代表取締役 杉浦 誠

ジェーンマーケティング株式会社 代表取締役 杉浦 誠

代表取締役 杉浦 誠

ジェーンマーケティング株式会社
設立 2008年6月2日
事業内容
  • 受注&プロモーション
  • 店頭・現地調査
  • アンケート調査
会社HP http://www.jayne.asia

後ろ姿で教えてくれた

父親は脱サラ派で、私が物心ついたころには起業しており、
その後ろ姿をずっと見ていました。
尊敬する存在で、いつか自分が後を継ごうと思い、
小学校の文集に意味はよく分からずに、会社を上場させたいと書きました。
小さな街の会社を有名にしたいという夢だけはありましたね。
そんなこともあって遊んでたんですが、学部は経営学を選びました。

大学時代は、バブル絶頂期。
学生のイベントやツアー企画に、一般企業がスポンサーにつくほどでした。
自分も友人と、イベント企画運営のサークルを作りますが、
楽しみたいという純粋さから始めたので、利益追求型というよりは
「トントンでいいかな!」という・・・。
卒業時は、なんの迷いもなくサラリーマンを選びました。
従業員も子供の頃から知っている関係だから、苦労や
「他人のメシ(社会経験)」もないまま、親の会社に入るのは抵抗がありました。
就活中はバブルが弾け!社会が混迷して時期でしたが、私は就職候補先で出会う
様々な人との出会いを楽しんでいました。たまたま商社ばかり回る学生に出会い、
商社の就活相手は、ある程度の決済権をもつ人と対峙することが多い
「社長である場合も」と聞き、それによって商社が面白そうに思え、
就活を商社に絞りました。

思いを捨て、今を頑張る!

そしてまったく思ってもいなかった鉄鋼系の専門商社へ入社しました。
その時は、一端、家業を継ぐという思いも捨てて頑張る。とにかく三年は修行。
三年たった時点で考える。と思って入社しました。
商社は独立する人が少ない業界で、周りは一生勤め上げるという人が
多かったと思います。

結局は14年以上勤務しました。半年程で自分の甘さや、不甲斐なさを思い知り、
その悔しさから、自分なりに完結させたかったのです。
配属先はたまたま何年ぶりかの新入社員。
先輩は三十代ばかり。先輩と比べたら出来なくて当然だったかもしれないのですが、
その事に納得できませんでした。
最初の業務は製品の物流と配送の手配、デリバリー全般の調整など。
はじめは、お客さんに怒られてばかりでした。
原料から製品まで扱うものが多岐にわたり、相手にする業態も違い、
お客さんによって商習慣やスタイルも、利益に対する考え方も異なり、
同じ会社でも部署や事業部がいくつもありました。

一方で結婚の意思を、入社一年後に固めました。
実家に報告すると、いいきっかけだから仕事を辞めたらと勧められました。
しかし、仕事もやっと面白くなってきた頃だったので、自分の意志で結婚は進め、
会社は辞めませんでした。それが父親との距離にもなったのです。
結婚一年後にバブルがはじけ、中小企業には厳しい状況が始まりました。
資金調達が難しくなり、実家は家業を畳むことになります。その一番の原因は
後継者が居なかったことだと、間接的に耳に入り、今では自然と解消しましたが、
それから父親と数年間は疎遠になってしまいました。

共同経営者としての新しいスタート

商社退社のきっかけは、学生時代のイベント仲間が起業し、
規模拡大に営業組織を作るからと、誘われたことです。
子供時代から、なんとなく会社経営をする自分を思い描いていたので、
これが大きな転機になると感じました。
もちろん家内は大反対、でも最後は引き留める事を諦めてくれました。

転職した業界は「システムの運用や保守」というサービス業という、
鉄とは異業界で、壁にぶちあたることばかりでした。
すべての仕事は、「やり方に王道が無い」というのが私流の哲学だったので、
「時間を掛けて業界の流れ、会社の位置づけや問題点」を、自分なりに理解、
克服していくしかありませんでした。
また、サービス業は、実務を担うスタッフがいてこそ成立しますから、
技術者採用と派遣に特化し、フリーター層を引き上げ、若いオペレーターを
供給しました。
もちろんオペレーターや技術者は、充分にこなせるスキルが求められます。
採用と営業が一体となる業界で、「スタッフへの教育やフォロー、
モチベーションの維持」が重要だと私なりに理解しました。
そのためには、スタッフの方の立場を理解し、
同じ利害を生む仲間として、一つのチームになることが大切だと感じたのです。

前職はその業界では知らない人はいない会社だったので、
少々の無理なパワープレイで押し切れましたが、新しい環境で同じような
やり方をすると顧客も、スタッフの方も長続きしないと感じました。

そして、また転機がきます。社業は順調だったのですが、学生時代の
イベント仲間の会社を母体とし、共同出資で独立してしまったので、
その会社とのリレーションのみで仕事をしなければならなくなり、
仕事自体が次第に物足りなくなってきます。「方向性の違い」というのが
一番いい言葉ですが、当時の持ち株を売却して、その会社をやめることにしました。

思いもよらぬ依頼による転機

前の会社を辞めて、しばらくはゆっくりしようと思ったのですが、
退職後しばらくして、急に「新しい会社の代表取締役を今の会長と
一緒にやってみないか?」との依頼が舞い込んだのです。
業績不振が続き、経営陣が退陣したいと考えていて、
会社自体を再生させるというプロジェクトでした。
株主や再生プロジェクトを何度も手がけた会長とお会いしたり、
会社の業務を観察させてもらい、
「この会社であれば、再生させられる!(贅肉を筋肉に変えることができる)」
との思いを強くしました。それが今のジェーンマーケティングだったのです。

プロジェクトを手がけてから、負の負債を切捨てたり、会社を移転させたり、
社名を変えたりとあわただしく、約1年が過ぎました。
この間、代表取締役を務めさせて頂き、赤字続きだった業績も数ヶ月後には
単月で黒字回復、年間での黒字も達成したのです。

ジェーンマーケティングは、全国に登録スタッフを約2万人持ち
(約7割は主婦)という、調査も含むマーケティングと、
セールスプロモーションを主とする会社です。
クライアントは生活者向けのメーカーです。

スタッフは業務に応じて、各地の量販店やスーパー、ドラッグストア、
メディアショップなど店舗を、商品の販促物の設置場所確保や設置のために
巡回したり、新製品の動向インタビューや、受注代行を行います。
もう一つは、キャンペーンの効果調査、価格調査、ミステリーショッパーと
呼ばれるサービス調査、地域情報などの調査です。

どちらも、リアルタイムな店舗の情報をクライアントが見ることができる
ネットワークシステムを構築し、行っています。

ジェーンマーケティングの展望

今、マーケティングやセールスの世界はどうしてもコンセプトや
広告主流型になりつつあります。
つまり、大きくTVスポットを打てば、ものが売れていくと考えている一部の
担当者が多いのです。
それに対し、ジェーンマーケティングは、地道な努力(真摯に感動を作り出す)と
着実なITの力(イノベーション)を使い、一歩一歩努力する会社です。

現在、ジェーンの社員は23インチ+17インチの二つモニターを持つコ
ンピュータをハンドリングしながら、会社から貸与したスマートフォンを
使い業務を行っています。
そして、今後はITの力を使い、今までアナログに頼っていたスタッフの
スキルアップを図っていきます。
この登録スタッフの方々が一番のお客様なのです。ワークシェアリングして頂く
主婦層は、生活者でもあり、厳しい目をもってらっしゃいます。
だからメーカーの方々だけでなく、意識の高い登録スタッフの方々に
各々のライフスタイルに対応した、新しい働き方を提案していきたいと考えています。
ここがセールスプロモーションや、マーケティングにおいて得意先企業様とも
強い関係を築ける一歩だと考えています。

私が仕事に対し思っていることと、求める人物像

即戦力としては、新しい組み合わせを考え、それを、現実的な提案として
企画し、実行していく力が必要となります。
突飛なことをゼロから考えるのは、どうしても難度が高いと思いがちですが、
実は「新しいパッケージやサービスモデル」は、ちょっとした何気ない思いや、
アイディアなどからできています。
その先を形にするために進めていける人は、必ず人間的な素直さを持っています。
まずは分からなかったり不便だと思ったこと、新しい情報を自分に取り込めることが大事です。
多くのことを租借して決めてしまう人が多い中で、
「仕事を究める」なら、努力と継続も必要になります。

私は、ネガティブな気持ちや、好ましくない状況があるときは、
起きることは、すべて自分が原因だと思うようにしています。
もちろん様々な状況があり、外的要因のこともありますが、それは日々の
細かいことを、自分として選択し続けた結果ですから、他人ごととして、
周りのせいとは考えません。