社長(店長) 宮内 雅史
設立 | 平成18年1月16日 |
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事業内容 |
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会社HP | http://repertory.jp/ |
履歴書も出さず決まった就職
大学時代は、学部棟へ行かずにまっすぐサークル棟へ行くような
親不孝な学生でした。
フィルハーモニー管弦楽団に入り、チェロを弾いていました。
勉強もせずチェロの練習ばっかりな生活です。
東京までチェロを持って習いに行ったりと勘違いしていました。
理学部生だったので、弦楽器の音のなる仕組みにも興味を持っていました。
弦楽器はすべてにおいて物理的に絶妙なバランスで成り立っている
奇跡的な楽器で、色々なことを知るのが面白くてしょうがありませんでした。
クレモナへの留学方法を調べに九段のイタリア大使館に調べにも行きました。
そんな時、思った音が出ないと、いつもの金沢の楽器店さんへ持っていき、
調整をやりなおしてくださいと頼んだんです。
駒の高さがどうとか、響きが悪いとか、色々と注文をつけました。
何度も何度も金沢まで通ったんです。
「そんなに細かくやるなら入社して自分で修理しなよ。」と言われて、
「じゃあ入ります。いつから来ればいいですかね?」
「あ、そうなの!?本社の社長に言ってみないといけないから、
今夜電話して聞いてみるわ。」
とんとん拍子に、名古屋へ面接に行くことが決まりました。
展示会のバイトなどで何度かお会いしていたこともあり、社長との面接は
履歴書を見せることもなく進み、2時間ほど二人で会話をして、そのまま入社決定。
正採用となる翌月まで待てず、無理を言って翌日からアルバイトとして
働かせてもらうことになります。
バイオリン修理の職人になる道を歩きはじめました。
退学してアルバイト、そして責任者に
せっかく入った大学なので卒業することを両親は望んでいましたが、
不況の中すでに就職も決まっていたこともあり、
しぶしぶ退学することを許してくれました。
それから、魚津から金沢まで始発で行って終電で帰ってくる生活が始まりました。
アルバイト代から交通費を引くと、完全に赤字。
休日に金沢にアパートを借り、引っ越しをするまでは休み無く大忙しでした。
それからは楽器修理の修業の日々。初任給が9万円ほどで、そこから仕事道具の
ノミやカンナを買い揃えていくので、結構ギリギリの生活が続きました。
7年半の間に、金沢店でのアルバイトから始まり、名古屋本社での勤務、
最終的には金沢店での責任者にまでなりました。
Uターンした富山でのインターネット通販
ただ、修理は1人のお客さんに対してすごく時間がかかるので、
もっと手広く全国を相手にした仕事がしたいという思いと、
独立したい気持ちもありました。
実は、実家に帰ってこないといけない理由もありました。
さすがに帰ってきて、田舎で弦楽器修理というわけにもいかず、
色々考えたのが、輸入楽譜のインターネット通販です。
自分が楽器を扱う業界にいたこともあって、
日本全国に需要があることは知っていたんです。
責任者になったとき、楽譜もない?とよく聞かれたので、
本社にあった楽譜の中から自分で選んで、店内にコーナーを新設していました。
普通の本屋や楽器店だと、ピアノやエレクトーンの楽譜ならまだしも、
バイオリンとかチェロとかビオラの楽譜のコーナーは、
もしあっても少ないし国内の楽譜しかありません。
楽器を演奏する人が楽譜を買おうと思ったら、教室の先生に情報を聞いて
東京の楽譜店に電話で注文するしか方法がなく、それだと中も見られません。
しかも楽譜にも色々あって、自分の指遣いとは違う表記の楽譜や専門家用に
何でも書き込める真っ白なものもあります。
でも、初心者が知らずにそれを買ったら大変ですよね。
周囲からの強い不信感
家族の反対はとても強かったです。
「売れるわけがないし、儲かるわけもない。」
バイオリンだけの楽譜屋さんでしかも輸入楽譜をインターネット通販するなんて、
親の世代からしたら不安要素だらけですよね。
自分でもどれぐらい儲かると言えるほど自信はありませんでした。
もともと働いていた所が21世紀ではなく18世紀に目が行っているような
アナログな職場だったので自分自身ネットの世界についても詳しくありませんでした。
最悪、楽譜通販でほどほどに儲かって、あとは県内の高校や、知り合いの
楽器の修理を請け負えば何とかなるだろう、半々でもいいと思っていました。
幸運な出会いと本気の大切さ
最初はネットショップ作成ソフトで開業しようと思っていましたが、
学んでいくうちにこんなホームページでは売れないと分かってきて、
色々なつてをたどって、ネット通販で成功している人を探しあてました。
その人は自分でホームページを作って商売をしているだけで、
その技術を人に教えたことはなかったのですが、いくらかお金を払って
教えてもらえるようにお願いしました。
元々、投資サークルで知り合った人で、今でも友達付き合いが続いています。
その時の人間関係が今の仕事に繋がったことは本当に運がよかったと思います。
もしその人に出会っていなかったら、ホームページはできても、
片手間にやる程度で、全然売れなかったと思いますね。
昔のお客さんには、他にない技術を持っているのにもったいないと言われますが、
自分の中ではインターネット通販だけをやりたい気持ちがあり、
それで十分な収入を得られているので、今はこれだけを仕事にしています。
本気を出して全ての力を注がないと、ライバルには勝てないし売れないと思います。
逆に、楽器の修理も片手間にやっていいものではないと思いますしね。
今後の夢
一度、会社を大きくしようと思い、新たに広い事務所を借りて何人か
アルバイトも雇ってみたのですが、どうも自分のやりたい形にならず、
何か違うなと思いました。
今は儲けよりも家族の幸せを優先したいと思っています。
今の事務所は従業員も少ないけれど、こんな状態でもちゃんと成り立っています。
人数が少ない方が、不思議と売り上げも上がりましたし。
プライベートでは、ネットの世界だからこそ可能な、
自分がどこに住んでいても成り立つ仕事をしていきたいです。
お店としては、もう少しマニアック度を追究して、
「クラシック好きな人が楽譜を買うならここ!」となるように、
ホームページをカスタマイズしたいですね。
また、初心者が分かりやすいようなホームページにしたいと思っています。
せっかく大人になってから、こんなに入りにくいクラシックの世界に
入ってきてくれたのだから、挫折してほしくないんです。
そういう人を導けるようなホームページにできたらいいなと思っています。
自分探しはしちゃいけない
自分探しはしちゃだめだと思います。
探そうと思って見つかるものではありません。
自分探しをするよりも、あっちこっちへアルバイトに行くとか、
自分の趣味に打ち込むとか、いま2自分のやりたいように
動いている方がいいと思います。
自分なりにパワフルに動いていれば、誰かに出会ってきっかけが
訪れるかもしれません。
日本を元気にとか、北陸を元気にとか思うのも、
最終的にそうなればいいとは思っても、
自分1人で背負えるものではありません。
最近の明治維新の時代のドラマで、「日本をどげんかせんと」
と言っているのはほんの一部の人です。
自分が政治家になって国を動かす、という人以外は、
自分のやりたいことを、欲に任せてやるのが一番です。
関係ない職種の人が強引な理屈をつけて「地域を元気に」と
言っているのはCM的な雰囲気が付いてかっこ悪いです。
自分がやりたいことを何とかしようと頑張っている人は、かっこいいですよね。
そういう人には協力者が現れるし、
その連鎖反応で日本が元気になっていくんだと思います。