど。

それから一年後に異動願をだして営業に移りました。
同期からすると一年遅れの営業職スタートだったので、必死でした。
同期に対して、負けるかって気持ちもありました。
それは、良かったなと思います。
自分は、最初から希望通りに進みませんでしたが、最初から希望通りに
営業をしていた人の中には、やっぱりすぐ辞めてしまう人もいました。
今も昔も、辞めるのは簡単なんですよね。

だからこそ、パンツたたむにしても喫茶店にしても、
やっぱりやっててよかったなと思います。
ただ、そういうのって率先してやることではないじゃないですか。
自分からは選んでなかったと思うんです。
やらされ感満点だったんですけど、そういう縁とかタイミングが
なかったらやらなかったでしょうし、出来て損はないですし。

嫌なら自分でやればいい!~転職から起業まで~

当時は転職ということ自体、よくあることではありませんでした。
まだ「ずっと同じ会社で働く」という考えが正義というか、
多く受け入れられていました。
でも、先輩や後輩と飲みに行って、業務において
「こうしたい、あんなふうにできないだろうか」と言っても、
伝え方の問題もあると思いますが、なかなか飲み込んでもらえなかったり、
長く働いていると愚痴だって出てきますよね。

そうしたら、ある日ふと「ずっとこんなふうに、この会社に関して
あーだこーだと文句を言い続けるのだろうか」と考えてしまって、
急に不安になったんです。
「愚痴を言い合っているだけの時間は無意味だ!」って。
それを打破する術は、辞めればいいんだと考えたんです。
そして「自分でやればいいんだ!」という考えに行き着いた。
このように、単純に文句を言うのが嫌だから飛び出ようと思ったけど、
いざ飛び出すとなると、「でもどうすればいいの?」となってしまって。
そんな時に、次の会社から声がかかったんです。

次の会社は社長が2,3歳上で、役職についている人も含めて
みんな同世代でした。
自分と同世代の人たちがガンガン走って会社をやっているということが、
自分も突っ走ればいいんだという思いに拍車をかけてくれたんです。
自分の中でもいいフックになりました。
自分でやりたい!という気持ちがに拍車がかかった結果、
3か月ほどでこの会社も退社し、そして起業に至りました。

起業後の苦悩~吉野家事件勃発!~

僕が起業してからここまでやってこれているのは、、
本当に「人との縁」というか、みんなに助けられてるんです。
起業を決めてから最初の箱(会社)だって全部自分から作ったわけではなく、
出会いから譲り受けたことが法人設立の最初の一歩でした。
当時は営業しかやったこともないし、営業以外にもやらなければ
ならないことがたくさんあるということもつゆ知らずの状態でした。
でも、最初は一人でしたし、知らなかったからこそ出来たというのも
あったと思います。
ネットで求人を呼びかけて、今度は支払いもある。
ヒーヒー言いながらやってました。そんな状態で、会社自体そんなに
うまくもいっていなかったんですけど、アメリカの9・11が起こったときに、
通称「吉野家事件」が起こったんです。

当時は五反田の会社を間借りしていたのですが、終電を逃してしまい
家まで歩いて帰る途中でおなか空いたので「吉野家」に行こうと思ったんです。
それでポケットの中の所持金を探ったら120円しかなくて…。
しかも、よくよく考えたら、それが全財産だったんですよ。
「いやー、吉野家食われへん…あちゃー。」と思って、
ジュースを買って、どうしようかなあと思いながら歩いて帰ったんです。
そして家に着いたら、奥さんが、「テレビ見て!大変なことになってる!」
と言ってるのででテレビをみたら、9・11の映像が映っていて…。
もう凄く大変なことになってるし、「ここでお金ないとか、言えへんなあ」って…。

しかし、明日からどうしよう?就職しようかな?と思っている中で、
「奇跡の一枚」があったんですよ。
奇跡的にまだ使用可能なクレジットカードが!
それで3~40万円キャッシングして、このお金がなくなったら
就職のお願いに行こうと思ってました。もう術がなかったですから。
でも、それから急に好転したんです。
それからショートしたことは一回もないです。
今、12期目ですけど、会社の売上げが4億弱までになりました。
結果論ですけど、ある程度の計画は勿論必要なんだろうけど、
私の場合は、「知らなかったから出来た」というところもあると思うんです。
心が折れそうになったこともありましたけど、本気でやろうと思ったら
だめでもやればひっくり返ると私は思うんですよ。
普通にやってもだめ。吉野家事件の二の舞になっても
いいと思うくらいにやりたいのなら、やるべきだと思いますよ。

まあ、昔の先輩や同期にはいまだに
「吉野家、吉野家」っておちょくられるんですけどね。

今後の方向性

人材派遣で始まってずっとそれ一本できたのですが、
現在、もう一本の柱が人材紹介なんです。
中小の紹介業社さんとネットワークを組ませていただいて、
それぞれの専門分野のコンサルタントの方がいるので、
それを全体で組むことによって情報量や人材、求人情報の絶対量を
増やすということで一社での限界を超えていこうとしています。
リーマンショック以降、雇用調整の部分でのフォローが
膨らんできているんです。

だから、ただ「どうですか?」だけではなく、
やむなくそうなってしまったことに対するお手伝いを、調整する側の
会社に対しても、会社を出ることになった人に対しても、大事にして
いこうと思っています。
人材が全ての肝を握っていると考えていますから。

今後、高齢化が進んでいく中で、高齢者の方の心のよりどころ
(ペットサービス等)を出してくる企業も増えてきているので、
これを新たな産業・サービスとして仕掛けていきたいなと思います。
また、人材派遣業は参入もしやすい代わりにリスクもあります。
だからこそ、ただ紹介するのではなく紹介の活用にも力を入れていきたいです。

学生へ~やるだけやってみればいい~

私の場合は知らぬが仏という環境でしたが、
「折れないこと」「生半可なものじゃないということ」を
今一度きちんと理解していただきたいです。
若いうちだから出来たんだと思うし、若けりゃ、なんとでもなるんですよ。
辞めるとか、終わるっていうのは、簡単ですから。

実際に、やるんだったら、「折れずに」「ブレずに」邁進して、
頭で考えるよりも、やっちゃえばなんとかなるんですよ。
考えて考えて…その時間がもったいない!やるだけやって、だめやったらいいやん。
問題は、「やるだけやったか」ということです。
「やるだけやったら」って、抽象的な言葉ですから、最初からもうお尻まで
決めとけばいいんですよ。「ここまで、こうなったら、やめる!」ってね。
プラスもマイナスも先に決めちゃえばいい。
自分で決めたところまでは、何も考えず突っ走って、雑念に捉われず
やっていけば何かは残りますよ。

だから、就職活動にしても、企業の事業内容、社長の思いなど、文字で
出ているものも大事だと思うのですが、一度ぶつかってみて感じることも
大事だと思いますね。
業種は、何に配属されるか、実際何をやるのかは入社しなければ
わからないですから、「この箱で、このメンバーとやってみたい」、
「成長の糧になるかもしれない」と思えれば、それが一番だと思います。