代表取締役 渡邉 堅一郎

株式会社メディア・バックオフィス 代表取締役 渡邉 堅一郎

代表取締役 渡邉 堅一郎

設立 2006年12月
事業内容
  • 「画像の切り抜き作業」に特化したサービス「切り抜きJP」の運営
会社HP http://www.kirinuki.jp/

手探りの、十代からの社会経験

まず社会に出たのは十代なので、学生時代の就活経験がありません。
高校を辞め、調理師として和食の板前のアルバイトを始め、
半年くらいで仕事におもしろさを感じました。
社長の薦めもあり、20歳までは修行と思い熱中しましたし、
いつか自分の店を出す夢を、漠然と描いたりしました。

しかし社会を知らないままではと、20歳くらいから異業種に興味が湧き、
その頃、ちょうど自動車運転免許を取得したのです。

ドライブ好きから、大型車のドライバーへ興味が移り、
板前に比べ高給だと知り、コーラのルート配送を始めました。
半年は倉庫内作業でしたが、希望だったトラックドライバーを23歳まで続け、
特に夏の暑さは体力とメンタルを鍛えられました。

また19歳から始めたサーフィンに没頭し、海へ通うようにもなりました。
週末だけでは物足りなくなり、次は夜中の仕事となる築地市場へ転職したのです。
終業は早朝、波のいい日を選べるのが魅力で、
サーフィン中心の生活を一年間続けました。

築地の仕事は、鮮魚の運搬など重労働です。
もちろん長年働く人は多いのですが、キャリアパスはあっても限定的だったりと、
仕事と生活に充実感はあっても、その頃はリアルな世間が見えるようになり、
現実的に、将来を意識するようになったのです。

それから同世代のほとんどが社会人となり、ネットバブルと重なったこともあって、
同世代の中から一躍脚光を浴び、世間的に活躍する人材が現れたのです。
当然、自分の生活に疑問を持ち、キャリアを考えるようになりました。
自分も商売で稼ぎたい、良い人生を送りたいと夢はあるのですが、
具体的にそれが何か、まだ見つかりませんでした。

個人事業へのチャレンジ

そして身近にも個人輸入で稼ぐ、商魂たくましい知人がいたのです。
その姿に触発され、友達がいた韓国へ留学することにしました。

まだ目先の収入にしか考えはいきませんでしたが、
韓国の商品は、日本で二倍くらいの価格で売れることに着目したのです。
韓流ブームの一番勢いがある時期で、日本人バイヤーがあふれ、
韓国には売るものがたくさんありました。

韓国へ拠点を置き、個人で事業を始め、二年近く生活しました。
でも商品の扱いが少量ですし、なかなか相手にされず、
買い付けが難しいことは確かです。
オークションサイトにも出品、月の売上げが500万円を超えることも。
しかし韓流ブームが去ると、かなりの在庫が余り、帰国することにしましたが、
手元の資金をほとんど持ち帰れない状況でした。

帰国後は実家暮らし、なんとか生活はできても、何も残らず途方にくれました。
就職活動を始めると、有利な経歴がほとんどなく思うようにいかず、
結局は派遣など、とりあえずの収入を得るフリーター生活。
継続性のあるビジネスを見つけて、それに従事するしかないのかもしれないと、
明確に考え始めたのです。

フリーターと並行してサイドビジネスを考え、韓国での事業を参考に
アメリカからバックを輸入して、ネット販売を始めました。
これも流行りすたりが激しく、一年ほどで行き詰まり、
韓国で残った僅かな資金も注ぎ込んでしまいました。

ただショップサイトの編集も自分でやり、
掲載写真を独学でもフォトショップで加工したことが、次へのヒントに繋がりました。

たどり着いた、継続へのひらめき

入荷商品を一点ずつ撮影、そこから写真を加工すると、かなりの作業量となり、
その工程が、思いのほか時間が掛かるのです。

それなら処理サービスをする会社を、ネット検索したところ、
当時、日本にあっても、高価で採算が取れないレベルでした。
そして、たまたまベトナムにある小さな会社を見つけたのです。

好奇心もあり、試しに発注してみると、
日本よりずっと安価で、しかも処理が早く、上質な仕上がりに満足する結果でした。
しかしそれを、すぐビジネスに直結する感覚はなく、
その後、きっと需要のあるマーケットのはずだと考えるようになり、それが起業のきっかけです。

2006年8月にWEBサイトを立ち上げ、初動の売上げは3万円程度。
個人輸入の在庫を投売りして、どうにか続けました。

事前準備はベトナムの低価格もあり、海外で協力事業者を探しました。
インドから始め、中国企業でもパートナーを見つけ、
信頼性のある、相互関係を築くよう努めました。
ちなみに中国企業は日本語が通じますが、インドは英語対応となります。

まずは、自分の給料分くらいは稼ぐのを目指します。
リスティング広告を出し、問い合わせだけは毎日続きましたが、
それが発注までに至らないのです。
ただ問い合わせが予想もしなかった大手企業からもあり、
なんとなくでも手応えを感じ、
きっと続ければ、売上げに繋がるはずだと自信がありました。

年末にかけて電話セールス、FAXのダイレクト配信サービスを利用しました。
特にFAXの売り込みは反響が大きく、一週間は問い合わせの対応に追われるほど。
でも半分は苦情、ピークは過ぎてもある程度の問い合わせが続き、
それからは売上げが一気に倍増。

そこで得意先となる、いくつかの安定した関係が生まれ、
やっと生計が立てられるようになりました。

少数精鋭で、確実性を追求

次は事業拡大だけを考えました。収益の目途がつき、翌年12月に法人化。
受注生産スタイルで、今は基本サービスのみ一種類に絞ります。
インフラ整備は状況により変化にあわせ、
事業パートナーである海外企業には、すべてを任せるようにしています。
ただ品質管理だけは、基準が下がらないように細心の注意を払います。

新しいマーケットなので、この先の規模を計れないところはありますが、
まず一般的に、写真加工を内部処理する企業がほとんどなので、
その流れを突き崩すことが難しく、今後の課題であり、未知数でしょう。
ライバル社は多く、価格競争が激しいのが現状でもあります。
差別化を図るに、安価で高品質、早い処理能力はもちろんですが、
一番求められるのは、いかなる状況でも供給能力を維持すること。
トリッキーな方法や、目先のことに動じず、
長期的に需要のあるもの、基本的なものを重視したいのです。

現在は32歳、
近い将来の35歳には三倍の規模に事業を拡大したいと希望はあります。
とりあえず企業として、基本的なインフラを維持する収益は確保できる、
体力が付きました。
ただ、あくまでも社会情勢を見ながら、徐々に進めるのが理想なのです。

問い合わせに対応して、自然に増えているのが現状ですが、
現在は事務所に3名。組織拡大はむやみにせず、
一人ずつの生産性が高い方向を目指すのが一番だと考えます。
先行投資は少人数で捻出するしかなく、現段階のサービスの充実を徹底するのみです。
単純なようでも難しいこと、今あるサービス価値を含め、緊急時の対応など、
確実にすることが重要なのです。

新事業について、もちろんアイデアベースでありますが、
目標設定の条件が揃えば、その段階で考えます。
とにかく、このサービスで一番シェアが高く、収益性のある会社に成長したいのです。

学生へのメッセージ

企業が求める人材や、雇用側の観点は、言葉にするのが難しいものです。
ただ個人としては骨があるか、どうか。
根気強さなど、無意識でも注目しています。
現在の能力に対しての解釈はいろいろだと思うので、それを気にするよりは、
充分な素質があるかを、重視します。

どの職場でも、日々エキサイティングなことばかりではないですし、
一喜一憂することは、動揺へも繋がります。
それよりも与えられた目の前にある仕事を、完璧にこなすことにベストを尽くしましょう。

どこへ行きたいなど意思はあって良いのですが、
とにかく最大のパフォーマンスは、次に繋がるものです。
考え過ぎ、選り好みをするより、まず向上心を持ちましょう。

単純に家から出て、遊ぶことでも良いと思うのです。
遊ぶことは、社会に触れることに通じるからです。

今できることが分からないままでは、場当たりで、中途半端になってばかりです。
現状に悲観するよりは、すぐできることを考え、
簡単でも、本や新聞を読むことを始めるのも大切でしょう。
社会情勢や経済を把握することで、自分なりの見解を出せるようになります。