代表取締役社長 小林 義人
設立 | 2011年 |
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事業内容 |
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会社HP | http://www.sinfoniacloud.com/ |
「外を向いて仕事したい」新日鐵でグローバルビジネスに従事
1977年に東京大学法学部を卒業し、新日本製鐵株式会社に入社。
最初は製造現場の製鉄所の総務課に配属され、組織管理や企画の仕事をしました。
組織設計の仕事は白紙から物事を考えエビデンスを基に自身の考え方を組立てる
ロジックの訓練を伴うので、入社してから2年ほどまでは仕事のコツを覚えるまで深夜・休日出勤を重ねていました。
3年ほど経つとようやく仕事の要領が掴め自然体で仕事をこなせるように。
そして4年目の本社への異動時には、外の世界とつながる仕事をしたいと自ら希望してところ、
原料調達部門の投融資購買担当に配属となりました。
商社のスタッフと一緒に北米・南米の鉄鉱石の生産販売会社と価格交渉をしたり、
合弁会社の管理や、ブラジルの新規鉱山開発では国内の製鉄他社を束ねて
共同で資源国に資金を貸し付ける金融子会社を作ったりと、グローバルなビジネスを展開する中で
多忙を極め飽きることがありませんでした。
総務課との大きな違いは、みんなが外を向いて仕事していたこと。
内部の情報で物事が決まる社内の組織と違って、世の中に直に触れるのが営業の仕事だと感じました。
アメリカ留学から帰国し、エレクトロニクス事業部を創設
ところが、同じ仕事も3年くらい経つと全体を覚えてしまうので
新たに興味を持って取り組むことがなくなってしまいます。
そして、アメリカに留学し、86年に帰国。
元の原料部門に戻るという選択肢もありましたが、前と同じ原料部門に戻ると、
その後のキャリアパスがだいたい見えてしまうのが自分にとっては嫌でした。
私は、毎日同じことをくり返すのに耐えられないタイプ。常に新しいことをプランニングして、
問題解決を図っていくことが楽しい。「今はない物事をクリエイトしたい」という欲求が強く、持っています。
現状を維持するのではなく、新しいものを生み出さないと気持ちが下がっていってしまう事が多いですから。
そこで、新規事業に手を挙げて、今の新日鉄ソリューションズの母体となるエレクトロニクス事業部の
立ち上げに取組んでいた経営企画部の新規事業企画グループへの異動を希望しました。
シリコンバレーでノートパソコン事業を立ち上げ
次に、社内で、ノートパソコン事業部を作ろうという動きが起こりました。
アメリカで暮らした経験があり、英語が話せて、新日鐵の生え抜きで、
経営企画・管理ができる人間ということで、私に白羽の矢が。
そして、部下を一人連れてシリコンバレーに行きシリコンバレーで新会社を設立し、
米国からのノートパソコン事業の立ち上げに従事しました。
取締役として、アメリカ人のディレクターたちと当然のことながら英語で議論しながら、
お金の管理や採用など、会社経営に携わりました。そして、最盛期では106人の規模になったものの、
3年で撤退し、帰国。その後、1年間、もう一つの柱であった当時の新日鉄情報通信
システム株式会社のマーケティングの責任者を務めました。
当時の鉄の業界では、新日鐵が最大手で、
何もしなくても情報は「雨水が樋を伝って集まる」が如く全部入ってきます。
ところが、鉄の会社が始めるICTや情報システム分野の新規事業では新参者ですから、
まずは「人並みに事業ができる」ところへ到達するだけでも大変。
鉄におけると同様な突出した存在になるのは非常に難しいこと。
他方で、鉄のような伝統的業界の中にいる限り日本では、
「同業界にて他社という外の世界に飛び出そう」というようなことは、やりたくてもできない風土にありますが、
新たな情報通信分野では人の異動も多くチャレンジングな世界が広がっています。
一生懸命に勉強し、初めて「鉄」の中だけではない、自身にとって異業種のグローバルな
世界に飛び出したことになります。
ベンチャー支援やコンサルティング等を経て、クラウドサービスを提供
その後、当時の郵政省郵政研究所に出向し、通信政策の研究に従事。
96年、ベンチャーキャピタル会社からヘッドハンティングを受けて転職。
99年には日本初の、企業間電子商取引ソフトウェア開発・販売を行う、
株式会社コマースセンターの立ち上げに参画しました。
その後、コンサルティング会社のエム・スクエアー㈱を立ち上げ、
7年ほど、ベンチャー支援や企業の問題解決などに取り組みました。
実は、コマースセンターの創業も結果的に上手く立ち上がることが出来ませんでしたので、
CFOの立場にあった自身を、最後の資金調達のためにリストラすることを実行したので、
関係者の仲間と三人で創設したのがエム・スクエアーでありました。
大手企業の事業多角化のマーケティング支援や、情報システム学会での調査研究活動に従事しました。
新規事業を起こすベンチャー企業の支援をするのが私自身のライフワークであります。
2011年3月、SinfoniaCloudテクノロジーズ株式会社を設立しました。
基幹系業務システム分野でカスタマイズを前提とした上で、クラウドコンピューティングを
マルチテナント型で提供する開発&実行基盤のPaaS(Platform as a Service)ソリューションである
「SinfoniaCloud」を中核に、クラウドサービスの販売・サービスや、コンサルティングの提供などを行っています。
今後の展開としては、当社が提供する、複数のクラウドをつなげていくサービスの情報空間を立ち上げ、
従量課金性の「マルチクラウドサービス事業」などを構想中です。
ずっと同じ場所にいると、35歳から成長しない
私には、「社長がしたい」という発想は全くありません。
社長というのは役割に過ぎませんから。「新しいビジネスを作る」ということが私のテーマなのです。
「一つのビジネスは30年」だといわれますが、
世の中の環境の変化に合わせて新しい物事を組み立てないといけません。
例えば、自動車なら電気自動車。あるいは水素自動車。
一歩先を行くところに、新規事業のおもしろみがあるのです。
ビジネスのプロになるためには、ある程度きちんとした組織の中で専門性を身につけることが大切です。
自分の頭の中で考えていても、どうしてもできない部分がありますから。
そのためには、大手企業に入るのも一つの手。
しかし、大手企業に勤めている場合にはずっと同じ企業にいて既存事業に取り組むだけの場合には、
35歳くらいまでは伸びていくのですが、それ以降は成長が止まってしまいます。
なぜなら、同じことをしているから。日本では、優秀な人材が集まる会社でも、
好きなことをやらせてもらえず、自分の本当の能力を発揮していない「宝の持ち腐れ」に
なっているケースが非常に多いのが実態です。だからといってすぐに会社を辞めるのは不経済ですが、
会社と家だけではなく、もう一箇所、立ち寄るところを見つけることをおすすめします。
異業種交流会でもボランティアでもなんでもいいのです。
いろいろな人にふれることで、違う自分の能力開発ができます。
「ジェンダー」「年齢」「専門」「人種」の違いを大切に
私がモットーとしているのは、下記の4つの「違うもの」を大切にすることです。
(1)ジェンダー
性別に関係なく、対等に接すること。
(2)年齢
違う年代の人と対等に話せるセンスを持つこと。
特に欧米の優秀な人には、初対面の人のも新参者にもフランクに話せる人が多いです。
(3)専門
様々な専門領域の方々とお付き合いをすること。
(4)人種
あなたは、人種の違う人と会話が通じますか?
違ったものがある環境に身をおくと感覚が磨かれるし、
そういうセンスのある人は、経験が浅くても高いポテンシャルを持っています。
スキルには下の3つがあります。
①テクニカルスキル…若いうちは技術。工学としての技術に限らず、
営業・マーケティング・財務会計等の専門知識としてのスキルを身につける時期。
②コンセプチュアルスキル…年齢や経験が上がると、組織の内外で違ったものを束ねる能力がついてきます。
例えば地球温暖化問題への対処といった新たなパラダイムへ取組むには、
多様な専門領域の人々の知識・経験を総合していくことが求められます。自身の専門領域を超えて、
概念(コンセプト)のレベルで統合的に理解し課題を見出し解決するスキル。
③そして、ヒューマンスキル、人間力です。
新規事業を立ち上げるには、いろいろな人と付き合わないといけないので、
専門の違う人と話し議論や共同活動を通して新たな世界を創出するには、
②コンセプチュアルスキルが最も大切だと考えています。
日本の枠を外して考え、行動しよう
最近は、日本企業が現地採用で日本人を採るケースが増えています。
就職も、国内だけでなく目線を変えてみることが必要になってきています。
今後は、まず間違いなく、日本国内だけで生きていけることはあり得ません。
あったとしても、おもしろい仕事はできないでしょう。
そんな「人材開国」の時代の中で生きていくために、今後必要なのは下記の2つです。
(1)語学はもちろん、本当の意味での「考える勉強」をすること
大学で遊んでいては、世界で通用しません。
社会に出る前に、世の中とは何か、日本の市場だけでなく海外も見ることが必要です。
(2)自分の意見を持って語れること
日本人には、調和を重んじるというよい面がある一方、「はみ出すものを封じ込める」という文化があります。
それでは、世界でやっていけなくなるでしょう。日本人ももっとあつかましく、
海外の人と交わることを恐れないことが大切です。
日本の枠を外して、荒っぽい世界に身をおかないとやっていけない時代です。
社会人になる前に海外留学をしたり、就職して海外勤務をするなど、
自分の生活空間を広げることを考えて実行してください。
視点を変えてビジネスマンとしての自分の持ちうる世界の広がりを三段階で表すと、
第1段階は「会社の部門の中の自分」、第二段階は「業界の中の自分」、
第三段階は「社会全体の中での自分」と定義できます。
この「1・2・3」のステップは、実は前後関係にあるのではなく、全ての要素が第一段階から
開始されていく性質のものです。日本という枠を超えて、世界の中で
活躍することを標榜していただきたいと心から願います。