代表取締役/CEO 菅 保人
設立 | 設立年 |
---|---|
事業内容 |
|
会社HP | http://www.ciegames.jp/. |
日本生まれのアメリカ育ちが出会ったflash
社長:
私は日本で生まれたのですが、生まれてすぐアメリカに行き、
ずっとアメリカで生活していました。
30歳でこちらに来るまで、日本は『外国』というイメージが強かったですね。
学校も全てアメリカの学校を出ています。
大学は南カリフォルニア大学に進学し、まずは建築を勉強しましたが、
半年でアートとファインアートに方向転換しました。
そして、在学中にflashに出逢いました。
このflashの出逢いが全ての始まりだったと言ってもいいと思います。
flashのビッグウェーブに乗って
社長:
flashを知ったのは、1999年か2000年頃だったと思います。
まだgoogleもなかったような時代です。
flashは、私に取ってまさに衝撃の固まりでした。
「こんなことができるのか!」と大興奮し、独学で必死に技術を習得し、
作品をweb上にアップしていったのです。
すると、当時まだまだflashが珍しかったこともあり、
当時の一流クリエイターと一緒にflashデザインの本に載せてもらうことができました。
しかも、今や世界的に有名になった一流クリエイターと切磋琢磨する機会に恵まれた上、
仕事の依頼がやってくるようになりました。
アメリカ育ちでネイティブの英語が使えたのも大きな強みだったと思います。
そして、企業からオファーがかかり、大学在学中にして就職することになりました。
アメリカで結んだ日本人の友情、再び
社長:
一旦就職はしたのですが、様々な可能性を求めて退職、
23歳で会社を立ち上げました。flash等の技術を使った制作会社です。
立ち上げた会社の最初のクライアントにはshockwaveやadobeなど、
今や押しも押されぬ大企業に成長しているところもありました。
ただ、立ち上げた会社は長続きせず、
1年ほどで畳むことになったのですが……
それでも、私には技術がありましたので、
その後も色々な会社を渡り歩いていました。
そして、26歳でCie studioという会社に就職しました。
ここも在籍自体は1年半程だったのですが、
この会社との関係は退職で途切れることなく続いていて、
それが今の会社につながっていくことになります。
Cie studioを退職してからは、フリーで仕事をしつつ、
様々なジャンルの経験を積んでいきました。
フリーなので、時間はかなり自由がききました。
そこで、生まれた国だし一度長期滞在してみようと、
一ヶ月ほど日本に来てみたんです。
その時にかつて仲が良かった副社長に再会しました。
副社長:
私は日本で生まれ育ちましたが、6年ほどアメリカに留学していた時期がありました。
社長とはその時に知り合い、仲良くなったんです。
社長と違い、私は日本で就職したのですが、色々と行き詰まりを感じていました。
6年留学していたこともあり、日本のいわゆる『企業戦士』としての生き方に
馴染めなかったんですね。
社長に再開したのは、そんな風に自分の将来を模索している時期でした。
社長:
その後、日本からアメリカに戻り、再びフリーで仕事を続けていたのですが、
30歳近くなって「そろそろ新しいステージに行きたいな」と思い立ちまして。
次に何をしようと考えたとき、思いついたのが『日本で仕事をすること』だったのです。
しかし、これは親戚中に大反対されました。アメリカと日本では制作の環境も違えば
待遇も違うし、アメリカ生活の長い私が行っても馴染まないだろうと言われたんですね。副社長にも反対されました。
しかし、どうしてもアメリカ以外の国に行きたかったんです。
とすれば、やはり生まれた国である日本がいい。
そんなことを副社長に相談しているうち、
「それなら二人で日本で会社を立ち上げよう」という話になったのです。
二人三脚で新技術への挑戦の日々
社長:
日本で会社を立ち上げてからしばらくは、SOHOに近い形態の制作会社でした。
flash等の他、地上波CMやアニメーター的な要素も絡めていましたね。
仕事は日本の仕事のほか、アメリカやインド、メキシコなど、
かなりグローバルに展開していました。
大学時代に載せていただいたflashデザインの本を見た海外の方から依頼が
来ることもあり、ネームバリューの強さを痛感しました。
また、できないこと、やったことがないことでもとにかく
「受けてから考える」精神で仕事をしていました。大変なことは山ほどありましたが、
取り組んでいくうちに様々な技術が身につき、できることが増えていきました。
その結果、日本の他社では出来ないような新技術を使った制作ができるようになり、
それが強みとなっていったのです。
技術への信頼からか、大企業の案件も少しずつ来るようになりました。
そんな中、かつて働いていたCie studioの親会社であるCie digitalから
「SNSゲームを作らないか」とオファーがありました。
私も副社長もファミコン世代でゲーム好きでしたし、
ゲーム作りもやってみたいと思っていました。
ただ、当時は制作の仕事で手一杯だったこともあり、一度はお断りしたんです。
ところがその後、他社がfacebookのゲームで大成功したという情報が
飛び込んできまして……
それを知ったCie digitalから再度「やってみないか」とオファーが来たのです。
そこで、悩んだ末、Cie digitalのオファーを受け、SNSゲームに算入することにしました。
日本のセンスとネイティブ英語のハイブリッド
社長:
日本のゲーム市場というのは、世界から見ても少し特殊な状況です。
市場自体はあまり大きくはないのですが、
そのうち半分をSNSゲームが占めているんですね。
まだまだ参入企業も少ないですし、注目株であることは確かです。
しかし、日本には日本のセンスがありますから、
海外のゲームをそのまま輸入すればいいというものではなく、
日本のユーザーに合うようカスタマイズしなければなりません。
そうなると、海外企業が日本のSNSゲームに参入するには
『ネイティブレベルの英語が使えて』『日本のセンスが分かる』人材が必要になるんです。
私たちはまさにその条件を満たしていました。
また、私の技術はCie digitalのCEOからも信頼を得ていましたから、
その部分も大きかったでしょう。
今はSNSゲームの立ち上げに向けて、社員一丸となって取り組んでいるところです。
様子は見ないが機は見て即断
社長:
ずっとインターネット系の技術に関わっていて痛感するのは、
『後手に回ったら勝てない』ということです。
とにかく誰よりも先に行く、倒れても先に行く。
リスクを考えたり様子を伺っている時間がもったいないのです。
しかし、ただ闇雲に走ればいいわけではありません。
きちんと機を見定める必要があります。
その時に大切なのが『実数』。
ネットの世界は基本的に仮説で動くのですが、
端末の普及台数など、『実数』が出る部分もあります。
その『実数』に注目し、機が熟する瞬間を見定めるのです。
そして、機が来たなら迷わずにフルスピードで駆け抜ける。
様子は見ないが機は見て即断する、
それが『シリコンバレースピード』の中で生き抜く秘訣です。
本物は「文武両道」
社長:
私が求める人材は『自分で考えて動く』『おもしろく表現できる』
『負けずぎらい』『遊ぶのが好き』な人ですね。
会社が命という考え方もありますが、私は会社が100%ではないと思っています。
もちろん仕事をこなすのは大前提ですが、切り替えも大切です。
同じ仕事を夜11時までかかってやるのと8時で仕上げて帰るなら、
後者のほうが絶対いいんですよ。
そう言いつつ、私自身は仕事が楽しくて気がついたら朝の3時4時、
ということもあるのですが。
副社長:
私が求めるのは『多角的に物事を見られる人』ですね。
あと、本当に頭がいい人というのは文武両道というか、
仕事も遊びもきちんと楽しむことができるんです。
上手く切り替えができるんだと思います。
社長:
この会社は、個性のるつぼとしてのカラーを出していきたいと思っています。
仕事に打ち込んでいる人も入れば、息抜きにマリオカートやっている人もいていい。
特にゲームはユーザーとしての視点も重要ですから、
技術以外の面でのゲームの研究は欠かせません。
ただ、普通に遊んでいるだけでなく、
ちょっとした賭けの要素を混ぜてみたり、アレンジすることが大事です。
学生さんに伝えたいのは、人生は一回きりであり、
20代は過ぎ去ったらもう返ってこないということ。だからどんどん表に出て、
世界に出てほしい。遊ぶときはどんどん遊ぶ。
そうすることで経験が積まれ、後々の視野が広がっていくことになるのです。